授業中の学校って恐ろしいほど静かで
物音一つ聞こえない世界だ。
ここから見えるグラウンドで
たぶん1年生が体育の授業をしているが
意外なほど音が入ってこない。
ここは保健室。
もちろんさっき倒れたことりの付添いのためここに居る。
授業が大事なのは重々承知しているけれど、
彼女の事が心配で受ける気にもなれない。
きっと今頃教室では
「姫乃はどうした?」
「愛しの彼女が倒れたので授業どころじゃないそうで~す」
なんて言われてるんだろうなぁ。
まぁ実際そうなんだけどさ。

「ん、んっ」
「ことり」
気がついたようでゆっくりと目を開いた。

「凛、くん?」
ベッドからゆっくりと体を起こすので
すかさず支える。
「大丈夫か?」
「私……」
シーツをぎゅっと握りながら左右を見回して
周りを確認している。
「体育の授業中、急に倒れたんだよ」
ほんと、マジ焦った。
心臓に悪い。
正直これっきりにして欲しい。

「ことり?」
顔色が真っ青だ。
まるでこの世の終わりみたいな顔をしている。

「凛くんは、どうしてここに?」
「どうしてって……、ことりの事が心配だからに決まってるだろ」
何当たり前のこと聞いてくるんだろ。

「そ、そっか」

………………………………………
…………………………………
……………………………

本日の練習も終わりギターをバックにしまう。
本来ならこの後師匠との練習が待っているのだけれど
今日は残業で遅くなるそうなのでなしになった。
しごかれなくて嬉しいような、
練習できなくて寂しいような……。

ことりは今日は来ていない。
もちろん学校であんな事があったからだ。
だから起き上がってからすぐ先生の許可をもらってまっすぐ家に帰した。
付き添っていこうかと思ったが「一人で大丈夫っスよ」と
言われてしまったのでとりあえず一人で帰してしまったので
マンションを出ると小走りに走りだした。
ことり、調子悪い時でも平気でご飯とか作ろうとするからな。
家帰って様子見て、
無理そうなら外食が店屋物で済ますかな。
あと風呂沸かして洗濯物もたたまなきゃ。

ことりが学校で倒れた事は師匠には伝えてない。
元々彼女は頭痛持ちで小さい頃からこういう事はよくあったらしいし、
また彼女もいらぬ心配をかけたくないとの意向からだ。
師匠、そんなこと聞いたら仕事放っぽり投げて飛んで帰ってくるだろうなぁ。
代りまりあママには伝えてある。
でもまぁなんかあっても学校に、
近くには暦姉さんもいるから
すぐ飛んできてくれるだろうしな。

ん?
ぷっ!
思わず立ち止まって吹いてしまった。
だって、いろいろ考えたらきっと暦姉さんが風見学園の講師になったのは
十中八九ことりの事が心配だからに間違いない。
面倒くさがりのあの人の事だから通勤時間が短いってのもあっただろうけど、
就職を希望した理由にそれが絶対含まれてると断言してもいい。
まったく、親バカならぬ姉バカだよなぁ。

通学路である桜公園の桜並木道に入っていく。
一瞬、足を止めてしまった。
あれほど傍若無人で問答無用に年中咲き乱れていた桜の花びら達。
その栄光がまるで嘘だったかのように跡形もなく散ってしまっている。
なれの果て、左右の木々の真ん中にある道にその面影だけが残ってる。
まだ春だっていうのにここだけ冬の季節のような錯覚。
なんだか寂しいものだな。

ようやく自宅までたどり着いたが、
あれ?
玄関の電気がついてない。
いつもはまるで出迎えてくれるかのように
オレンジ色の淡い光が照らされてるのに。
白河家がまるで深淵に浮かぶ古代の城のように見える。

門をくぐり
「ただいま~」と鍵をあけ中に入る。
うわっ、真っ暗だ。
とりあえず靴を脱いでから手探りで
壁にある廊下と玄関のスイッチをつけて視界を確保。
玄関を見てみるがやはりことりの靴が、ない?

