なんて事はなかった。

朝起きて携帯を開いてみてもやはり
ことりのデータは何一つ残ってなくて、
表札を確認すると姫乃のままだった。
親父さんの部屋も物置のまま。

これが夢だったら覚めてほしいが
ほっぺを抓っても痛いので現実だと思い知らされる。

リビングへ入るとすでに母さんがキッチンに入って
朝ごはんの準備を始めていた。
慌ただしく冷蔵庫を開けたり
まな板で何かを包丁で切る音、
コンロから出てる湯気、
キッチンカウンターに並べられたお弁当箱、
それを見ていると彼女を彷彿させてくるので
見てるとなんだか泣けてくる。

「おはよ、母さん」
「あら、おはよう」
すでに準備されているコーヒーメーカーから
自分専用のカップを食器棚から取り出して注ぐ。
苦味のある香りが鼻にくる。

十年以上も離れ離れだったのに、
まるで昔から一緒に居たような、
そんな空気感がたまらなく嬉しいような、
ありがたいような、くすぐったいような。
安心する、ほっとできるはずなんだけれど、
でも胸の中のざわつきが納まらない。

「おはようなのです~」
パジャマ姿の美晴がのっそりとやってきた。
まだ眠いみたいで目を細めてふらふらしてる。
椅子を引いてやるとストンと座って、
「お兄さん、牛乳」
「はいはい」
兄づかいが荒い妹だなぁ。
立ち上がって美晴用のカップを食器棚から取り、
冷蔵庫を開けて牛乳を取り出し、
注いでから妹に手渡す。
それを腰に手を当てて一気飲みしはじめる。
おいおいおい、ここは銭湯じゃないぞ。

牛乳を飲んで目が覚めたのか
手元にあるリモコンでTVをつける。
そして面白いのでもやってないだろうか?という感じで
チャンネルをひっきりなしに変えていく。

そうだ、さりげなくことりの事を聞いてみよう。
もしかしたら思い出してるかもしれない。

「なぁ美晴。 ”学園のアイドル”って呼ばれてる女の子、
 ウチの学園にいるか?」
「”学園のアイドル”? いいえ、初めて聞くですけど。
 その女の子がどうかしたとですか?」
「いや。 杉並がさ、すごく可愛い女の子だから見てみろって」
ワナワナワナと手を震わせ、
そこからするっとリモコンがカタン、
とテーブルの上に落ちた。

「お母さ~ん! お兄さんが、
 お兄さんが女の子の話するとですよ!」
な、なんなんだよその反応は?!

「あなたもよ~やくそういう年ごろになったのねぇ」
頬に手を添えてほほ笑む母さん。

でも、これで分かった。
美晴は完全にことりのことを覚えていない。
以前に聞いた話だけれど学園のアイドル=白河ことり
この二つ名を風見学園で知らないものはいないらしいからな。

次は母さんだ。
ことりの声楽を小学校から教えてるから
分らないはずなんてない。
出来上がった朝食が盛られた皿を運びつつ
「ねぇ母さん」
「白河ことり、って女の子知ってる?」
「? いいえ。 その娘がどうかしたの?」
「声楽習ってるって言ってたから、
 てっきり母さんのところに通ってるのかと思って」
「そう。 よかったらウチを薦めといてね」
「分かった」

お皿を美晴の前においてやると
「いただきます」をしておいしそうに食べ始める。

平静を装うって結構シンドイな。

母さんもことりのことを忘れてる、
二人とも表情もからしてとても嘘をついているようには見えないし、
いくらなんでもこんなこと冗談でするような性格でもない。

朝食を済ませ、
食べ終えた食器をシンクに置きに行った時だった。
ふとそこで冷蔵庫に貼ってある水道やらガスの明細表が目に入る。
送り先主を見てみると”姫乃 春菜”になっていた。
やはりこの家は”天枷家”でなくなってる。

学校へ行く準備を済ませ
母さんにお弁当持たされて
まるでそれが当たり前だったかのような光景で
「行ってきま~す」
「行ってきます」
と二人で家を出る。

あ、あれ?
いつもなら美晴が「手をつないで行きましょう!」と
すぐに俺の手を握ってくるんだけれど、それがない。
いくら兄妹でも毎回恥ずかしくて敵わないんだけれど、
でもずっと離れて離れだったのでまぁ美晴は美晴で寂しかったのかな?
と思い承諾していた。
別にそれがないからって寂しい訳ではなく、
ただいつもと違うのでなんだかペースが狂う。

美晴の歩調に合わせて進んでいくと、
「おはよう、今日も二人仲いいわね~」
「新しいお漬け物できたの。 よかったら帰りに持ってってね~」
「おはよう、行ってらっしゃい」
なんて、ご近所さんらしい人に挨拶されたり、
まるで俺が昔からここに居るような感じで挨拶される。

こんなことも今まで無かった。
美晴に対してはあったかもしれないけれど、
俺はここにきて日が浅いし、
突然現れた息子な訳で、母さん曰く事情を知らない人たちからみたら
俺と美晴が付き合っていてるように見えてるかもなんて言われたりもした。

なんだか今までと違う現実を直面して戸惑うばかりだ。
あ、あれ?
「なぁ美晴」
こちらが足を止めると彼女も倣う。

「ここに家建ってなかったっけ?」
俺が指さす方向、
そこには今時のモダンな一戸建てが最近建ったと思ったんだけど、
「なに言ってるですか。 ここはず~っと空き地のまんまですよ」
記憶違いか?

そのまま初音川の堤防へあがり
川沿いを進んでいく。
俺達のように登校していたり、
犬の散歩をしていたり、
ジョギングしていたりと様々な人が行き交う。

なっ!
「お兄さん?」
その姿を見つけ、硬直して足が止まってしまった。
師匠?!

