強がったり。。
1人でやる!と強すぎる責任感。。
誰にも頼ってなるものか!という気持ち。。
怒りや焦り。。恨みつらみ。を握りしめたまま
祝福してください!と祈っても
神様はなぜか沈黙されたままでした。
こんなに祈っているのに。。!と自分の何が
悪いのか?!と頭の中であれこれと言葉で
思考したり。。
神様の言葉なんて祝福なんて。。
こんなに待っているのに訪れないなんて。。と
またも言葉で思考していました。
祈りで求めるその結果は。。
常に自分中心で。。あの人がこう変わってくれますように。だったり
どうか〇〇を与えて下さい。だったり
私は神様や主に聖霊に。。
まさに。自己中心的なご利益を求めていたのだ。。と
とても恥ずかしく思ったのです。
もしかして。。私はただ。。1人で語り続けて
来ただけで。。
静まって沈黙の中で
聞こうとしていなかった。
のでは??と。。。
夫が仕事へ行き。。子供達が完全に巣立ち。。
1人で家に居る時に
それがやって来ました。
祈りの言葉を唱える訳でも無く
何かを言葉で思考する訳でも無く
ただ。。沈黙の中に居たのです。
それは多分10分ぐらいの時間でしたが
私はただ沈黙の中にいました。
今晩の夕食は何にしようか?とか
あの問題はどうなるのか?など
何も無く。。
ただ沈黙の中に居たのです。
私はたった1人で心の小部屋にいました。
その時。。急に
神の臨在を感じたのです。。
あぁ。。そうだったのか。。
これを瞑想とか黙想とか言う方もいらっしゃる
でしょうが。。
ふと。今は四旬節だった。。と
思ったのです。
もちろん聖句や言葉の価値が失われた訳では
ありません。
私は本当に神様や主に自分自身の事ばかり語っていたなぁ。。と
思いました。
今日。。誰も会う人がいない。。とか
何の予定も無い。。とか
何かパートでも始めた方がいいかな。とか
そんな事を考えていましたが。。
ただ。。ここに居る。を感じると
全てが満たされていたのだ。と
神様の恵みを深く感じたのです。
なんと。。幸せな沈黙と静寂でしょう。
本当に本当に。。
神様は愛してくださっている。。
そんな事をなぜか
深く感じられたのです。
復活祭の日まで。。
私は1人。。夫が仕事へ出かけたあと
この心の小部屋に入り。。
沈黙と静寂の中にほんの少し
自分を神に捧げようと思ったのです。

あなたにも素敵な春がやって来ますように。。