「本能的な相互作用」 | 司法書士 荒谷直樹のブログ

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埼玉県所沢市の司法書士フラワー総合事務所代表。ジャンル問わず「本音」で書いているブログです。法律&メンタル&個人的戯言、などなど。司法書士としては相続登記~訴訟支援まで、幅広く相談を受けています。話をよく聴くタイプの司法書士です(^^)

⭐人の相知ること、必ずしも対面して久しく語るに在らず。意通じれば即ち傾蓋の遇なり(空海 「性霊集」)


意味:人と互いによく知り合うのに、必ずしも顔を合わせて長く語り合う必要はない。心が通じ合えば、すぐに旧知の友人のように親しくなることができる。


 よくあることである。わたしにとっては(。・ω・。)


 司法書士として、家事調停委員として、放送大学の学生として、年齢・性別・職業問わず、いろいろな人と知り合う機会がある。


 時には、少し話しただけで、「肌感覚」でバッチリ合う人と遭遇することがある。


 逆に、何年経っても、いっこうに「感覚的な距離」が縮まらない人もいる。


⭐「言語以外で通じ合う何か」があるのだと思う


 犬や猫を飼ったことがある人なら分かると思うが、犬同士、猫同士、犬と猫、にも相性がある。たとえば、犬同士であれば、散歩の最中に出会った他人の飼い犬と仲良しになることがある。互いにしっぽフリフリである。ところが、別の犬とは、いきなり「臨戦態勢」になったりする。


 明らかに「言語」や「理屈」をもっての判断ではない。見ていると、「本能的な相互作用」のようである。


 こういう「本能的な相互作用」みたいなものが、人間にもあるのではないか?(。・ω・。)?


 時に「直感の方があてになる」みたいな言葉を耳にするが、これは「本能的な感覚」ではないか?


 人は論理や理屈でばかり考えることを強いられることに慣れきってしまっているが、時にはこういう感覚的なものを判断基準にしてしまった方が良い場合もあるではないかと思う。


⭐人の相知ること、必ずしも対面して久しく語るに在らず。意通じれば即ち傾蓋の遇なり(空海 「性霊集」)


意味:人と互いによく知り合うのに、必ずしも顔を合わせて長く語り合う必要はない。心が通じ合えば、すぐに旧知の友人のように親しくなることができる。