37歳で乳がんがわかり手術、
4年間の抗がん剤治療を終わって
体外受精をしたけれでも結果がでなかった。
そして、
ついに43歳で自然妊娠されたYさん。
↓ ↓ ↓
乳がんを乗り越えて(前編)
「エコーで心拍確認ができた時、
動いているのを見て
涙が出ました。
でも、
その4日後・・・
出血したんです。
慌てて病院に行って診てもらったら
赤ちゃんの心拍が止まってました。
日をおいて診てもらったけど
全く成長してないし、
今回はダメだろうと・・・
わたし、
妊娠するまでは
できることしか考えてなかったんです。
それなのに、
妊娠してからは、
すごくうれしいんだけど、
一方で余計なことばっかり考えて・・・
出生前診断はどうしよう。
羊水検査はどうしよう。
うれしいんだけど、
そんなこともたくさん考えてて。
そのくせ、
仕事はいつも通りに出て、
力仕事もして。
私が悪かったのかなぁ。。。。
そう思って落ち込みました。
落ち込んでたら、
だんなに言われたんです。
『そんなに言うんだったら、
こどもなんて最初から諦めたほうがいいよ。
妊娠する力があっただけでも、
すごいことじゃん。
今回はダメだったかもしれないけど、
奇跡が起きるってことがわかったんだよ』
って。」
Yさんは、いつも元気で、
明るく話をされる。
死と向き合った人だからなのか、
もともとのYさんらしさなのか、
それとも、
今までのいろいろな経験がそうさせているのか、
ぼくにはわからないけど。
いつも、エネルギーにあふれてる。
今回もとても悲しい話のはずなのに、
Yさんの言葉は、
とても力強い。
ふと、
5月に亡くなられたお父さんの話になった。
「父と大げんかをして家を出て、
家を出たっきり、
10年間ずっとクソジジイと思ってました。
『二度と帰ってくるな!』
って言われて、
本当に帰らなかったんです。
父に負けたくない。
負けるもんかって思って仕事をしてきました。
でも、
5月に父が亡くなって。
久しぶりに実家に帰って
亡くなった父が寝ている姿を見た時。
最初に出てきた言葉が、
『育ててくれてありがとう』
だったんです。
家にいた時はケンカのたびに、
『育ててやったのに!』
って言われて、
『育てるのは親だからあたり前だろ!』
って言い返してたのに、
不思議ですよね。
父の友人から、
『あいつも長女だから、
そろそろ家に帰さないとな』
って話してたと聞いて。
父もわたしに会いたがってたんだなぁって。
遺影の写真が、
すごい笑ってるんですよ~。
こんな顔、
今まで、わたしには見せたことがないのに」
手術の難しい乳がんになって治療をして。
自力では無理と言われたのに
自然妊娠できて。
生命は不思議に満ちている。
でも、
ぼくはYさんの話を聞きながら思う。
ひとつひとつ。
積み重ねていったものが、
結びついていくんだな。
目には見えなくても、
地中に深く、深く根を張って。
そして形になった時、
奇跡のように見えるだけだと思う。
この1年間、Yさんが積み上げてきたこと。
経験してきたこと。
1年前といまと違うこと。
なにより、
お父さんにありがとうって言えたこと。
気持ちを受け止めれたこと。
それが、
妊娠に結びついたんだと思う。
そして
流産はしたけれど、
それをご主人とふたりで、
すでに
自信に変えられてる気がするんだよね。
「お父さんが亡くなってから、
よく実家に帰るんです。
お墓参りしたり、
近所の神社に参ったり。
乳がんの先生は、
たくさん生死をみてるからか、
なんかすごい人なんですけど。
そのことを話したら、
こう言われたんです。
『そういうことがよかったんじゃないか』
って、
『計算では成り立たないことが
世の中にはあるからね』
って」
Yさん、
ぼくもそう思う。