人間のベース。その人の土台となるもの。その認識。自分は何者であるか。
アイデンティティと言われるようなもの。
自分で自分をどう定義づけているか、である。意識してみると面白い。
たいていの人は、職業を核にしているのではないか、と思う。例。わたしは一流会社の部長である。わたしは司法書士である。
職業以外であれば、こういうのも考えられる。例。わたしは母親である。わたしは日本人である。わたしはキリスト教徒である。
アイデンティティの訳語としては、「自己同一性」などと、よくわからない言葉があてられることがある。アイデンティティとは、外部の何かに自己を同一化することである。たぶん、無意識のうちに自分で選びとっている。
職業をアイデンティティの核にした人。上記のように、一流会社の部長である。というアイデンティティを持った人が、会社を定年退職すると、どうなるか?アイデンティティが消失する。結果、右往左往する。自分の存在に悩むことになる。
では、どうすれば良いか??
複数の、消失しづらいアイデンティティを意識化していればいいのである。
わたしは、表向きの職業は司法書士だが、「自分は司法書士である」という意識はあまり強くない。日本人というアイデンティティ、秋田の田舎出身者というアイデンティティ、カウンセリング・心理学の勉強が趣味の人間というアイデンティティ、実存主義的思考傾向が強い人間というアイデンティティ、こういうものを並列的に持っている。司法書士というアイデンティティは、その中のひとつ。
こういう人間が、司法書士として事務所で相談を受けるとどうなるか?
⭐司法書士さんと話している感じがしません(・・;)
となる。わたしがよく言われる言葉である。当たり前である。自分でもたいして意識してないからである。わたしは、上記のアイデンティティコミコミの「荒谷直樹」という人間という意識がアイデンティティの核になっているからである。したがって、法律のことを一切話すな、という条件の下でも、ずっとしゃべっていられる。他の司法書士に、法律のことや登記のことを話すな、と言ったなら、何も話せなくなる者は大勢いるであろう。
人間のベース、自分のベースを意識すると、たぶん「見え方」が変わると思う。わたしなど、目の前の人間を自分の判断基準でしか見ない。職業とか社会的ステータスは、あまり考慮しない。余計な情報を排した状態で人を見ると、見えてくるものは全然違うと思う。
事務所に相談に来た人に、名刺を出すと、あちらも名刺を出す人がいる。たいてい、有名会社とか偉そうな肩書きが書いてある。わたしは、渡された名刺の情報を話題にはしない。するとどうなるか???自分の武器である、アイデンティティの主軸であろう「名刺」をスルーされた相談者は、途端にあたふたして、自信をなくしたような様子になることがほとんど。わたしは、自分が用意して、書いてもらった相談受付票しか見ないし、話の内容は、当然「いかがなされました?」関連の内容だからである。貴殿がどこの誰だろうが、知ったことではないのである。興味がない。
ちょっと意地悪かもしれないが、職業上のアイデンティティ喪失に備えた訓練を提供するのも、うちの事務所のサービスの一環である。