スーツ姿の師匠がこちらに向かって歩いて行く。
昨日の、まりあママの表情が脳裏に蘇る。
拒絶されるんじゃないか?って考えると
頭の中が真っ白になりそうになる。
がそうこうしているうちに師匠は俺の横を素通りしていった。

やはり師匠まで俺の事を覚えていない……。

それがショックで胸がギュッと締め付けられるように痛かった。

再び歩き始め、
学校に近づくにつれて風見学園の生徒が増えていく。
本当はこのままここで別れてことりを捜しに行きたい。
けれど、現状が読み込めてない。
まりあママからは拒絶され、
ともちゃんからは俺のこと知らないと言われ、
修ちゃんや美咲姉さんがいなくなり、
美晴と母さんの苗字が”天枷”でなくって、
さらに天枷の親父さんまでいない。

分らない事、だらけだ。
まだ頭の中が混乱していて、
現実を受け止めきれていない。
ともかく今どうなってるのか、それをきっちり把握したくって
とりあえず学校には行くことにした。
他の友人達がどうなってるのか気がかりでしょうがないからだ。

「姫乃さ~ん、おはよー」
「おはようなのです~」
俺達の横を素通りしていく美晴の友人らしき女子生徒。
やはり友達からも”姫乃”って呼ばれてる。

「おはよー、アリスちゃん!」
美晴が大きく手を振ってる先には
フランス人形のような愛らしさと
綺麗な銀髪の少女が立っていた。

よ、よかった。
月城さんはちゃんといた。
なんだかものすごく安心する。

「おはよう、美晴」
妹にそう挨拶した後、俺の方を見るなり、
ササッ。
急にうつむいてもじもじしてるような風で
美晴の背中に隠れてしまった。
「おはよう、月城さん」
挨拶するとビクッと体を跳ねらせて、
それから下から恐る恐る覗き込むように
「お、おは……よう、ござ……い……ます、姫乃……先輩」
顔を真っ赤にしながらなんだかものすごく恥ずかしがってるように見えるけれど、
いつものように普通に挨拶してくれないので戸惑ってしまう。

「お兄さん。美晴は先に行くとですよ」
「あ、ああ」
「行こっ! アリスちゃん」
「う、うん」
後ろに隠れてる月城さんの手をつないで歩きだす妹。
「し、失礼します」とこちらにお辞儀をしてから月城さんは引っ張られていく。

「もっとお兄さんと話せばよかったのに」
「だ、だ、だ、だ、だって、恥ずかしいんだもん」
月城さん、いつもかなりフレンドリーに話しかけてくれてるのに
なんだか調子が狂うな。

げた箱で上履きに履き替えて
もしかしたらことりが居るかもしれないなんて淡い期待を抱き、
小走りで階段を駆け上がって教室に入るが
なんと……ことりの席が無くなってた。
修ちゃんのもだ。

誰かに存在を訪ねようにも
否定されたらまたショックを受けそうで止めておいた。

「おはよ、姫乃」
「ああ、工藤」
肩をポンと叩いてきて挨拶してきたのは
相変わらず爽やか青少年な工藤。

「約16時間ぶりだな、同士よ」
不敵な笑みを浮かべてる怪しさ抜群の杉並。

ああ、よかった。
こいつらは俺のことちゃんと覚えておいてくれてるし、
それにことり達みたいに消えたりしていない。
ほっ、と一安心する。
とりあえず学校には来てよかったな。

しかし朝倉はいつもの遅刻だとして
朝倉さんが、居ない。
もしかして……。

キ~ンコンカ~ンコ~ンと予鈴が鳴った瞬間、
勢いよく開かれたドア。
「ま、間に合った~」と慌てて入ってきたのは
もちろんMr.かったるい、朝倉。
俺の隣の席に着席した後、
へなへなっと机につっぷす。

ふと視線があった。
へへへ、と苦笑したので
ああ、こいつも大丈夫だと確信できた。
しかし朝倉さんが居ないのが気になる。

聞いてみようとした瞬間、
ガラガラガラと「おら~、朝礼始めるよ!」
まるでヤクザか何かの討ち入りみたく
出席簿をバンバンと叩いて教室に入ってくる暦姉さん。
みんなきちんと着席して一瞬で静まり返る教室。
なんて威圧的。
まるで恐怖政治のようだ。
そしてあいうえお順で名前が呼ばれていく。
「出席とるよ~。 朝倉」
「はい」
「朝倉妹」
「先生、すみません。 音夢のヤツ今朝から熱だしていて」
朝倉が手をあげてそう告げる。
そっか、朝倉さん体調不良か。
体の事は心配だけれど、
ちゃんと存在している事に安堵する。
「わかった。 朝倉妹は欠席、と」

しかしその後、
やはりことりの名前が呼ばれなかった。
もちろん修ちゃんも、だ。

朝のホームルームが終わり、
廊下に出た暦姉さんを追従して呼びとめた。
「先生」
「ん、なんだい?」
「先生に妹さんっていますか?」
「ん? いや、私は一人っ子だが」
突然何を質問するんだいこの子は?みたいな感じで返答してくる。
ちょっと希望的観測をしてみたが、
やはりか……。
雰囲気的に嘘をついているようにも見えない。
けれど、あれだけ大切に大事にかわいがっていた妹を
”忘れて”しまうなんて信じられない。

「なんでそんな事聞くんだい?」
「いえ、昨日先生にそっくりな女の子見かけたんで」
と適当にごまかしてたら
「こんな美人がそう沢山居る訳ないだろう」
ってもっともらしい返答が返ってくる。

こんな時「あ~、はいはい」って言って
白河家伝家の宝刀”垂直ゴツン”受けて
家族的なノリが出来るのに。
「早く教室に戻れ」
そう言い残して去っていく。
学校じゃ先生と生徒だけれど、
家だと家族で、俺の大切な姉で、
ことり同様やさしくしてくれて、
俺も姉として慕っていて、
でもなんでこんなことになっちゃったんだろう?

