「高齢者」の定義変更に疑問 | きままなひととき

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現在高齢者の定義は65歳以上となっており、医療保険では、75歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と呼び区別している。だが、日本老年学会が、今の高齢者は元気だから、高齢者の定義を75歳以上とし、65歳~75歳までを准高齢者と定義するそうだ。
確かに昔に比べて平均寿命も伸びて、元気な高齢者が増えている。また、今回の定義変更の裏では定年年齢を60歳から65歳まで引き上げ、今後70歳まで引き上げる考えも影響しているだろう。
でも、外で元気なお年寄りばかりみて一気に75歳まで引き上げるのはどうかと思う。その外で元気なお年寄り以上に室内で加療中のお年寄りがもっともっと多いのだ。人目につかないだけだ。
そもそも、人間は40代から老眼も始まり、40代後半から50代にかけて男女共に更年期障害にかかり、50肩も経験し、足腰が40歳の頃の様には動かなくなってくるのだ。認知症にかかる高齢者も多いのだ。外で元気なお年寄りだから8時間労働できるだろうと思ってはいけないのだ。せいぜい数時間程度の元気でしかなく、いったん自宅に帰れば、疲れや足腰の痛みで数日間は横になって動けなくなっているのだ。
それに、老化は人によってばらつきも多く、40代から老化する人もいれば60代から老化現象が自覚する人もいる。一部の高齢者が元気だからといって、大半の高齢者が何かしら高齢による病気にかかって病院通いしている事実を無視してはいけないのだ。

 

なぜこんな事を言うか、それは年金年齢を70歳、75歳まで引き上げる動きと連動していそうだからだ。僕のおじたちの死亡年齢は76歳、75歳、77歳と75歳を少し過ぎて亡くなっている。死因は病死である。当然、死没の日まで元気でいたわけでなく、数年間の通院や入退院を繰り返して医者に通っての事である。家族の介護を受けながらである。こうしたおじたちに75歳まで働け、年金は75歳からだ、というのは余りにも酷であり、75歳まで働けという連中はこうした現実を知らない机上の学者たちの論理だと言いたい。病気や老化で働けないのだ。だから年金という制度があり、現役時は当然年金に加入して保険料をきちんと支払ってきたのである。働けない年齢となり年金を受給できて大変生活が助かってきたのだ。

さらに、老化現象でも最も困るもののひとつが、老眼である。早い人は40代から始まっている。パソコンや書類の文字が読みにくくなるのだ。遠近両用メガネをしてもちゃんと文字がはっきりするわけではなく、治ることもない。50代で多くの人が老眼となり、60代ではほとんどの人が老眼である。さらに、白内障、緑内障などという病気にもかかりやすくなり、手術など治療が必要となる。実際に60代の人、70代の人がパソコンなどでの8時間仕事が全員できるとでも思っているのだろうか。
ニュースでは今の65歳の人で元気に働いている人の例も出していた。小池都知事もそうらしい。でも、それは元気な高齢者の1部である。ほとんどの65歳がまともに元気に働けるわけではないのだ。
こうした事から、将来の年金支給年齢引き上げの伏線でもある75歳以上でしか高齢者という呼び名を使わないのは反対である。現行のままでよい。政府は、65歳まで日本のために働いてきた今の高齢者世代をもっと大事にすべきである。
慰安婦問題解決のためだと韓国に10億円だまし取られているくらいなら、少しでもそのお金を頑張った今の65歳以上の世代のために使うべきである。

 

ではでは。