数あるブログから見つけて下さってありがとうございます。


タイトル変えて再投稿です。


少し古い映画ですが『レ・ミゼラブル』は冒頭


から衝撃的なシーンで始まります。


囚人達が船底で荒波を受けながら倒れた物を引

っ張る。。もちろん歌いながらです。


海水が主演のヒュー・ジャックマンにザバザバ

かかりまくります。が。。


皆。…歌いまくります。低く暗いメロディの曲です。


映画も素晴らしいのですが舞台版のジャン・バ

ルジャン役のアルフィー・ボー!!



本当にまさにこういう方が歌の上手い方と言う


感じです。(もちろんヒュー・ジャックマンも素晴らしいですが)


『レ・ミゼラブル』は確か高校の時に選定読書


本に指定されましたが。。


あの頃は物凄い細かな文字が2段になっていて。。


主人公ジャン・バルジャンが登場する前あたり

で挫折してしまいました。笑。


大人になってから再挑戦して何とか読み切ったのですが。。


実にキリスト教的な概念を理解してないと読め

ない本だなぁ。と実感しました。


根底にあるキリスト教概念。。



主人公は飢えた甥の為にたった1個のパンを盗

みます。


途中脱獄も行ったせいでなんと。。19年間も

獄中生活を送ります。


仮釈放になり。。世に出ますがどこにも雇ってもらえず


泊まる所も無くある教会へと泊めてもらう事になります。


そこで夜中に神父様の寝てる間に高価な銀食器を


またも盗み出します。。案の定警察に捕まり


教会へと連れ戻されます。


警察は銀食器を盗んだ奴を捕まえた!と言って


神父様の前にジャン・バルジャンを連れて来るのですが。。


神父様はここで。。


「いや。それはこの方に差し上げた物です。


 あぁ。。そうそう。1番の高価な銀の


 ろうそく立てをお忘れですよ。」と


ジャン・バルジャンに慈悲をお与えになります。。


ジャン・バルジャンは長い事自分を罪人だと


自分自身を恨んでいましたが。。


この神父様の一件からか。。仮釈放書を


破り捨てて新しく生まれ変わろうとします。


ここで。。私はキリスト教の『悔い改め』を


見るのですが。。


人間界では。。仮釈放期間を勝手に破り捨てた


ジャン・バルジャンをひつこく捕まえようとする職務遂行の


警部ジャベールがジャン・バルジャンを捕まえようと探しています。


ジャン・バルジャンはなんと市長になり


裁縫工場も経営する立派な人になっています。


でも。。いつまでも人間界での罪が警部ジャベールを通して


追いかけて来ます。


神に悔い改めて赦されても。。


人の世界では罪はいつまでも罪なのか。。?とここで


映画を観ても舞台版を見ても本を読んでも


私は感じてしまいます。


そして。。人間界での仕事。。罪人を捕まえる。を遂行する


警部ジャベールとジャン・バルジャン。


この2人の間に色々とあるのですがちょっと割愛します。。が


最後のシーンで。。革命戦争で亡くなった人達と


亡くなったジャン・バルジャン含めて。。


亡くなった人達が「もう1日。明日は来る!』と


ラスト歌い上げるのです。。


いや。みんな亡くなった人達で。。(正確にはジャン・バルジャンの娘夫婦は生きていますが。) 


明日が来る!って。。歌われても。。


明日って?天国の事?!と。。私は思ってしまいました。



イエス様もこの世には骨が折れたり事故にあったり


色んな生きづらい事がある。。と


仰ってます。


それでもイエス様を受け入れて生きる者には


私の居る所であなたを待っている。。


そして全てが報われるんだよ。。と。


私はどうしても。。


今。この生きてる世界を天国のようにしたい。と


願ってしまいます。


出来るだけ嫌な事は起きて欲しくはありません。


スピリチュアルでは波動を高く持てば。。


低い嫌なネガティブな事は起きないと仰ってる方も


います。。そして違うスピリチュアルでは


自分自身のネガティブの中に鍵があると


仰ってる方もいます。


私は。。実は沢山のスピリチュアルの考えに


疲れ切っててしまった人です。



何が起きようが起きまいが。。


絶対的な『善』とか『幸せ』はすでに在る。と


イエス様を知って深く感じたのです。


平たく言うと。。


生きていりゃあ。。そりゃ。


嫌な事もあるよ。それは仕方ないこと。


なのです。


台風も地震も盗みも殺人も病気もあります。


でも。それだけでは

無いのです。


その嫌な事は何かを『学び』教えてくれるものかも知れないし


私を強くする為に起きたり。。するかも知れません。


でも。やっぱり嫌な事は嫌ですが。笑。



でも。。私は在る。と言う神様。。


イエス様から離れてはなりません。


神様や高次の存在からの声が聞きたいと


躍起になって求めるものでは無いと今は


思っています。


それは神様からやって来るものではないでしょうか。。


私にも叩けばいくらでも罪が出て来ると思います。(法律的な罪じゃなくても)


例え。。人間界で赦されなくても。。


悔い改めて生まれ変わろうとしたジャン・バルジャンのように。。


イエス様の御言葉から離れずに。。


自分を愛するように。。


隣人を愛していたい。。


もう会えなくなったあの友人に。。


たとえ一瞬すれ違う人にさえ。。


愛を送りたい。。


今。私が生きているということ。


今。あなたが生きているということ。


そして


亡くなっても。。


絶対的な幸せはすでに無いと私もあなたも存在しないのです。


なぜなら。。神様は私達を深く愛されたからこそ


御自分の御子をこの世に送られてたからです。


そこには確実に。。


愛されているのだ。という幸せが存在します。


もちろん。。


この世での時間が終わっても。。


ワン・デイモア。。あと1日。。


明日が来る。。それは天国での明日かも


知れません。。






刺繍。。あと少しで出来上がりです。


何とかステッチとかではない自己流ですが


何も考えず縫っていると。。。


心がまぁ〜るくなるのです。。