本当にこれじゃ”他人の距離”だ。
少しずつ離れていくその後ろ姿が、
なんだかものすごく遠く感じた。

教室に戻り着席して隣の朝倉に話しかける。
「朝倉さん病気?」
「あ、ああ。 アイツ昔から体が弱くてな」
「へぇ」
「ことりも居ないみたいだけど、どうしたんだ?」
な、にっ!
思わず椅子を蹴って立ち上がってしまい、
一瞬クラスメートの注目を浴びてしまった。
いやそんなことよりも
今朝倉、「ことり」って言ったよな。
どういうことだ?

美晴や母さん、それに身内の暦姉さんですら忘れている彼女の事を
なんで朝倉が憶えてるんだ?

「朝倉、ちょっと」
そのまま朝倉の腕を掴んで引っ張り上げる。
「なんだよ」
「いいから!」
力強い口調でこの場から連れ出した。

……………………………………………
………………………………………
…………………………………

俺は朝倉を屋上まで連れ出していた。
ここなら誰も来ないし邪魔されない。
あれほど空をピンク色に染め上げていた
桜の花弁はすっかり為りを潜め今は
うららかな春の陽気が漂っている。

「いいのか? 優等生のお前がさぼりだなんて」
朝倉が金網によりかかり皮肉っぽく話しかけてくる。
もう奨学金とか気にしなくていいから優等生なんて
しなくてもいいんだけどね。
それよりも肝心なことを聞かなくちゃ。
「朝倉」
一つ間を置いてから、
「ことりの事、覚えてるのか?」
「何言ってるんだよ。 お前の彼女だろ?」
美晴や母さん、姉である暦姉さんですらことりの事忘れてるのに
どうして朝倉は覚えてるんだ?

「ことり、消えたんだ。 俺の目の前でフッと」
「はぁ?」
首をひねり”突然何を言い出すんだこいつ?”みたいな目で
見られているが俺は話を続ける。

「俺も初めは何かの冗談かと思ったよ。 でも消えたんだ。
 それに……、俺と朝倉以外の人間に、ことりの記憶がない」
「いや、違うな。 存在そのものがなかった感じになってる」
そう、美春や母さん、暦姉さんの話しぶりからするとまさにそんな感じだ。
ことりは始めからいなかった、まるで生まれてこなかったと。

「昨日白河家に帰ったらことりの部屋がなかったし、
 彼女の母親に俺の事忘れられていた。
 今朝暦姉さんに話しかけたら妹なんて居ないって言われたし、
 それに教室に彼女の席がないし彼女が出席確認の時呼ばれなかった」
「あと」
携帯を取り出して待ち受け画面を見せる。
「俺の携帯は杉並が勝手に改造したせいで
 待ち受けは毎日入れ替わるけどことりの画像のみで
 彼女の写真が大量に保存されていた。
 画像削除が出来ない仕様になってたのに、
 けれど昨晩彼女の写真が全部消去されてる」
「冗談……って訳ではなさそうだな」
珍しく真剣な目つきをする朝倉。

「そ~いや東條の奴もいなかったな。 さぼりか?」
そのまま修ちゃんと美咲姉さんのことについても話した。
朝倉はちゃんと聞いてくれてことり同様
二人の事も記憶していた。

「確かに妙だな。 3人もいなくなったのに杉並が騒がない」
そうだ。
あのオカルトマニアが一番飛びつきそうなネタなのに、
俺よりも情報を早く入手して知っていそうなのに
今朝会ってからその話題に触れてこない。

「それに俺とお前だけが覚えてるなんて」
ん~、と上に視線を移しながら考えごとをしているようで、
それからもたれかかっていた金網から体を起こし、

「とりあえず他の連中にことりや東條のこと聞いてみる。
 本当に誰も覚えてないのか確証を得ないとなんとも言えない」
「ああ、そうだな」
学ランのズボンのポケットに手を突っ込んだ後、
朝倉は屋上の入り口から出ていき、
俺もその後に続いた。

けれど、気持ちが悪い。
こちらは覚えているのに、
見ているものがまるで違う。
ああ、本当にこの世界はどうなってしまってるんだ?

つづく

―――次回予告
みなさんこんにちは、鷺澤美咲です。

天枷家が姫乃家に変わってしまってたり
ことりさんのことを朝倉さんだけが憶えていたり
一体全体どうなってしまったんでしょう?

さて次回は……

原因を探り始める凛さんと朝倉さん。
しかし世界は思わぬ方向にまわり始めて……

次回、D.C.F.L 第115話「消える世界」
みなさんまた、読んでくださいね。


D.C.F.L (ダ・カーポ ファンダメンタル・ラブ)
第114話「変革」

いったいここはどこだろうか?
立ち止まってあたりを見回してみると
見憶えるのある風景だった。
どうやら天枷家の近くの小さな公園のようだ。

なんだか今日は走ってばっかりだな。

はぁ、はぁ、はぁ。
夢中になって走ってきたものだから
額にはこの季節では珍しく汗が滲んでる。
ペース配分なんてくそ喰らえで全力疾走した感じなので
横っ腹も痛く息も乱れ肩で息をしている。

とりあえず何か飲んで落ち着こう。
そう思い近くにある自販機の前まで移動し
ズボンのポケットから財布を取り出して、
小銭入れのチャックを開け、
お金を入れようとしたが手が滑って
下に落としてしまった。

ジャラジャラジャラ!
うっわ~。
勢いよくしゃがんだら
小銭入れのチャックが全開で逆さ状態だったので
お金をぶちまけてしまった。
何やってるんだろうな、俺。

小銭を回収しようやく
缶コーヒーを購入してから
公園のベンチへ腰を落として
プルトップをあけて
喉の奥へと流し込む。

2,3口飲んで
ようやく自分の心が落ち着いたような気がする。

そして
はぁ、とこれ以上にない
特大のため息がこぼれた。

いったいどうなってるんだ?