病院に行ってるのか?
でもそれなら保険証を取りに一度帰ってきてるはずだ。
二階に上がり一応ノックしてからことりの部屋を覗くと、
ベッドにはもちろんおらず鞄も置いてなかった。
制服も壁のフックにかかってないし。

と、いう事は1回も家に帰ってきてない?
今日は倒れたのでまっすぐ家に帰るように言ったのに。

それにおかしい。
ことりがこの時間になってまで家にいないなんて
今まで無かった事だ。

いつも夕飯の準備に勤しんでる頃合。
なんだか嫌な予感が、胸騒ぎがする。
いつもどおり変な道に迷いこんで迷子になってるとか?
でもそれならすぐに携帯に電話をかけてくるはずだ。
もしかして最近台数が減っている公衆電話を見つけられないとか?
それとも学校から家に来る間に倒れたりとか?!
もしかして誘拐?!
いやいやいやこんな犯罪率が低い初音島で誘拐事件なんて
起こるわけなんてない。
で、でもことり可愛いからな。
だぁぁぁぁぁっ!
心配になってきた。

ポケットから携帯を取り出し
見てみたが師匠からのメール以外着信履歴もない。
何かあってからじゃ遅すぎる。
と、とにかく外へ捜しに行こう。
ああっ、くそっ!
こんな気持ちになるぐらいなら
嫌がってるけど携帯持たせるべきだった!
GPSがあればすぐに居場所を突き止められるのに。
今度の休みまりあママと絶対携帯ショップに行こう。

うう……。
俺も暦姉さん達の事は言えないな。
こういうの彼氏バカって言うんだろうか?

ともかく家を飛び出した俺はことりが行きそうな場所、
よく一緒に買い物に行くスーパー、
初音島唯一のCDショップや本屋、
母さんの声楽教室、
それからたまに買い食いする駄菓子屋とか
瀬馬さんの店とか手当たりしだい捜してみたがダメだった。

だんだん不安が増していく。

携帯を取り出して
みっくん、ともちゃん家
美咲姉さん、修ちゃん、
暦姉さんの所に片っ端から電話をかけてみたが
誰も知らないって言う。
もしかして入れ違いで戻ってるかと思い
家に電話をかけてみたが誰も出ない。

くそっ!
どこ行っちゃったんだ?!
本当に誘拐とかされてたら洒落にならないぞ。

あと行ってない所と言えばあそこぐらいか。
でもこんなに暗くなって居るとはとても思えないけど……。
ええいっ!
考えてる暇があるならとにかく行動だ。

桜公園のあの桜並木道に入り木々との間、
けもの道に入りしばらく歩くと突然大きな広場のような
空間にそびえ立つ一本の樹齢どれくらいだろう?と
考えさせられるほどの巨大な大桜。
いつ見ても圧巻だ。
しかし他の木と同様にずいぶんと花びらが散り
枝が裸にされてなんとも寂しい感じになっている。

ことりは……居た!
大桜から少し離れてそれを見上げている彼女を見つけた。
よかった。
安堵感が体を駆け巡り思わず力が抜けそうになる。

「ことり!」
少し大きめの声で名前を呼ぶと彼女がビクッと体を揺らす。

「捜したぞ。 どうしたんだよこんなところで?」
近寄り、手を伸ばして
「帰ろう」
手を掴んだら、パシン!
なっ……。

その手を弾かれてしまった。

「こ、来ないで!」
ことりは後ずさり、そして大桜に背中からぶつかる。
手を組んで胸元に寄せながら
怯えてるように体を震わせてる。

「ど、どうしたんだよ?」
手を弾かれてしまったのがよほどショックだったのか
うまく呂律がまわらず舌を噛みそうになる。
今までこんなことなかったのだ。
ことりは、いつでもどんな時でも俺を受け入れて
やさしく包んでくれている存在。
なのに、なんでこんな拒絶じみたこと……。
俺、ことりに嫌われるようなこと何かしたのだろうか?

「分からないの。 分からなく、なったの」
嗚咽を漏らすような、
折角の綺麗な声が曇って聞こえてくる。

分らないって、何が分らないんだ?
「みんなの気持ちが、お父さんやお母さんやお姉ちゃんの気持ちが」
「凛くんの気持ちが……」
俺の、気持ち?

