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司法書士 荒谷直樹のブログ

埼玉県所沢市の司法書士フラワー総合事務所代表。ジャンル問わず「本音」で書いているブログです。法律&メンタル&個人的戯言、などなど。司法書士としては相続登記~訴訟支援まで、幅広く相談を受けています。話をよく聴くタイプの司法書士です(^^)

 クリティカル・シンキングという考え方がある。直訳は批判的思考だが、「より良い思考」のことである。自分がどんな態度で、日々考えているか???について、以下のことを手掛かりにして考えてみると面白い。

 

 クリティカル・シンキングに必要な要素として、以下のようなものが挙げることができる。

 

・ものごとを筋道を立てて論理的に考えようとする⇒論理的思考

 

・好奇心旺盛で、いろいろなことを学ぶ姿勢⇒探究心

 

・感情や主観によらず、できるだけ客観的にとらえる⇒客観性

 

・判断を下す際には証拠の質や量を重視する⇒証拠の重視

 

・結論を急いで出さずに、時間をかけてしっかり考える⇒熟慮

 

・どんな主張も鵜吞みにせず、間違いや不確実性がないかチェックを心がける⇒知的懐疑

 

・重要なことは、いろいろな立場や考え方を考慮する⇒開かれた心

 

・自分の考え方が偏ってないか、考える⇒メタ認知

 

・自分と違う意見でも、正しいものは認めることができる⇒知的誠実性

 

 思考する際に、こういう要素が組合させられると「良い思考」になると言われている。問題の性質や内容に応じて、中核となる要素を変えていけば良い。

 

 クリティカル・シンキングとは、さまざまな情報をその前提を含めて明確に適切に読み取り、またさらなる探索を行い、それらの土台をもとに合理的な推論を行って結論を導出し、そして、そこから具体的な問題解決につなげていく訓練された思考である。この思考は、未来を切り開くの能力の基盤として不可欠のものと考える。

 

 今、政治家がパワハラだ、金銭授受だ、総理が戯言を連発するだ、毎日「考える題材」に事欠かない。こういう要素を意識しながら考えてみると面白い。また問題を起こす政治家自身にこういう思考能力が備わっているかを考察してみるのもたいへん面白い。わたしは、問題を起こす政治家には、こういう思考基盤がそもそも備わっていないのだと思っている。だからトンチンカンなことばかり言ったり、やったりするのである。

 

 こういう枠組みがあること自体を意識していると、考えるのが楽になる。その前提・背景に、知識や経験がある。それらが豊富であるほど、より良い思考につながっていくはずである。知識や経験を有機的に組み合わせて、総合的・複合的に思考するのである。


 そうすれば、二度と変な総理に熱狂することはなくなると思う。感情だけに流されたから、今みたいになってしまったのである。


 


 


 

 

 

 わたしが好きなトトロの作者宮崎駿さんのことば。デスクの横にも、ワードで打ったものを貼り付けてある。

 

 

☆理想を失わない

 現実主義者にならないといけないんです。

 

 理想のない

 現実主義者ならいくらでもいるんですよ。

 

 職業に置き換えてみると分かりやすいと思う。わたしなら

 

★理想を失わない

 司法書士にならないといけないんです。

 

 理想のない

 司法書士ならいくらでもいるんですよ。

 

 理想とは、職責とか使命とか本来の在り方とか、人間として好ましい存在のしかたとかそういうものだと思う。

 

 ちなみに。司法書士の職務・職責は、司法書士法や司法書士行為規範というものに書かれている。そこには、司法書士の理想の在り方が描かれている。我々司法書士が生まれたのは1872年である。当時は代書人といい、戦前に一度司法代書人に改名し、その後、司法書士となった。1872年当時、代言人=現在の弁護士、証書人=現在の公証人が他にいた。明治に入って、司法制度が誕生し、国民が司法制度を使うことを想定して誕生した職能たちである。(だから、そもそもが司法書士は「法律実務家」なのである。なにも弁護士だけが法律家なのではない。たぶん、ほとんどの国民がそのことを知らない)

