理想の指導者像(老子編) | 司法書士 荒谷直樹のブログ

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埼玉県所沢市の司法書士フラワー総合事務所代表。ジャンル問わず「本音」で書いているブログです。法律&メンタル&個人的戯言、などなど。司法書士としては相続登記~訴訟支援まで、幅広く相談を受けています。話をよく聴くタイプの司法書士です(^^)

 中国古典の「老子」に描かれた、理想の指導者像を紹介します。わたしは、中国古典の中でも「老子」が1番気に入っています。

 

 「老子」は別名「道徳経」とも呼ばれており、その根底には、道と徳の2つがあります。

 

 つまり、「老子」は万物の根源に、万物を万物として成り立たせている存在があると考え、それを「道」と名づけました。「道」は万物を生み出すような、それほど大きな働きをしながら、いささかも自己を主張しない。謙虚で、しかも控え目な在り方に徹している。この「道」を体得することによって、「道」の持つ優れた働きを身につけことができる、と考えました。それがすなわち「徳」に他なりません。

 

 老子は言います。

「道とは、かすかでおぼろげな存在にすぎない。その中に、何やら形があり、実体がある。奥深い中に、とてつもないエネルギーが秘められている。そのエネルギーは確かに実在し、疑いようがない。大いなる徳を身につけようとするなら、この道と一体化しなければならない」

 

 老子が言うには、道を体得し徳を身につけた人物こそ、理想の指導者像ということである。理想の指導者像とは、「奥知れぬ味わいがあって、その深さが計り知れない」ような人物のことである。そういう人物は次のような特徴を備えているという。

 

①氷の張った河を渡るように、慎重そのものである。

 

②四方の敵に備えるように、用心深い。

 

③客として招かれたように、いつも端然と構えている。

 

④氷が解けていくように、こだわりがない。

 

⑤手を加えぬ原木のように、飾りけがない。

 

⑥濁った水のように、包容力に富んでいる。

 

⑦大自然の谷のように、広々としている。

 

 この言葉から連想されるのは、ゆっくりとして素朴だが、しかし、注意深く見ると、どこにもつけ入る隙がないといった人物である。そして「老子」はこうも語っている。

 

 「道を体得した人物は、知識をひけらかさない。知識をひけらかすような人物は、道を体得しているとは言えない。欲望に捕らわれず、知識に惑わされず、才能を包みこんで世俗と同調する。こういう人物こそ、最も理想的なのである」と。

 

 また、こうも言っている。「立派な指導者は、仕事をしても自分がしたような顔はしないし、功績を立てても誇らない。自分の才能をひけらかそうとしないのである」と。

 

 いくつかの指導者のランクも提示しているが、1番ダメな指導者がどんな感じなのか?「老子」は1番ダメなのは、上記のような道や徳を備えたはいいが・・・・・部下からバカにされる場合で、こうなるともう指導者失格とのことです。

 

 どこぞの総理は・・・・・「老子」からは手厳しい評価がされそうですね。圏外です、たぶん。思想も教養もへったくれもない。「無機的性格」。中身がない。