瞳に涙を浮かべ訴える姿。
ことりが何を言っているのか全然分らなかった。


消えてしまいたい……


え……。
脳裏でことりの声が聞こえたと思った瞬間だった。

「な……」
消え、た?
光の粒がはじけて、
まるで手品のように一瞬でその場から居なくなってしまったのだ。
自分の目を思わず疑ってしまう。
何かの冗談かと目をこすってみたが、
彼女が立っていた位置には誰もいない。
「ことり?」

な、なんの冗談だコレ?
きっと俺を驚かそうとかなんかで、
杉並とかが仕掛けた手品かなんかに決まってる。
下に穴が空いてるとかで、
そう思いピンクの絨毯で覆われたところを足で剥いでみたが
落とし穴の類は見当たらなかった。
すぐさま大桜の裏を回ってみたり
木の上を見てみたりしたが誰もいない。

「おいおいおい。 何かくれんぼしてるんだよ?」
ザザザと風が花びらを揺らし空しく
ピンク色の雨を降らせてくる。

「ことりーーーーーーーーーーーーーー!」
大声で叫んでみたが反応すらない。
嘘だろ?

人が消えた?
一瞬で?
そんな、神隠しじゃあるまいし。

まだ本当はその辺に居るかもと思い
必死になって大桜の周辺を徹底的に捜したが、
彼女の痕跡すら見当たらなかった。
更に奥まで行こうと思ったが
これ以上は深い森になっていて
人が歩いていけるようなところではない。

いったんここから離れ公園内をあちこち捜してみたが
元々人口も少ないこの島、
こんな時間にこの公園を歩く人なんて
誰一人いなかった。

まるで誰もいない世界に置き去りにされたような感じがする程の
真っ暗で深淵の暗闇が広がる空間に感じる。
なんだ、なんだ、なんなんだこれ?

はぁ、はぁ、はぁ。
ずっと走りながら捜してるので息があがってくる。
いくらなんでも冗談にしてはひど過ぎる。

くそっ!
一体全体どうなってるんだ?
頭の中で状況が上手く整理できない。

とりあえず一人で捜してもラチがあかない。
まりあママや師匠も帰ってくる頃だろう。

その前に修ちゃん達に電話かけて助けてもらおう。
こういう時人数が多い方がいい。
だからポケットから携帯電話を取り出して親友に電話してみるが、
『おかけになった電話番号は現在使われておりません。 番号をお確かめになる……』
んなっ?!

何度もかけなおしてみたが結果は同じだった。
携帯の電話番号変えた?
でもそれならいくら修ちゃんでも事前に連絡くれるだろう。

とりあえず修ちゃん家行ってみよう。
ことりもスペアキー持ってるから居るかもしれないし。

………………………………
…………………………
……………………

嘘、だろ……。

開いた口が塞がらないって、
こういう事を言うのだろうか?

修ちゃんの家である駅前の高層マンションが、
そっくりそのままなくなっていた。
さら地になっているのだ。

そんなバカな?!
あんな大質量のものが一瞬で消えるなんて、
天と地がひっくり返ったって無理だろう。

いつも見慣れた周りの風景はまったく同じなのに、
なのに写真でその部分だけごっそりと切り取られたような感じだ。
ほんの数時間前までここで、
H.C.Pのみんなで練習していたのに!
狐に化かされる感じ。

マンションが無くなったって事は、
じゃあ修ちゃんはどこに行っちゃったんだ?
実家に……は帰る訳ないか。
女の人の所かはたまた美咲姉さんの家か……。

ズボンのポケットから携帯電話を取り出し
美咲姉さんの携帯へ電話してみる。
もしかしたらことりも一緒に居るかもしれない。
しかし、先ほどの修ちゃん時みたく繋がらなかった。

まさか、と思い今度は美咲姉さんの家へ駆け出して行った。

…………………………………
……………………………
………………………

駅前からそう遠くない見晴らしのいい小高い丘の上に鷺沢邸はある。
古い木造平屋の建築物で、
元々は武家屋敷で高名な武士が住んでいたらしい。
美咲姉さんがここに住むためだけに姉さんの親父さんが購入したものだ。

お屋敷はあった。
あったけれど、いつ見ても立派な門には表札もなく
周りの壁はボロボロでいたるところに雑草が生え
見るからに廃墟と化していた。
もうずいぶんと昔から人が住んでいない、そんな感じだ。
門は閉まっていて開かず
あるはずのインターフォンすらない。

壁にそっと触れてみたらひび割れた部分から
ボロボロと崩れ落ちていく。

こんなことって、あるのだろうか?
目の前にある現実が信じられない。
パニックになりそうだった。

ことり、修ちゃんだけなく
美咲姉さんまでいなくなるなんて……。

あ、そうだ。
他の、他のH.C.Pのメンバー、
ともちゃんに連絡してみよう。
ことりの親友の一人である彼女の所に居るのかもしれない。
「はい」
よかった、繋がった。

