本当にお久しぶりの投稿になってしまいました。
暮らしはまぁ。。穏やかに過ごしていましたが
久しぶりに弟から電話がありました。。
何事か?!と思ったのですが(ラインのやり取りはありましたが電話が来るのは珍しいのです。)
認知症で施設に入所してる母親が夜中トイレに
行く時に行きは見守りがあったそうてすが
自室に帰る時に転倒して大腿骨を折った!と
弟より聞きました。
母親は個性的で突発的な人で。。
弟は札幌に住んでいますが父親と不仲だった母親は
73歳の時に北海道の道南小さな港街から突然
札幌に1人で引っ越しして父親と別居し
その後。。札幌のサ高住。。サービス付き高齢者の施設に入所しました。
母としては。。弟との同居を熱望してましたが
なんせ本当に個性的で。。いわゆる毒親(この言葉はあまり好きではありませんが。。)
なので。。やんわり弟夫婦も距離を置いていました。
本当に本当に母親には蔑まれいじめられて育ちました。
もちろんお世話はして下さった。。
それは感謝しています。
そのサ高住に7年居たのですが。。!
突然。。道東に住む母の姉と住むと言い出して
札幌から車で5時間もかかる道東の姉の元に
引っ越ししたのが80歳の時でした。
父親は母親が70歳の時に亡くなりました。
それは全くの突然な引っ越しでしたし
私は。。ある事があって以来。。母とは疎遠でしたので
引っ越し後の3ヶ月後。。母からの電話で知りました。
その電話で母は引っ越しを引き留めてくれなか
った弟の悪口ばかりの電話でした。
そんな酷い事を弟が言ったの?!と当初は驚いて
いたのですが。。後にそれは母の作り話しだと
わかりました。
私自身。。母には生まれてから一度も褒めてもらった事が無く。。
1番辛かったのは私の子供達に私の悪口を吹き込む。。
それは止めて欲しかったです。
ありとあらゆる事や人の悪口ばかりの母に
ある時ガラケー時代に『悪口やめたら?』と
送ったら母から『悪口万歳!』と。。
返信が来ました。。![]()
この4文字を見た時に。。あぁ。。この人は
もう手放そう。。神様にお任せしよう。。と
思ったのです。
その後まだ札幌時代に母はS価学会に入信しました。
母が選んだ道ですから私も弟も何も言いませんでした。
そして道東へと引っ越ししたのはいいのですが
一緒に住もうと連絡を取り合ってた母の姉は
相当に認知症が進んだ状態であり
その母の姉の長男に「一緒に住むなんて有り得ない!
この土地から今すぐ出て行ってくれ!」と
言われ。。引っ越しの荷物のトラックと共に
市役所に行き。。運よく市営住宅に80歳で住みました。
私と弟は。。昔から弟は母から私の悪口を聞き
私は母から弟の悪口を聞いて育ちました。
お互い結婚して。。お正月とお盆は2家族が
実家に集まりましたが。。
私と弟の間にも何となく距離が出来ていました。
確かに。。母も父に苦しめられて来た人では
ありました。
社会的地位と経済力はそこそこあった父親でしたが
その内側はアルコール依存症の女遊びと暴力の
人でした。
物心ついた時から。。長女の私は両親の喧嘩の
仲裁役と母親の愚痴聞き役でした。。
小学6年生の時に母親から「お父さんと離婚するから
あんたの面倒までみれないから
あんたは札幌の寄宿舎付きのミッション系の
中高一貫の学校に受験して出て行ってや。」と
言われ。。私は猛勉強し合格して家を出ました。
在学中も「お母様が肋骨を数本折られ。。
入院してるから帰省しなさい。」と
シスター先生に言われたり。。と騒ぎの絶えない
父と母でした。
でも。。離婚するからと言っていたのに。。
中高6年間の間。。家を出たり戻ったりと
繰り返してはいましたが離婚はせず。。
「この子は家を捨てた子だから!」と
父と母に帰省すると言われました。
私は段々と帰省もあまりせず寄宿舎に居る生徒に
なって行きました。
その他にも母から言われた言葉を人に話すと
「ほんとに実の子で本当に実の親だよね?」
と驚かれました。
私自身もまだ確固たる信仰を持ってはいませんでしたが。。
両親のやる事。言う事が。。わかりませんでした。
なぜ?いつも怒っているのか?!
