~自分の自己概念を疑ってみる~ | 司法書士 荒谷直樹のブログ

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埼玉県所沢市の司法書士フラワー総合事務所代表。ジャンル問わず人生に有益な情報を発信!!法律&メンタル&個人的戯言♪

 

 

 

 自己概念(self-concept)とは自分が自分のパーソナリティをどう評価しているかということです。自分自身のことをどう受け止め、どのように思っているか。

 

 

 わたしたちは自分自身について、「わたしはこういう人間である」という観念やイメージを常に持っており、われわれの行動や思考などはそれに基づいてなされる場合が多い。

 

 「わたしは優しい人間である」という自己概念がある人は、街で道に迷っている人を見かけると、「わたしは優しい人間である」から「道案内をしてあげよう」と考えるであろうし、電車でお年寄りが立って乗車していると、「わたしは優しい人間である」から「席を譲ってあげよう」という思いに駆られる、こんな感じである。

 

 また、自己概念については、循環効果(circular effect of self-concept)というものがあり、自己概念を通して他のあらゆるものを見たり、聞いたり、評価したりスクリーンの役割を果たす。「読むのがヘタ」という自己概念は、かすかな笑い声でも「やっぱり自分は読むのがヘタ」という評価をもたらす。自己概念は、それに合うものしか受け入れようとしない選択効果を持つので、それ自身を一層強化するという循環を生ずる。ますます読むのが苦手になってなっていく。ただし。このような循環効果は、肯定・プラスの方向にも作用する性質があるようなので、この性質は使えそうである。好きなものはどんどん好きになるであろうし、得意なものはどんどん得意になるというような一種のらせん効果をつくり出せるのである。

 

 臨床心理学者のロジャーズによると、社会や職場、集団などに適応できないクライエントの自己概念はかたくなで強固に体制化されており、人を有機体と捉えたとき、その有機体が刻々と経験していることを受け入れようとしない傾向が強いらしい。つまり可変的な有機体として、自然に柔軟に生きているのではなく、自分についての固い思い込みや観念に縛られて生活しているのである。

 

 この自己概念は、他者や自己から「評価」を重ねることで形成されていく性質のものであるらしい。その「評価」は果たして、妥当なものであったのかどうか?これが、わたしは気になる。今は随分、時代がすべての方面で「優しくなった」気がするが、少し前はこんな時代ではなかった。親には「ほんどうちの子はバカねえ」と言われてみたり、学校の先生に「お前みたいもんロクな大人にならない」と言われてみたり、社会のあちらこちらで、「マイナスのレッテル」を張り付けられる時代であった気がする。30年くらい前に私は中学生だったが、大人が子供に配慮して言葉を選ぶという風潮なんか無かったと記憶している。子供は出来が悪いという前提で、教師は高圧的なタイプが多かった気がする。そういう時代から形成されてきた「自己概念」は果たして、現在の自分と整合するであろうか?

 

 自己概念の例:「・自分は優しい人間である・自分は真面目な人間である・自分は人前ではあがってしまう・自分は臆病である・自分は頭が悪い・自分は要領が悪い・自分は運がわるい・自分は人から嫌われる・自分の話はつまらない・自分は几帳面である・自分はだらしない・自分は・・・・・・・∞∞∞∞・・・・・∞。」

 

 他者からも自己からも「正当な評価」をされて、実体にフィットした自己概念であれば、問題はないが、そうでないものを「本当の自分」だと思い込んでずっと生きてきたとしたら・・・・・・そう考えてみると、一度、自分の自己概念は疑ってかかる必要がある気がする。実体と乖離していると、おそらく「生きづらい」・・・・。そんな予感がするのである。

 

 まだ自分で意識化できるものはいい。自分で分かっているから。ネコを被るという言葉があるが、自分の本性を隠して、他者から好感を得られる方便として、手段として「変身」できる意識があるのはいい。自分の本性が、きちんと認知・認識できているから。やっかいなのは、無意識的に思い込んでしまっている、実体とは乖離しているような「自己概念」である。勘違いや錯誤的なものである。しかも、自分が知らないうちに、他者・社会・学校・親などから一方的に浴びせられたマイナスの評価に基づいて形成されてしまっている、自分を生きづらくさせている自己概念。これは、とっとと正しいものに書き換える必要がある。

 

 外部からの評価はコントロールできないが、自分が自分に下す評価はコントロールできる。そうであれば、自分にそぐわない自己概念は、修正・変換・消去が可能ではないか。そんな気がする。だって人間だもの。

 

 昔、サーカスの象さんのエピソードを聞いたことがある。サーカスに買われた子象は、逃げ出さないようにするため、ロープでつながれる。買われて間もないうちは、なんとか抵抗してロープを振りほどこうとするが、まだ子どもの力だからそれができない。そしていつしかあきらめる。時の経過と共に大人になり、体も大きく力も強くなる。十分、ロープを引きちぎるだけの力をもつまでに成長した。だが十分成長した後も、決して逃げようとはしないそうである。このブログを書いていて思い出したエピソード。これは「このロープは自分の力では振りほどくことができない。自分にはそういう力がない」という自己概念の影響と言えるのではないか。人間にも同じことが言えそうな気がする。十分に能力や性格、気質が成長していっても、いつまでも、以前の無意識的に植え付けられた「誤った自己概念」に縛り続けられ、生きづらさを感じることが。

 

 一度、自分の自己概念を検証してみる必要がありそうである。