私はミッション系。。カトリックの中高でした。
親がカトリックではありません。。むしろ信仰など無いのかな?と思う程に
毎晩。毎晩。暴力沙汰の喧嘩を繰り返していました。。
その学校は中学受験しなければならず。。
おまけに実感からは100キロ以上離れた所に
ありました。
中学受験にはそれなりに勉強が必要でした。
でも。。その学校には寄宿舎がありました。
毎晩。毎晩。お酒の臭いをさせて夜中に帰宅する父親が
母親を殴る音で起きては2人の喧嘩の仲裁をする役目は私でした。
そんな父親でしたが
何故か社会的にはそれなりの地位があり経済的には豊かな実家でした。
昭和の男の人は稼ぐ男には愛人が居て好きに遊ぶのが当たり前だったのでしょうか。。
父親にも愛人が居ておまけにその女性にスナックまで開かせていました。
そんな家庭でしたから常に両親は喧嘩三昧でした。
私は父親の同僚で両親の仲人の方の娘さんが
そのミッション系の学校に通ってると知ったのは小学5年生の時でした。
女性問題を赤裸々に罵倒しあいお酒と煙草の臭いの取っ組み合いの両親の中に分け入り
喧嘩を止める毎晩の日課のような日々に
小学生ながらうんざりしていました。
そんな時に。。寄宿舎があるその学校へ受験して
何としてもこの家を出て行こう。と
堅く心の中で決心したのです。
そこへ行きたいと言った時の両親の反応は驚くべきものでした。
この家を捨てるのか?!と言われましたが
「私は行かせて下さい。猛勉強します。」と
言いました。
その学校がミッション系とかカトリックだから。。選んだ訳ではありませんでした。
家を出たい!それだけでした。
ただ当時小学4年生の弟を1人残す事だけが心残りでした。
私が居なくなると弟が喧嘩の仲裁役になる。。
それが辛かったですが。。とにかく何とか受験まで取り付けました。
私の住んでる土地からは3人受験しました。
受かったのは2人でしたが。。実際にそこに進学したのは
私だけでした。
いわゆるお嬢様学校でしたので地方の女の子が
3分の1で寄宿舎に入りました。
3分の2は通学生でした。
寄宿舎は厳しい上下関係があり細々とした決まりがありました。
上級生が歩いて来たらサッと壁に立ち頭を下げる。。
上級生が箸をつけるまで食事をしては行けない。
などなど。。それは厳しく5月の連休までは
帰省しては行けないと言われましたが
連休明けに退学する寄宿舎の同級生もいました。
私は。。帰ってもまた喧嘩の仲裁役になるのは
嫌でした。弟を思うと心が痛みましたが
その寄宿舎の決まりを守り暮らすしか道はありませんでした。
そして驚いたのが寄宿舎の先生は全員シスターでしたし
学校に行っても校長先生始めシスターの先生が半分以上いらっしゃいました。
寄宿舎とは道を挟んで修道院がありました。
そして私は決して優等生にはなれませんでした。
何となく両親が中の良い同級生は私と違う気がしましたし
もちろんキリスト教の宗教と言う授業がありました。
生活の中に常にカトリックの教えがありました。
でも私はいつもぼんやりと聞いている生徒でした。
あの頃の私が。。将来洗礼を受けるよ。なんて伝えたら。。
驚いて気を失うかも知れません。笑。
それでも小5からの受験勉強のおかげか
宗教の授業はぼんやりと聞いているはずなのに
心に残りました。
高校2年生の時にシスターの担任になりました。
素顔でも充分美しいシスター先生でした。
毎朝の朝礼の時は。。やはり聖書からの何らかの
短い説教がありました。
ある時そのシスターが。。卒業してから洗礼を
受けた方の訪問を受けて会話した話しをされました。
ふ~ん。。卒業してから洗礼受ける人なんて居るんだ。。(後の私もそうなりますが。。)
そう思ってましたらシスターが
「その方が仰ったのです。
先生。。神様を知らない人は
どうやって生きてるの
でしょうか?。。。と。。」
私は何故か。。その言葉を聞いた時に
心の中で。。そうだよなぁ。。と思ってる自分に
驚いた記憶があります。
「皆さん。。私は本当にそうだなぁ。と
思ってしまい。。すぐにその方に
返答出来ませんでした。」
シスター先生がそう言われたのも鮮明に覚えています。
キリスト教の神様は必ずしも。。
ご利益の神様ではありません。
それでも。。「私を見ているものは私の父を見ている。」と言われたイエス様。。
特に私は魂は神様から与えられていると
何故か信じていました。
在学中にも父親の暴力で母親が肋骨を何本も折られたからすぐに帰省しなさい。なんて事も
ありました。
グレてやろう。。なんて思った時もありましたが
校則違反を繰り返しても父母の元に帰るしか
無いんだ。と思うとぐっと堪えてその学校に
居るしか道はありませんでした。
それでも卒業後は。。波乱万丈。。がそりゃ
沢山ありました。
そのシスター先生は卒業の時に一通のお手紙を
私に下さいました。
「あなたがご両親の事で悩み苦しまれてる姿を
私はただ見守る事しか出来ませんでした。
でもこんな話しがあります。
イエス様がいつも側に居る。と言われた人が
おりました。
自分の人生を振り返った時に。。
確かに2人分足跡がありました。。でも
時々。。1人分の足跡しかありませんでした。
それはその人が辛く悲しい時ばかりでした。
イエス様になぜ?側に居ると仰ったのに
辛く悲しい時は。。1人分の足跡なのだ?と
聞くと。。
イエス様は『その時は私が あなたを
背負って歩いていたのです。』
と。。お答えになった。。
だからあなたもきっと必ず
イエス様はこれからもお側にいらっしゃい
ます。』
そう書いてある手紙を読んで。。
私は何故か。。泣けました。ポロリと泣けました。
今はその手紙を頂いてから何十年も経ちました。
でも。。本当に思うのです。
「先生。
神様を知らない人は
どうやって
生きてる。。のでしょうか?。。」と。。
今の私は本当に心の底から。。
そう思うのです。。

まだまだ未完成。。やっとイエス様の刺繍。。
始めましたがこれから沢山手直しが必要でさね。。
衣替えも。。しなければ!。。笑