ことりが目の前でふっ、と消えて
修ちゃんのマンションが無くなって
美咲姉さんの家が廃墟になってて
ともちゃんも、俺からの電話が意外な声で、
そしてまりあママのまるで他人を見るような目……。

あの目が頭から離れない。

「泥棒!」って、なんなんだよそれ!
血なんて繋がってないし苗字だって違う。
それでもまりあママは俺の事を
本当の息子のようにかわいがってくれていた。
間違った事をしたら叱ってくれたし、
困った事があったらすぐ助けてくれた。
俺だって母さんと同じぐらい”母親”だと思って接してきた。

なのに、なのにっ!
どうしてこうなっちゃったんだ?!
飲み終わった空き缶に八つ当たりして
鉄製の網のゴミ箱へと投げてみるが、
ノーコンなので外してしまう。

うう。
胸が、深く抉られたように苦しい……。

天を仰ぐと悔しいぐらいの満点の星空。
まるでこの状況を嘲笑っているようにすら見えてくる。

ことり……。
こんなところでのんびりしてる暇なんて、ない。
捜しに、行かなきゃ。
でも、何故か体が鉛のように重くて動かない。
動け、動け!って脳が命令してもまったく受け付けない。

くそっ!
ぐううう。
こんな時でも腹が減る。
なんだかそのことで自分の事が余計に嫌になる。

しばらくしてようやく体に力が入り、
ベンチから立ち上がりとぼとぼと歩き始めると
気がついたら母さんの家の前まで来ていた。

そうだ。
母さんに話して手を貸してもらお……う。
そう考えてインターフォンを押そうとした瞬間、
凍るように手先が固まってしまった。
もしかして母さんまでまりあママみたく拒絶されたらと思うと
怖くて押せない。

でも、他に頼れるところなんて残ってないし。

「あ、お兄さん」
「美晴」
声の方向に振り返ってみると
制服姿の妹がきょとんとした表情を見せて立っていた。

「どしたですか? 家の前でぼ~っと突っ立って」
「あ、いや、その……」
事情を説明するのがとても難しい。
でも美晴はちゃんと俺の事を認識していてくれて
なんだか抱きしめて頭ぐりぐりしたいぐらいの衝動に駆られた。

「お母さんと喧嘩でもしたとですか?」
その台詞を聞いてなんだか安心した。
どうやら白河家と違いここは大丈夫のようだ。

「あれ? お兄さん、靴は?」
靴?
美晴の視線をたどり
足元を見てみると俺は靴を履いておらず
靴下の状態で道路に立っていた。
しまった。
あわててベランダから逃げ出してきたから
靴は玄関に置きっぱなし。
それにまりあママの事がショックで
履いていない事すら気がつかなかった。

「ま、まさか学校でいじめとかに?!」
それ嫌がらせで靴隠されたってパターンか……。
さすがに昔はことりのファンクラブとかに鋭い視線とかいっぱい浴びていたけど
今のクラスはそのメンバーが誰一人おらず
さらにはみんなして俺達の交際を温かく……見守ってくれてはないな。
か、完全におもちゃにされてる感があるけど。

「桜公園のぬかるみにはまって、
 抜け出せなくなったから靴脱いできたんだ」
わ、我ながらなんて見苦しい言い訳。
「そうだったとですか」
あっさりと信じられてしまったぞ。
美晴、お前のその素直さは大変評価出来るが、
変なおじさんに「飴あげるからついておいで」と言われたら
本当についていきそうで怖いな。

「早く入りましょうです」
「あ、ああ」
美晴に続いて玄関に入り靴を、
履いてないから汚れた靴下のままだとまずいので脱いで
家の中へ入っていく。

「ただいまです~」
いつもながらの元気いっぱいの声でリビングに入っていく。
「あら、おかりなさい」
キッチンでは母さんが夕食の準備をしていた。

「もうすぐご飯よ。 二人とも着替えて手洗って来なさい」
「は~い」
美晴はタタタッと廊下を鳴らして自室へと向かっていく。

変わらない日常がそこにあり安心するも、
あれ?
ここも、何か変だ。
違和感を感じる……。

そうだ。
俺は去年ずっと離れ離れだった母さんと再会したのにもかかわらず
ことりと離れたくないというただそれだけの理由で
今も白河家で世話になってる。
でもやはり母さんや美晴、家族と交流したい訳で、
ここには最低でも週1回は泊まりに来ている。
しかも今日はその日ではないから
「急にどうしたの、凛?」と言われてもおかしくない。
なのにそれがない。
あたかも俺が始めからここに居るかのような声音だった。

とりあえず考えても仕方がない。
母さんも意外と俺に何かあっても
自分から話さない限り待っていてくれるタイプだし。
察して何も聞いてこないだけ、
気を使って何気ない素振りしてくれてるだけかもしれない。

