こんにちは
朱堂です
今回は、東京・文京区
「伝通院」です
(住所:東京都文京区小石川3丁目14-6)
このお寺は、室町期に建てられ、
家康の母である於大の方が亡くなったことを受けて菩提寺となり、
於大の方の院号である「伝通院」を名乗った、という
将軍家と深い関わりを持っていました
その縁で江戸有数の大寺院となり、
墓地には将軍家の人々をはじめ、
たくさんの有名人が眠っています
写真は、本堂です
朱堂が行った時、山門を建て直していました
ここは…木造だグッジョブ

さて、朱堂恒例、墓参りといきます
まずは、家康の母「於大の方」
家康の父・松平広忠に嫁いで家康を産むも、
実家の水野氏が織田方についたのをきっかけに離婚
(その頃の松平氏は今川氏に従っていた)
その後、再婚するも家康とは連絡を取り続け、
かなりイイ親子関係をつくっていたことでも有名です
再婚先で産んだ子供たちも松平姓もらってますしね
京都の伏見城で亡くなり、江戸に運ばれた後、
火葬されてココに葬られました
お墓の入り口辺りには、出身地である愛知県東浦町からの
贈り物の木もあったりして、大切にされている感マンマンでした
続いて、こちらも有名人
秀忠と江の間に生まれた「千姫」
幼くして豊臣秀頼に嫁ぐも、大坂の陣で死別
その後、実家の将軍家に戻っていましたが、
桑名藩主(のち姫路藩主)の本多忠刻と再婚
(忠刻は本多忠勝の孫)
しかし、ソコでも夫に先立たれ、
結局江戸城に戻り、余生を過ごしました
家光の正室「鷹司孝子」
家光に嫁ぐも、仲がとても悪かったことで有名です
新撰組の前身「浪士組」を結成した「清河八郎」
「佐幕」を掲げて浪士を集めて清河が「浪士組」を結成するも、
本当の目的は「尊皇攘夷」だと知らせた途端、
近藤勇などが脱退して自分達で「壬生浪士組」を結成した、
なんてエピソードで有名です
後に刺客に殺され、ココには首だけ埋葬されています
有名な作家「佐藤春夫」
幕末・明治に活躍した公卿「沢宣嘉」
その他、家康の側室「お夏の方」や
家光の次男「亀松」などのお墓もあります
お墓マップつくってくれるなんて、なんて親切なんだ
以上、朱堂でした









朱堂です

朱堂です





朱堂です

朱堂です

