保坂和志には本当によく考えさせる。
「小説論」とは「思考論」かもしれない。
私も書き物をするけれど、それが思考しているように表現できているのか省みなければならない。
今、まさに思考しているその瞬間を文字にのせていく、文字に起しながら同時に思考することになっている。そのように書けているのだろうか…。
購入から2年以上・・
やっと読了致しました
この本のおかけでまた課題図書が増えました
「人の話がおもしろいと感じるのは、聞く側にも同じくらいあるはずの記憶や知識と遠く響くからなのではないか。
そういうことが人間という存在の広がりではないか―」
読んでたくさん考えたことがありすぎて、もう最初のほうに 書いてあったことなんか、ほぼ忘れているに等しいけれど、これは最後のほうに書いてあった言葉です。これを読んで、友達ってこういう存在だよな、と思いました。なんで小説論を読んでこんな感想なのか?という疑問はなしで。小説を発端に、思考が思考を呼び、くっついたり、ときには離れたり、重なったりする本です。
やっと読了致しました
この本のおかけでまた課題図書が増えました
「人の話がおもしろいと感じるのは、聞く側にも同じくらいあるはずの記憶や知識と遠く響くからなのではないか。
そういうことが人間という存在の広がりではないか―」
読んでたくさん考えたことがありすぎて、もう最初のほうに 書いてあったことなんか、ほぼ忘れているに等しいけれど、これは最後のほうに書いてあった言葉です。これを読んで、友達ってこういう存在だよな、と思いました。なんで小説論を読んでこんな感想なのか?という疑問はなしで。小説を発端に、思考が思考を呼び、くっついたり、ときには離れたり、重なったりする本です。
普段、私たちが読んでいる「小説」とは、あくまで「」つきの「小説」でしかないのではないか、と考えさせられた。
「」つきでない小説とは、ある種の運動のようなもの、あるいは読者(作者も含め)に運動させるものではないのだろうか(運動≒思考)。だとしたら、「」つきでない小説は、今は少ないのかもしれないと思う。
もう少し、小説とは何かという答えのない問いについて考えなくてはいけない、と思った作品でした。