まずはこの最悪な状況であるお腹を満たしてから
ことりを捜すことを相談しないと。
なんだか気分が落ち着かないし
俺は一回冷静になった方がいい。

天枷家にもある俺の部屋へ移動している時だった。
奥の畳の部屋からチーンと仏壇の前に置いてある
鈴(りん)を鳴らすような音が聞こえてきた。
気になったので覗いてみると、
んなっ!
「お父さん、ただいまですよ」
美晴が仏壇の前で正座して丁寧に手を合わせていた。
仏壇には父さんの写真、遺影が置いてある。
おかしい。
こんなもの前になかったはずだ。

無い理由は母さんに直接聞いた事はないがなんとなく分る。
たぶん母さんなりに天枷の親父さんに気をつかってるんだろう。
さすがに前の夫の写真なんてあったって嫌だろうしな。

ん?
なんだかこの家の中も変、だ。
通いなれた天枷家、
ぐるっと見た感じ家具の配置とか変化がない。
けれど、何かが足りない気がする。

なん……だ?
あっ!
きょろきょろしながら辿り着いた玄関で
俺はその理由が分った。
天枷の親父さんのものがなにもない!
玄関先に置いてある接待用のゴルフバックも
少し大きめの靴や愛用の靴べら、
失礼と思ったが廊下を逆戻りして
書斎を開けさせてもらったら
白河家同様物置小屋状態になっていた。

な、なんで親父さんのまでなくなってるんだ?
まさか?!
「お兄さん?」
美晴の横をすり抜けて再び玄関へ戻り
母さんのサンダルを借りて外へ出てみる。

う、わぁ……。
もう、開いた口が塞がらないというか、
そんな感じとしか言いようがなかった。
表札が”天枷”ではなく”姫乃”になってる。

そんな、バカな……。

目を瞬きさせて何回見ても表札は変わることはなかった。

家に入り
「どうしたとですか?」
「あ、いや。 なんでもない」
と私服姿の美晴にそう言って部屋へ向かう。

あ~もう、なんなんだよ?!
みんなが口裏合わせて俺をからかってるんだろうか?
なんて疑心暗鬼もしたが
素直で正直な塊でもある美晴が嘘をついているとも思えない。

もう何度目かの溜息をこぼしながら
天枷家での俺の部屋を開け、
明かりをつけると……。

おいおいおいおい、冗談にもほどがあるぞ?!

白河家の俺の部屋にあったはずの
モノが全部置いてあった。
ギター関係の本やアンプ、エフェクター
教科書など学校用具。
試しにクローゼットをあけたら白河家にしか
置いてないはずの服まである。
それに慌てて出てきたものだから
玄関先に置いた村雨ですらここにあった。

狐に化かされてるって、こんな気分なのか?

……………………………………
………………………………
…………………………

夕飯を食べ終わり部屋に戻る。
とりあえずお腹も満たされたから
ことりを捜しに行かなきゃな。

意欲も新たに準備を整えて部屋を出ようとした時、
その前に友人達に電話して
ことりが居るかどうか聞いてみよう。
そう思い携帯電話のフリップをあけてみたら、
あ、あれ?
画面がことりの写真じゃない!
操作してデータを見てみるが
やはりことりの写真画像が一つもない。
おかしい。
俺の携帯は杉並に改造されて
ことりの写真以外受け付けない仕様にされてしまっている。
着歌も彼女の歌声なんだけれど、
それも見てみたら着信音に戻ってる。

まさか?!
また嫌な予感が走り電話帳を開いてみると、
う……わぁ。

登録しておいたはずのH.C.Pのメンバー、
月城さんと美晴以外の電話番号が綺麗さっぱり消えていた。
嘘だろ?
もともとそんなに友達がいる方ではないので
件数は少ないんだけれど、
朝倉、水越、工藤、杉並とかはあるのに……。
あ、白河家やまりあママ、暦姉さん、
師匠のまでなくなってる。

そんな。
電話帳を消すなんてことしてないし、
一体どうなってるんだ?

パチッパチッと突然窓が叩かれる音が聞こえてきた。
何かと思い寄ってみると
どうやら雨が降り出してかなりの豪雨になっていた。
風も激しく時折打ちつける雨の力も強くなる。
くそっ!
これじゃ外に出られないじゃないか。

ことり、雨宿りしてるんだろうか?
いや、もし本当に消えたのだとしたら……。

はぁ。
携帯をベッドへ放り投げ、
そのままそこへ腰かけた後、
後ろへ倒れこむ。

一体全体どうなってるんだ。
何も分らない。
何も分らないことがイライラに拍車をかける。

「来ないで!」
あの時のことりの、
悲痛の叫びが頭から離れない。

消えてしまいたい……

なんだったんだ、あの頭に響いてきた声。

寂しそうな、辛そうな、
苦しそうな彼女の顔が浮かんでくる。

ことりが消えて、
修ちゃんや美咲姉さんも居なくなって、
白河家で俺が家族だって認識がなくなってて、
天枷家が姫乃家になってて、
あ~もう、訳が分らん!

これはきっと”夢”だ。
そうだ、神様かなにかのイタズラだ。
そうに決まってる。
じゃなかったらこうもおかしな世界になる訳なんてない。

今日はもう風呂に入ってご飯食べたら寝てしまおう。
一眠りしたらきっと元に戻ってる……

授業中の学校って恐ろしいほど静かで
物音一つ聞こえない世界だ。
ここから見えるグラウンドで
たぶん1年生が体育の授業をしているが
意外なほど音が入ってこない。
ここは保健室。
もちろんさっき倒れたことりの付添いのためここに居る。
授業が大事なのは重々承知しているけれど、
彼女の事が心配で受ける気にもなれない。
きっと今頃教室では
「姫乃はどうした?」
「愛しの彼女が倒れたので授業どころじゃないそうで~す」
なんて言われてるんだろうなぁ。
まぁ実際そうなんだけどさ。