なぜ?いつも怒鳴っているのか?!
なぜ?!いつも口から出るのは悪口ばかりなのか?!
大人になるにつれて。。両親以外の大人と接すると
両親のどこか異常さを感じさせるのです。
私自身や弟は。。30代になりそれぞれ
弟は自律神経失調症と私は鬱病になりました。
それをきっかけに私は心理学を学んでみようと
思いました。
でも。。学べば学ぶほどに。。
いつも私をおかしい!と言っていた
母の方が。。おかしい。。のではないか?の
確証に変わって行きました。
おかしいのはお母さんの方だよね!なんて
直接に母には言いませんでしたが
いつしか私は医者が患者を見るような目で
母と接するようになりました。
心の中に境界線をしっかりと引いていたつもり
だったのですが。。
ある時決定的な暴言を吐かれ私も決定的に
距離を置きました。。
引っ越し後の電話は実に7年振りの母との会話
でした。
その電話を受けて私は2日かけて東京から
道東の母に会いに行きました。
相変わらず。。口からは弟の悪口やお世話になってた施設の悪口。。
親戚の悪口でした。
それでも帰り際に。。もしかしてこれが会うのが
最後かも知れないと思い。。握手して別れました。
その後。。東京に引っ越して来ないか?と
二度と誘いましたが東京に行きます。と母が
言うので準備していたら
やっぱり行きません。と二度と断られ。。
そのうち。。電話での会話に違和感を感じ
近くに住む道東の母の弟さんに連絡したら
アルツハイマー型認知症になってる。と
連絡が来て。。母の弟さんが探してくれた施設に
入所したのです。
長くなってしまいましたが。。
母はなぜか。。自分から私の考えられ無い道を
進んで行ったように思います。
市営住宅に住んでる時に何度も電話で話して
いましたが。。
誰とも1日話しもしないでおかしくなりそうだ!と言う母。。
札幌のサ高住に居ればよかったのに。。なんて
言ってももう。。それは後の祭り。。
S価学会の集まり無いの?と聞くと。。
この街にはS価学会の信者が3人しかいない!
と返って来る。。
友達が出来た!と言うので喜んでいたら
2ヶ月後には。。もうあんな人と付き合わない!と
言う始末。。
なんで。。。そんな。。事を。。と
幼い頃から思ってきた思いがよみがります。
教会に。。そんな所行きたくない!
そうだよね。。お母さんはそうだよね。。と
返すしかありません。
施設に入る前の日に母の口からやっと。。
『私がこの街に引っ越しして来たのは!
一緒に住もうって、言ってくれなかった
弟への当てつけさ!」
そうだと思ってたよ。。
やっと本音を話してくれたね。。と
心の中で思いました。
最近では。。幻覚や幻聴も始まっていた母。。
東京からオホーツク紋別空港へのチケットを
調べては。。
ひたすらに。。神様にイエス様に聖霊に
祈る日々です。
そして私自身の老いを思うのです。
生き方を説く人は大勢いますが。。
実は死に方もとても大切だと最近は思うのです。
どう老いて行くのか。。
それは今の私に目の前にある課題でもあります。
誰の世話にもなりたくない!
お父さんと同じ墓になんて入りたくない!
私は私の実家の墓に入る!と
遠くへ遠くへと。。行った母。。
その気持ちもわからない訳ではありませんが
中年頃から油絵を極めていた母が
絵の道具も捨ててると聞き。。
油絵の道具を揃えて送ったりもしましたが
この街にはそんな油絵を描く人もいない!と
息巻いて描かなくなっていた母。。
趣味でも。。信仰でも。。手習いでもいい。
何か自分を支えてくれる人や物を大切に。
そして。。何よりやっぱり
口から出る言葉は。。
悪口や怒りや不満や嘆きより
嬉しい。。楽しい。。
感謝します。。が
老いても自分自身を支えるものになってくれる。。と
母から強く学ばせて頂きましたが
それは辛い辛い学びでした。。
オホーツク紋別空港。。そこから1時間半。。
祈りながら旅支度をし。。
複雑な想いでスッーと涙が出ていました。
イエス様。。母に祝福を。。

刺繍。。まだまだ未完成です。。
少しずつ。。少しずつ。。