 

 司法書士のルーツはここにある。しかしである。現在の司法書士はどうであろうか???司法書士法をみれば、今も当時の代書人の系譜をひく職能であることが明白である。ところが。現在の多くの司法書士は、金太郎飴を切ったみたいに、同じようなことしかやっていない。登記ばかり、相続ばかり、後見ばかり、債務整理ばかり。効率的にカネになる業務しかやろうとしないのが、ほとんどではないか???世の中の人は、司法書士を「法律実務家」とは思っていないであろう。登記とか相続のことぐらいしか頼めない、相談できないと思っていると思う。いまだに「司法書士って何をしている人なんですか?」と聞かれることが多い。困った時に、相談する職能とはみなされていないと推測している。

 

 理由は理想のない司法書士が増殖したからである。みな商売人・ビジネスマンになってしまった。ボランティアではないから、金を稼ぐ必要性はもちろんある。だが、完全に理想を失ってしまってはダメだと思う。「法律問題は弁護士さんへ」と反射的に言っている司法書士は、今すぐ司法書士を辞めた方が良いと思う。登記ばかりやってる司法書士にそういうやつが非常に多い。六法すら開かなくなった司法書士たちである。

 

 これは、他の職業も同じ。政治家もそう。完全に商売人みたいになって、金さえ稼げれば良いと思ったら、たぶんおしまいである。一度腐ったら、福岡の県議のロクでもない集合体の一員みたいになる。福岡はちょっとひどい。

 

★理想を失わない

政治家にならないといけないんです。

 

理想のない

政治家ならいくらでもいるんですよ。

 

 理想のない政治家とは、選挙で当選さえすれば、給料をもらえると思って、普段は適当なことをやっている政治家のことである。選挙と政局の時にしか、頑張らなくなる。選挙は継続して給料を貰うための就職活動である。

 

☆理想を失わない

 現実主義者にならないといけないんです。

 

 理想のない

 現実主義者ならいくらでもいるんですよ。

           (宮崎駿)

 わたしが好きな政治家野中広務の言葉である。「私は闘う」(野中広務著、文藝春秋)に書かれている言葉である。わたしは、こういう政治家をカッコイイと思う。選挙や政局の時しか頑張らない政治家が大勢いるようだが、野中はそういう政治家とは違った。野中の真骨頂は政局と政策の両面の実力を兼ね備えていた点である。本格派の政策通であり、法制化に関わった法案も数え切れない。ひとつの政局が終わると、いつの間にか消えていく政治家と異なるのは、この器量の差である思う。

 

 彼の言葉を上記の本から引用する。

 

 

・戦前の私たちは知らないうちに、教育され、戦争に突入していった。私はこうした民族性に恐怖を感じる。

 

・戦前の体験から私は、一色に束ねるということに対して生理的に反発するようになっていたのである。一色に束ねられた組織は、必ず間違いを起こす。迎合しては駄目だ。自分の頭で考えなければ。こうした私の組織に対する考えは、その後一貫して変わっていない。

 

・欲があるから、好きなこと、正しいことが言えなくなるのである。

 

・報復といっても、政治家ではなくなるぐらいである。そこのところの覚悟を決めてしまえば、少なくとも刺し違えるぐらいの勝負はできるだろう。

 

・せっかく国政を担う政治家になったのであれば、自分の保身のために、言いたいことも言わない、したいこともしないというのは馬鹿げている。政治家は票を入れてくれた選挙民の負託を受けてきているのである。自分の保身や野心のために働いてはいけない。己を虚しくして、公共のために奉じなければならない。

 

・政治家というものは、ある日、親父が死んだから、東京から帰って選挙をやるという性質のものではない。人々と共に住み、苦しみや喜びをわかちあいながら、考えていく、そのことが一番大切だと私は思う。