「ん、んっ」
「ことり」
気がついたようでゆっくりと目を開いた。

「凛、くん?」
ベッドからゆっくりと体を起こすので
すかさず支える。
「大丈夫か?」
「私……」
シーツをぎゅっと握りながら左右を見回して
周りを確認している。
「体育の授業中、急に倒れたんだよ」
ほんと、マジ焦った。
心臓に悪い。
正直これっきりにして欲しい。

「ことり?」
顔色が真っ青だ。
まるでこの世の終わりみたいな顔をしている。

「凛くんは、どうしてここに?」
「どうしてって……、ことりの事が心配だからに決まってるだろ」
何当たり前のこと聞いてくるんだろ。

「そ、そっか」

………………………………………
…………………………………
……………………………

本日の練習も終わりギターをバックにしまう。
本来ならこの後師匠との練習が待っているのだけれど
今日は残業で遅くなるそうなのでなしになった。
しごかれなくて嬉しいような、
練習できなくて寂しいような……。

ことりは今日は来ていない。
もちろん学校であんな事があったからだ。
だから起き上がってからすぐ先生の許可をもらってまっすぐ家に帰した。
付き添っていこうかと思ったが「一人で大丈夫っスよ」と
言われてしまったのでとりあえず一人で帰してしまったので
マンションを出ると小走りに走りだした。
ことり、調子悪い時でも平気でご飯とか作ろうとするからな。
家帰って様子見て、
無理そうなら外食が店屋物で済ますかな。
あと風呂沸かして洗濯物もたたまなきゃ。

ことりが学校で倒れた事は師匠には伝えてない。
元々彼女は頭痛持ちで小さい頃からこういう事はよくあったらしいし、
また彼女もいらぬ心配をかけたくないとの意向からだ。
師匠、そんなこと聞いたら仕事放っぽり投げて飛んで帰ってくるだろうなぁ。
代りまりあママには伝えてある。
でもまぁなんかあっても学校に、
近くには暦姉さんもいるから
すぐ飛んできてくれるだろうしな。

ん?
ぷっ!
思わず立ち止まって吹いてしまった。
だって、いろいろ考えたらきっと暦姉さんが風見学園の講師になったのは
十中八九ことりの事が心配だからに間違いない。
面倒くさがりのあの人の事だから通勤時間が短いってのもあっただろうけど、
就職を希望した理由にそれが絶対含まれてると断言してもいい。
まったく、親バカならぬ姉バカだよなぁ。

通学路である桜公園の桜並木道に入っていく。
一瞬、足を止めてしまった。
あれほど傍若無人で問答無用に年中咲き乱れていた桜の花びら達。
その栄光がまるで嘘だったかのように跡形もなく散ってしまっている。
なれの果て、左右の木々の真ん中にある道にその面影だけが残ってる。
まだ春だっていうのにここだけ冬の季節のような錯覚。
なんだか寂しいものだな。

ようやく自宅までたどり着いたが、
あれ?
玄関の電気がついてない。
いつもはまるで出迎えてくれるかのように
オレンジ色の淡い光が照らされてるのに。
白河家がまるで深淵に浮かぶ古代の城のように見える。

門をくぐり
「ただいま~」と鍵をあけ中に入る。
うわっ、真っ暗だ。
とりあえず靴を脱いでから手探りで
壁にある廊下と玄関のスイッチをつけて視界を確保。
玄関を見てみるがやはりことりの靴が、ない?

病院に行ってるのか?
でもそれなら保険証を取りに一度帰ってきてるはずだ。
二階に上がり一応ノックしてからことりの部屋を覗くと、
ベッドにはもちろんおらず鞄も置いてなかった。
制服も壁のフックにかかってないし。

と、いう事は1回も家に帰ってきてない?
今日は倒れたのでまっすぐ家に帰るように言ったのに。

それにおかしい。
ことりがこの時間になってまで家にいないなんて
今まで無かった事だ。

いつも夕飯の準備に勤しんでる頃合。
なんだか嫌な予感が、胸騒ぎがする。
いつもどおり変な道に迷いこんで迷子になってるとか?
でもそれならすぐに携帯に電話をかけてくるはずだ。
もしかして最近台数が減っている公衆電話を見つけられないとか?
それとも学校から家に来る間に倒れたりとか?!
もしかして誘拐?!
いやいやいやこんな犯罪率が低い初音島で誘拐事件なんて
起こるわけなんてない。
で、でもことり可愛いからな。
だぁぁぁぁぁっ!
心配になってきた。

ポケットから携帯を取り出し
見てみたが師匠からのメール以外着信履歴もない。
何かあってからじゃ遅すぎる。
と、とにかく外へ捜しに行こう。
ああっ、くそっ!
こんな気持ちになるぐらいなら
嫌がってるけど携帯持たせるべきだった!
GPSがあればすぐに居場所を突き止められるのに。
今度の休みまりあママと絶対携帯ショップに行こう。

うう……。
俺も暦姉さん達の事は言えないな。
こういうの彼氏バカって言うんだろうか?