「あ、ともちゃん? 俺だけど」
「だ、誰ですか?」
出鼻を挫かれたような、そんな感じ。
向こうの携帯に俺のアドレス入ってるはずだから
かかってきたら分るはずなのに。
「俺だよ、姫乃凛」
「姫乃……君? 1組の? なんでこの携帯番号知ってるの?」
まるで本当に面識のない人間からの突然の電話で困惑している、
そんなような声だった。

心を深く抉られるようなショックが胸を打つ。
一瞬、携帯が手から滑り落ちそうになり
慌てて握りしめたものだから
電源ボタンを押してしまったようで切ってしまった。

そ、それよりも今度は
み、みっくんに……。
でもともちゃんと同じ反応をされそうで怖くなって
電話をかけれられなくなってしまった。

クソッ!

携帯を握りしめたまま
もしかして家に帰ってるかと思い
また走って戻ってみるが、
さっきと同じように明かりがついてなかった。

とりあえず鍵を開けて中へ入って
ことりの部屋を開け電気をつけてみる。
あ、あれ?

いったん廊下へ出て部屋の位置を確認してみる。
白河家の2階は4部屋あり、
俺、ことり、元暦姉さんで今は師匠の部屋、
そしてまりあママたちの寝室。
ことりの部屋は俺の隣で間違いないのに、
何故かいろいろな物が、まるで物置小屋状態になってる。

そんなバカな……。
だってさっき家に帰ってきた時は
彼女の部屋で間違いなかったし、
仮に物を移動させるにしたって
こんな短時間で部屋が移動したりする事なんて
物理的に不可能のはずだ。

念のため自分の部屋を開けてみたら
さらに目を疑うような状況になっていた。
師匠の部屋になっていたからだ。
正確に言うなら俺がまだ居候だった頃、
つまり部屋をもらう前の状態なっている。
俺の部屋は元々海外出張に出ていた時の師匠の部屋。
とうぶん帰ってこないだろうということで
家族として受け入れてもらった時
まりあママと暦姉さんがここを整理して用意してくれたものだ。

俺の相棒であるギター、村雨。
それに服や教科書とかギター関係の道具、
みんなどこにいったんだ?
2階の残りの部屋を開けてみる。
1つは記憶通りのまりあママ達の寝室だったが、
もう一つは暦姉さんの部屋らしい感じだった。
使っていた家具とかベッドとかが置いてあるが生活感がない。
お嫁に行ったから必要なものだけ持っていた感じだ。
でもおかしい。
暦姉さんは先生と暮らし始める時家財一式処分して、
ここが師匠の新しい部屋になったはずだ。

俺は頭がおかしくなっているのか?
夢でも見てるんだろうか?
マンガとか映画とかに出てくるパラレルワールドってやつにでも
迷い込んだのか?

ああ、訳が分らない……。

「ただいま~」
1階からまりあママの声が聞こえてきた。
よかった帰ってきてくれた。
心に安心感が戻ってきたが、
早速ことりの事を話さなきゃ!

「まりあママ、大変なんだ! ことりが……」
階段を降り、玄関に立つ母上様に事の事情を話そうとしたが
俺の姿を見るなりきょとんとしていた。
そしてみるみる瞳がまるで信じられないものでもみるように大きくなっていく。
「どち……ら、さま?」
固まりつつも震える声で訊ねてくる。
どちらさまって、何言ってるんだよ。
「まりあママ?」
「きゃー! 泥棒!」
なっ!
まりあママが甲高い声をあげて叫ぶ。
泥棒、俺が?
「まりあママ俺だよ!」
「救急車。 じゃなくって、警察!」
そんな俺を無視して外に飛び出て叫び続ける。

とりあえず本能からなのか分からなかったが
ここに居るとまずいと判断し、
あわててリビングに逃げ、
庭へ通ずる窓を開けて外へ飛び出して行った。

俺が、泥棒?
まりあママ……。
一体全体どうなってるんだ、ちくしょう!!

つづく

―――次回予告
みなさんこんにちは、鷺澤美咲です。

本当にどうなってしまったんでしょう?
ことりさんが消えてしまい、
ことりさんのお母様まで
まるで凛さんのことを分かっていないようで……。

さて次回は……

白河家を後にし天枷家にたどり着いた凛さん。
美春さんもおばさまも凛さんのことをちゃんと
家族として認識されていましたが
家の中が変わっていて……

次回、D.C.F.L 第114話「変革」
みなさんまた、読んでくださいね。