「時流」をあえて意識しない生き方もあっていい | 司法書士 荒谷直樹のブログ

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埼玉県所沢市の司法書士フラワー総合事務所代表。ジャンル問わず人生に有益な情報を発信!!法律&メンタル&個人的戯言♪

 「時流」という言葉。わたしは、ちょいちょい目にします。事務所をやっていると、胡散臭いコンサルタント会社からDMが時々届きます。そのタイトルにデカデカ使われているのを見ることがあります。どうも「時流」とやらに乗れば、事務所の売り上げがアップするみたいです。(余計なお世話である。他人のフンドシで相撲を取っているような輩たちに心配される筋合いはない)

 

 

 (ウィキペディアより)時流とは、大衆社会において、その構成員の大勢が、同じ好みや同じ価値観に流されることを指す。本質は、社会的影響であり、同調源の玉突き現象である。

 

 時流をこういう意味で定義した場合、わたしは「時流」を行動の動機とするのが好きではありません。それは、仕事でも考え方でも食べ物の選び方でも、なんでもです。 クルマでも、政治でも、芸人でも、映画でも、音楽等々、挙げればきりがありませんが。自分に関することは、自分の基準で決めたいです。

 

 最近、知人から「TikTok面白いよ」と言われて、アプリをダウンロードして見てみました。仕組みがよく分かりませんが、同じ音楽で同じダンスを満面の笑みでされている方々が、老若男女問わず無数いるように感じましたが、あれは一体なんですか????????

 

 スマホやネットの普及で、大量の情報・画像・動画が意識せずとも目に入ってきます。生きるうえで、必須ですかね???要ります???こんないっぱいいっぱいの「情報」???

 

 衣・食・住という言葉がありますが、これを満たすことさえクリアできていれば、あとは他人に迷惑かけない範囲で、自分の尺度で、価値観で、暮らしぶりで、生活していくようなシンプルな生き方もあって良いと思います。その方が、外部の情報に振り回されないので、精神的にも充実するんじゃないですかね。

 

 今は、「個」が主張されて多様な価値観・生き方が叫ばれる時代みたいですが、よく使われる「バズる」「炎上する」現象にみられる精神の根底には、「時流に乗る」と同じような本質があるように感じます。これでは、社会的な建前と本音がかけ離れていませんかね?多様な価値観・生き方を許容した、生きやすい社会の実現の方向性とはかけ離れていませんかね?

 

 時流に乗る生き方を放棄することだって多様な価値観・選択肢のひとつだと考えます。

 

 

 

(再掲)

 

時流とは、大衆社会において、その構成員の大勢が、同じ好みや同じ価値観に流されることを指す。本質は、社会的影響であり、同調源の玉突き現象である。