島津家33代 島津忠裕さんと歩く薩摩藩と島津家ゆかりの地巡り |   おいしい毎日

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島津家33代 島津忠裕さんと歩く薩摩藩と島津家ゆかりの地巡り 東京まち歩きガイドツアーに鹿児島県様のご案内で参加してきました。
4年後に明治維新150周年を迎えるにあたり今後スポットを浴びると予想される薩摩藩。
東京のどこにゆかりの地があり、どのようなエピソードが隠れているでしょう。
島津忠裕さんから伺うエピソードとお江戸の水先案内人 堀口茉純さんのナビゲートで約5kmの道のりを楽しんできました。




当日歩いた箇所 
旧島津侯爵邸・・・清泉女子大学
薩摩藩高輪別邸・・・グランドプリンスホテル高輪
泉岳寺
高輪大木戸跡
札の辻
薩摩藩田町蔵屋敷跡・・・三菱自動車工業本社前
芝さつまの道
セレスティンホテル・・・薩摩藩邸跡
(株)若松屋 東京港醸造




旧島津侯爵邸であり現在清泉女子大学に集合。
33代目当主島津忠裕氏から島津家および薩摩藩の歴史を伺います。
この日は雨。前月の鹿児島旅に続く雨天でのスタートです。

私はめったに雨には降られないのですけど鹿児島に関しては雨に降られてばかり。
不思議に思っていたところ思いがけないお話を聞くことになりました。

実は薩摩藩の祖 島津忠久が生まれた時も雨が降っていたそうです。
島津雨とも言われ以来雨は島津家にとって良い事と言い伝えられています。

鹿児島旅や島津家ゆかりの地を歩く今回の取材すべてを通して歓迎されていたのですね。
そうとなれば雨もまた風情があると感じてきます。
では島津雨の中、堀口茉純さんのナビゲートで散策を開始します。


 旧島津侯爵邸 : 清泉女子大学 


まずは清泉女子大学に集合。
旧島津侯爵邸をそのまま大学の建物として使われています。
旧島津公爵邸は1915年(大正4年)イギリスのJ・コンドル設計によるにて竣工し、来年で100年になります。
白いタイル貼りレンガ造り。
J・コンドル設計の建造物は旧島津侯爵邸・ニコライ堂・旧岩崎邸を含め8軒のみ現存している貴重な建造物です。




島津の紋章が入ったステンドグラス(左上)、
天井漆喰はアカンサスの花の模様。
暖炉にももちろん島津の紋章が入り暖炉上の鏡は部屋を広く見せる工夫がされています。

ガラスは見る角度によってしずくや波・丸型などに変化してみえる手作りガラス。今はもう作れないそうです。
広い庭を見渡すばあるこにーhチェッカー柄になっています。
ため息が出るほど丁寧な造りになっていました。

なお、清泉女子大学のサイトに島津家が所有していた当時の写真が掲載されています。
現在と変わらぬ姿は当時の作りの良さと同時に今まで守ってきたすべての方の努力があったことがしのばれます。
内容の関係でお庭を省きましたが、バルコニーから見る庭園は、ごきげんようと手を振りたくなる素晴らしさですよ。



 薩摩藩高輪別邸:グランドプリンスホテル高輪 


早々に島津雨の恵みを受けることになりました。
高輪プリンスホテルでは美しい日本庭園を拝見しながら外観を拝見だけだったのです。
ところが雨という事で急きょ高輪プリンスホテル様のご厚意で室内に入らせていただきました。

高輪プリンスホテルは食事・ディナーショー・子供関連の行事と利用させて頂く機会が多いです。
細やかに対応して頂けるので好きなホテルですが今回のことでより好感度アップでございましたわ。




薩摩藩高輪別邸では歴史について教えて頂きました。
当時の地図から薩摩藩が所有していた土地の話やその成行き。
11代将軍家斉の正室となった茂姫が大名家から唯一嫁いでいたこと。
家斉が50年もの長きにわたり将軍を務めたため、13代家定が在位が長いのにあやかった事など、豊かなご説明に引き込まれました。



 泉岳寺  


泉岳寺。



泉岳寺と言えば赤穂浪士を思い浮かべます。
どんなゆかりがあったのかと思いきや、扁額に掲げられている「獅子吼(ししく)」に隠されていました。
獅子吼を書いた源斉宣とは、父に隠居を申し渡された島津斉宣だったのです。
父島津重豪が作った500万両の借金を返そうといて父の逆鱗にふれて隠居をさせられたのだそうです。
ちなみに父重豪は80歳まで生きたということで、最後まで実権をにぎることはなかったそうです。
親子の確執も過ぎると怖いものですわ。
このようなお話を子孫である島津さんから直接伺えるのですから、すごいツアーに参加させて頂いたものです。
そしてこの話は次に向かう高輪大木戸跡にもつながっていました。



 高輪大木戸跡 


泉岳寺から国道15号線(第一京浜国道)を田町に向かって進むと高輪大木戸が見えてきます。

旧東海道の両側に江戸の南の入り口として昼のみ開通した高輪大木戸。
当時の道幅は約六間(10m)あり治安維持と交通規制の機能を保っていたそうです。
毎月1日・15日と将軍への登城中に島津綱貴が赤穂浪士とすれ違ったそうです。
吉良上野介の長女鶴姫は島津綱貴の継室(後妻)ですが、実家から離縁をされていたということで赤穂浪士を止めなかったと話していました。
島津と言えば鹿児島。江戸との関連は薄いのかと思ったら歴史のかかわり方に不思議に思います。



 薩摩藩田町蔵屋敷:三菱自動車工業本社前 



官軍の江戸総攻撃前夜に西郷隆盛と勝海舟が会見を行ったとされる薩摩藩田町蔵屋敷。





 芝さつまの道 

セレスティンホテル敷地内に掲げられています。
当時の位置関係を見ると薩摩藩の所有地や海が東海道近くにあるのがわかります。



 薩摩藩邸跡:セレスティンホテル 


薩摩藩邸跡に建つセレスティンホテルで昼食を頂きました。
個室で頂いたメニューは薩摩にあやかり、鹿児島産の黒豚と薩摩軍鶏のグリル・伊佐米、そしてサラダバーという内容。

若林支配人からはセレスティンホテルの由来に続き、薩摩藩邸跡というつながりで鹿児島の文化や食材を使っていると話されていました。



 (株)若松屋 東京港醸造 


本来は東京港醸造で酒蔵を拝見するはずでした。
しかしながら雨天という事でご配慮を頂きランチ会場でお話を伺いました。
酒蔵でお酒を頂いたり見学をするのが大好きなので残念ですが、ランチ時間に押していたこともあり仕方がなかったのです。

東京港醸造は3代目が他界した明治42年で開業していた醸造所です。
3年前に5年がかりで酒造免許を取得し復活をさせました。

西郷隆盛や花岡雪舟らが集まっていたそうです。
特に西郷さんが寝泊まりしており、宿代の代わりに写真↑上の書を書いて宿代代わりにしたのですって。
今回はレプリカを持ってきましたが、明治維新150周年には直筆の書を展示してくれるそうです。


試飲させていただいたのは左から「江戸開城」、中「江(ごう)」、右「甘酒」
免許が取れたら「江戸開城」という名前をつけると決めていたのですって。
しっかりと個性豊かなお味でした。
また江はすっといくらでも飲めてしまう優しいお味。甘酒はもちろん飲みやすいのです。

東京港醸造さんには蔵の見学をさせていただけるようお願い済みですので、機会をみて伺おうと思います。





鹿児島県 かごしま遊楽館



鹿児島県様からご招待頂きました。