ともかく家を飛び出した俺はことりが行きそうな場所、
よく一緒に買い物に行くスーパー、
初音島唯一のCDショップや本屋、
母さんの声楽教室、
それからたまに買い食いする駄菓子屋とか
瀬馬さんの店とか手当たりしだい捜してみたがダメだった。

だんだん不安が増していく。

携帯を取り出して
みっくん、ともちゃん家
美咲姉さん、修ちゃん、
暦姉さんの所に片っ端から電話をかけてみたが
誰も知らないって言う。
もしかして入れ違いで戻ってるかと思い
家に電話をかけてみたが誰も出ない。

くそっ!
どこ行っちゃったんだ?!
本当に誘拐とかされてたら洒落にならないぞ。

あと行ってない所と言えばあそこぐらいか。
でもこんなに暗くなって居るとはとても思えないけど……。
ええいっ!
考えてる暇があるならとにかく行動だ。

桜公園のあの桜並木道に入り木々との間、
けもの道に入りしばらく歩くと突然大きな広場のような
空間にそびえ立つ一本の樹齢どれくらいだろう?と
考えさせられるほどの巨大な大桜。
いつ見ても圧巻だ。
しかし他の木と同様にずいぶんと花びらが散り
枝が裸にされてなんとも寂しい感じになっている。

ことりは……居た!
大桜から少し離れてそれを見上げている彼女を見つけた。
よかった。
安堵感が体を駆け巡り思わず力が抜けそうになる。

「ことり!」
少し大きめの声で名前を呼ぶと彼女がビクッと体を揺らす。

「捜したぞ。 どうしたんだよこんなところで?」
近寄り、手を伸ばして
「帰ろう」
手を掴んだら、パシン!
なっ……。

その手を弾かれてしまった。

「こ、来ないで!」
ことりは後ずさり、そして大桜に背中からぶつかる。
手を組んで胸元に寄せながら
怯えてるように体を震わせてる。

「ど、どうしたんだよ?」
手を弾かれてしまったのがよほどショックだったのか
うまく呂律がまわらず舌を噛みそうになる。
今までこんなことなかったのだ。
ことりは、いつでもどんな時でも俺を受け入れて
やさしく包んでくれている存在。
なのに、なんでこんな拒絶じみたこと……。
俺、ことりに嫌われるようなこと何かしたのだろうか?

「分からないの。 分からなく、なったの」
嗚咽を漏らすような、
折角の綺麗な声が曇って聞こえてくる。

分らないって、何が分らないんだ?
「みんなの気持ちが、お父さんやお母さんやお姉ちゃんの気持ちが」
「凛くんの気持ちが……」
俺の、気持ち?

瞳に涙を浮かべ訴える姿。
ことりが何を言っているのか全然分らなかった。


消えてしまいたい……


え……。
脳裏でことりの声が聞こえたと思った瞬間だった。

「な……」
消え、た?
光の粒がはじけて、
まるで手品のように一瞬でその場から居なくなってしまったのだ。
自分の目を思わず疑ってしまう。
何かの冗談かと目をこすってみたが、
彼女が立っていた位置には誰もいない。
「ことり?」

な、なんの冗談だコレ?
きっと俺を驚かそうとかなんかで、
杉並とかが仕掛けた手品かなんかに決まってる。
下に穴が空いてるとかで、
そう思いピンクの絨毯で覆われたところを足で剥いでみたが
落とし穴の類は見当たらなかった。
すぐさま大桜の裏を回ってみたり
木の上を見てみたりしたが誰もいない。

「おいおいおい。 何かくれんぼしてるんだよ?」
ザザザと風が花びらを揺らし空しく
ピンク色の雨を降らせてくる。

「ことりーーーーーーーーーーーーーー!」
大声で叫んでみたが反応すらない。
嘘だろ?

人が消えた?
一瞬で?
そんな、神隠しじゃあるまいし。

まだ本当はその辺に居るかもと思い
必死になって大桜の周辺を徹底的に捜したが、
彼女の痕跡すら見当たらなかった。
更に奥まで行こうと思ったが
これ以上は深い森になっていて
人が歩いていけるようなところではない。

いったんここから離れ公園内をあちこち捜してみたが
元々人口も少ないこの島、
こんな時間にこの公園を歩く人なんて
誰一人いなかった。

まるで誰もいない世界に置き去りにされたような感じがする程の
真っ暗で深淵の暗闇が広がる空間に感じる。
なんだ、なんだ、なんなんだこれ?

はぁ、はぁ、はぁ。
ずっと走りながら捜してるので息があがってくる。
いくらなんでも冗談にしてはひど過ぎる。

くそっ!
一体全体どうなってるんだ?
頭の中で状況が上手く整理できない。

とりあえず一人で捜してもラチがあかない。
まりあママや師匠も帰ってくる頃だろう。

その前に修ちゃん達に電話かけて助けてもらおう。
こういう時人数が多い方がいい。
だからポケットから携帯電話を取り出して親友に電話してみるが、
『おかけになった電話番号は現在使われておりません。 番号をお確かめになる……』
んなっ?!

何度もかけなおしてみたが結果は同じだった。
携帯の電話番号変えた?
でもそれならいくら修ちゃんでも事前に連絡くれるだろう。

とりあえず修ちゃん家行ってみよう。
ことりもスペアキー持ってるから居るかもしれないし。

………………………………
…………………………
……………………

嘘、だろ……。

開いた口が塞がらないって、
こういう事を言うのだろうか?

修ちゃんの家である駅前の高層マンションが、
そっくりそのままなくなっていた。
さら地になっているのだ。

そんなバカな?!
あんな大質量のものが一瞬で消えるなんて、
天と地がひっくり返ったって無理だろう。

いつも見慣れた周りの風景はまったく同じなのに、
なのに写真でその部分だけごっそりと切り取られたような感じだ。
ほんの数時間前までここで、
H.C.Pのみんなで練習していたのに!
狐に化かされる感じ。

マンションが無くなったって事は、
じゃあ修ちゃんはどこに行っちゃったんだ?
実家に……は帰る訳ないか。
女の人の所かはたまた美咲姉さんの家か……。

ズボンのポケットから携帯電話を取り出し
美咲姉さんの携帯へ電話してみる。
もしかしたらことりも一緒に居るかもしれない。
しかし、先ほどの修ちゃん時みたく繋がらなかった。

