数あるブログから見つけて下さってありがとうございます。
数年前に。。夫が精神のバランスを崩して嘘をつきまくり隠れて借金して最後は自殺未遂。。そして退職と。。(のちに何社か就職しましたが。)
今はやっと一社に落ち着いています。
派手な出来事(派手と言っていいのかな。)があってから。。
振り返ると結構辛かった時期でした。。
やはりイエス様への信仰が支えになってくれました。
私はどちらかと言うとスピリチュアル系の人でした。。
スピリチュアル系の大家のような人が
「これからは宗教をやってる人はキツくなる。」
なんてのをふ~んと頷いていた人でした。
この『宗教やってる人』と言う言い方は
今でもあまり好きではありませんが。。
宗教と信仰は。。ちょっと違うんだけどな。と
思っています。
でも。。見えない世界の事を人に説明するのは
本当に難しい。。
でも。本当に。。
いや。信仰が無かったら。。乗り越えられはしませんでした。
夫がやった事ですが。。当時は普通に
友人達に愚痴ったり。。子供達に愚痴ったりとは
三分の一くらい。。しか出来ませんでした。
話せば驚かれ離婚しな。と言われるのが
普通でした。
私の心の中には当然に怒りだらけだった日や
本気で離婚を考えたりした日も正直ありました。
真っ先に思ったのは夫を精神科に連れて行く事でした。
何かがおかしい。。と思ったからですが。
でも。そこでも精神科医の先生に
「普通なら。とっくに離婚だね。」なんて
言われるとなぜか傷ついたような気持ちになっていました。
私は。。あれもこれも嘘だったに踊らされて
色んな事をしたり買ったり動いたりとして
いました。。
そんな事をさせた夫が憎くもあり
そんな事をした自分が情けなく憎くもありました。
本当にこれは不思議なのですが。。
憎さの中にいても
なぜ?そんな事が出来たのか?!夫を理解したい。と
思う気持ちもありました。
そしてこれは直感的に。。その惨事の理由は
とても単純な事。と何となく感じていました。
いや。その理由の背景が養育期にあろうが
夫の母親が実は病んでいた人。。(もう亡くなっていますが)
だとしても。。(暴力的で新興宗教の仏教の人でした。そして極貧だったそうです。)
だとしても。。だとしてもです。
何かから逃げて
自分を良く見せようと
虚栄からの嘘の雪だるま。。
そんな風に感じていました。
冒頭にも書いたように私はスピリチュアル系の人でしたから
私の心の中が夫の振る舞いを表している。のでは?と
自分の中も見てしまいます。
それはとてもそれこそキツかったです。
イエス様は。。「7の70倍赦せ。。」と言われました。
怒りの中で。。私はそんな事!出来るのは!
それこそ神様だけじゃないの?!と
毒づく事もありました。
そして同時に。。。ここまで夫婦で夫に騙されて
赦すなんて!
私一人では。。!
無理です!
神様。。イエス様!聖霊よ!
助けて下さい。。!
と。。本気で神様の方を私は向き直した瞬間が
ありました。
そこから。。劇的に物事が良くなった。。訳では
ありません。
ありませんが。。私はこれまた本気で聖書を
読み直しました。。
すると助祭先生の方から「Zoomで夜8時半から
夫婦で聖書を一緒に学んでみませんか?」と
言ってくださいました。
本当に。。毎日。毎日。。少しずつ。。
祈り。。対話し。。積み上げて行きました。
私の中にはもう『宗教やってる人』ではなく
『信仰を持ってる人』でいたい。と
思うようになりました。
そして。
私の中にも。。周りに。。友人に子供達に。。
うまくいってないことを。。
うまく行ってるフリ。。をしていたのでは
ないか?!とわかったりしました。
私にも虚栄からの嘘があった。。と思いました。
幼い頃に私の鬱病のせいで苦労させたのが
子供達に重い罪悪感でありました。
だから今の私は。。治って仕事して
成人になった息子達を豪勢な旅行に招待したり
お正月にはたんまりご馳走を用意したりと
少し背伸びをしてたのではないか。。
(もちろん旅行もご馳走も豊かな楽しい事ですが。)
そして
何かから逃げていたのかと言うと
やっぱり神様から離れて
逃げていました。
スピリチュアル系の時に散々に感謝が大切と
(いや。これは常日頃聞いていました。)
聞いていましたが。。
本当に。心の底から感謝してたのか。。?と
夫を見るよりも気がついたら
自分自身を見る事になりました。
ある意味。。夫が加害者で私が被害者だと
激しい怒りから沢山の喧嘩もしました。
でも今は。。
一体。。どちらが加害者とか被害者とかは
私の中で無くなりつつあります。
そりゃ。。嫌だったな。。と時々思い出す時も
ありますが。。
まだ続けて下さってる助祭先生の聖霊講座。。
昨日の講座で。。
隣でパウロの『フィリポへの信徒への手紙』を
大きな声で朗読してる夫。。
その姿は。。本当に
奇跡だと。
心の底から感謝が湧いて来るのです。
そして聖書について語る夫。。!
今でも。。
なぜ?夫を赦せたのか。。
赦そうと思ったのかは
わからないのです。
わからないけれど。。そちらに導かれたとしか
言えないのです。

この十字架を刺繍しています。