Yさんは、10年以上も病院で不妊治療をされていました。
ぼくのところにきていただいてからも5年。
途中、いろんなことがありながらも治療を続けられていました。
「わたし、そろそろやめようと思います。
もう、次の治療に向かう気力がないんです。
年齢のこともあるし、
ふたりのこれからを考えないといけないのかなぁ
と思ったり・・・
100%納得をしているわけではないけど、
諦める方に心が傾いてます。」
ご主人とは話し合われたんですか?
「主人は、わたしがやりたいなら、
という感じで治療には付き合ってくれてたんです。
今思うと
昔は、ただ赤ちゃんがほしい、ほしい。
という思いだけでがんばってきたけど・・・
40を過ぎてからかなぁ、
治療をしながら
これで妊娠して生まれても、
小学校に上がる時にわたしは何歳、
成人する時には何歳。
大丈夫かしら・・・
そんな不安を感じたりしてたんですよ。
おかしいですよね、
妊娠してもないのに・・・」
いろいろなお話をしながら、
ひとつ気になったことがありました。
適切な質問ではないかもしれないけど
妊娠することって
赤ちゃんを授かることって、
Yさんにとって、
どんなことだったんですか?
「うーん・・・
わたしのまわりって結婚してこどもがいない人が
友達、親戚をふくめてホントいなかったんですよね。
だから、どういう意味とかではなくて、
あたりまえというか。
結婚したら子供ができるっていうのが
あまりにも普通のことだと思っていて。
それ以外の価値観が想像できなかったのかなぁ。
他の価値観が認めれないとか
受け入れられないではなくて、
本当に、全く想像できなかった。」
「結婚したら、こどもがいてあたりまえ」
そうですよね。
社会の中の「あたりまえ」という価値観の中で
小さい頃から育ってきたんですもんね。
それ以外のことって見えなくなりますよね。
「あたりまえ」と思っている以外の
価値観が全く想像できなかった。
そう言われたYさんの言葉が
考えもしなかった言葉で、
なんだか、すごく心に響きました。
ぼくたちは、
社会の中の「常識」や「あたりまえ」の中で
育ってきていて。
そんな「あたりまえ」や「普通」のことに影響を受けながら
自分の中の価値観を作っていく。
「普通」や「あたりまえ」から、
少しずれただけなのに、
別に悪いことをしているわけではないのに、
それが、
とても、
とても、
しんどかったり、
つらかったりします。
「不妊」がつらいのは、
それも大きな理由のひとつなのかもしれない。
世の中のあたりまえは、
まるで当然という顔をして、
自分を取り囲んでしまうから。
ぼくはね、思うんですよ。
選択をするでしょう?
仕方なく選ぶ場合でも、
最後は自分が決めるでしょう?
選択そのものには良し悪しがなくて、
その選択を良いものにするかどうかは、
選んだ後に自分が決めていくものだって。
治療を続けることも、
やめることも。
その中の選択のひとつなんだって。
「これからは夫とふたりの生活というか、
新しい価値観を見つけていくんだなぁって思います。」
やさしく微笑まれたYさんは、
きっとすてきな新しい価値観を見つけられる。
ぼくは、そんな予感がします。
最後までカウンセリングに来ていただいて、
そして、お話をご紹介することを了承していただいて
本当にありがとうございます。