まさか、と思い今度は美咲姉さんの家へ駆け出して行った。

…………………………………
……………………………
………………………

駅前からそう遠くない見晴らしのいい小高い丘の上に鷺沢邸はある。
古い木造平屋の建築物で、
元々は武家屋敷で高名な武士が住んでいたらしい。
美咲姉さんがここに住むためだけに姉さんの親父さんが購入したものだ。

お屋敷はあった。
あったけれど、いつ見ても立派な門には表札もなく
周りの壁はボロボロでいたるところに雑草が生え
見るからに廃墟と化していた。
もうずいぶんと昔から人が住んでいない、そんな感じだ。
門は閉まっていて開かず
あるはずのインターフォンすらない。

壁にそっと触れてみたらひび割れた部分から
ボロボロと崩れ落ちていく。

こんなことって、あるのだろうか?
目の前にある現実が信じられない。
パニックになりそうだった。

ことり、修ちゃんだけなく
美咲姉さんまでいなくなるなんて……。

あ、そうだ。
他の、他のH.C.Pのメンバー、
ともちゃんに連絡してみよう。
ことりの親友の一人である彼女の所に居るのかもしれない。
「はい」
よかった、繋がった。

「あ、ともちゃん? 俺だけど」
「だ、誰ですか?」
出鼻を挫かれたような、そんな感じ。
向こうの携帯に俺のアドレス入ってるはずだから
かかってきたら分るはずなのに。
「俺だよ、姫乃凛」
「姫乃……君? 1組の? なんでこの携帯番号知ってるの?」
まるで本当に面識のない人間からの突然の電話で困惑している、
そんなような声だった。

心を深く抉られるようなショックが胸を打つ。
一瞬、携帯が手から滑り落ちそうになり
慌てて握りしめたものだから
電源ボタンを押してしまったようで切ってしまった。

そ、それよりも今度は
み、みっくんに……。
でもともちゃんと同じ反応をされそうで怖くなって
電話をかけれられなくなってしまった。

クソッ!

携帯を握りしめたまま
もしかして家に帰ってるかと思い
また走って戻ってみるが、
さっきと同じように明かりがついてなかった。

とりあえず鍵を開けて中へ入って
ことりの部屋を開け電気をつけてみる。
あ、あれ?

いったん廊下へ出て部屋の位置を確認してみる。
白河家の2階は4部屋あり、
俺、ことり、元暦姉さんで今は師匠の部屋、
そしてまりあママたちの寝室。
ことりの部屋は俺の隣で間違いないのに、
何故かいろいろな物が、まるで物置小屋状態になってる。

そんなバカな……。
だってさっき家に帰ってきた時は
彼女の部屋で間違いなかったし、
仮に物を移動させるにしたって
こんな短時間で部屋が移動したりする事なんて
物理的に不可能のはずだ。

念のため自分の部屋を開けてみたら
さらに目を疑うような状況になっていた。
師匠の部屋になっていたからだ。
正確に言うなら俺がまだ居候だった頃、
つまり部屋をもらう前の状態なっている。
俺の部屋は元々海外出張に出ていた時の師匠の部屋。
とうぶん帰ってこないだろうということで
家族として受け入れてもらった時
まりあママと暦姉さんがここを整理して用意してくれたものだ。

俺の相棒であるギター、村雨。
それに服や教科書とかギター関係の道具、
みんなどこにいったんだ?
2階の残りの部屋を開けてみる。
1つは記憶通りのまりあママ達の寝室だったが、
もう一つは暦姉さんの部屋らしい感じだった。
使っていた家具とかベッドとかが置いてあるが生活感がない。
お嫁に行ったから必要なものだけ持っていた感じだ。
でもおかしい。
暦姉さんは先生と暮らし始める時家財一式処分して、
ここが師匠の新しい部屋になったはずだ。

俺は頭がおかしくなっているのか?
夢でも見てるんだろうか?
マンガとか映画とかに出てくるパラレルワールドってやつにでも
迷い込んだのか?

ああ、訳が分らない……。

「ただいま~」
1階からまりあママの声が聞こえてきた。
よかった帰ってきてくれた。
心に安心感が戻ってきたが、
早速ことりの事を話さなきゃ!

「まりあママ、大変なんだ! ことりが……」
階段を降り、玄関に立つ母上様に事の事情を話そうとしたが
俺の姿を見るなりきょとんとしていた。
そしてみるみる瞳がまるで信じられないものでもみるように大きくなっていく。
「どち……ら、さま?」
固まりつつも震える声で訊ねてくる。
どちらさまって、何言ってるんだよ。
「まりあママ?」
「きゃー! 泥棒!」
なっ!
まりあママが甲高い声をあげて叫ぶ。
泥棒、俺が?
「まりあママ俺だよ!」
「救急車。 じゃなくって、警察!」
そんな俺を無視して外に飛び出て叫び続ける。

とりあえず本能からなのか分からなかったが
ここに居るとまずいと判断し、
あわててリビングに逃げ、
庭へ通ずる窓を開けて外へ飛び出して行った。

俺が、泥棒?
まりあママ……。
一体全体どうなってるんだ、ちくしょう!!

つづく

―――次回予告
みなさんこんにちは、鷺澤美咲です。

本当にどうなってしまったんでしょう?
ことりさんが消えてしまい、
ことりさんのお母様まで
まるで凛さんのことを分かっていないようで……。

さて次回は……

白河家を後にし天枷家にたどり着いた凛さん。
美春さんもおばさまも凛さんのことをちゃんと
家族として認識されていましたが
家の中が変わっていて……

次回、D.C.F.L 第114話「変革」
みなさんまた、読んでくださいね。