静岡県知事何某の発言について。あれはひどいですね。わたし、政治家の失言やダメな行為なんかには、普段は反応しないんですが、これに関しては「この人最低だな」と思ってしまいました。自民党の裏金問題や、最近では二階元幹事長の「バカヤロウ」発言なんかがよく取り上げられていますが、わたしのセンサーは反応しないです。興味も湧かない。二階殿の発言には「らしいな」(笑)と笑って見ていられたぐらい。ただ、この静岡県知事の発言を、最初ネットの記事で見た時は、「は~????(怒怒怒)」「こんなポンコツが知事をやってるとは静岡はどうなってんだ!!」と、どこから来るのか分からない怒りの感情が芽生えました。わたし、秋田の田舎出身ですが、潜在的に備わっている秋田のDNAが覚醒したのかもしれません・・・・。

 

 今日の東京新聞に要旨が載っていたので引用します。

 

 (1日の訓示要旨。2024年4/3東京新聞から)

 [自分が正しいと思う信念を貫くということが大切です。そして、そのためにはやっぱり勉強しないといけません。実は静岡県庁というのは、別の意味で言うとシンクタンクです。毎日毎日野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたり、あるいは物を作ったりとかということ違ってですね、基本的に皆さま方は頭脳、知性の高い方たちです。ですからそれを磨く必要がありますね。磨き方はいろいろあります。それからやっぱり感性も豊かにしなくちゃいけない。美しい絵を見たり、いい音楽を聴いたり、映画を見たり、演劇を見たりしたときに、感動する心というものがあると望ましい。ですから自分の知性があの人にかなわないなと思っても、知性を大切にするということが大事ですね。そのためにやっぱり勉強しなくちゃいけません。それから体を鍛えると。スポーツが苦手な人もいらっしゃるでしょう。見て楽しむこともできます。豊かな人間になっていただきたいと思います。(訓示要旨)]

 

 気になる部分を色をつけてみました。

 

①「基本的に皆さま方は頭脳、知性の高い方たち

 ⇔(これと異なる人たちの例示として。対極的な人たちとして。)

毎日毎日野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたり、あるいは物を作ったりとかという(ひとたち)」という表現が出現。

文章を普通に解釈すると、農家や畜産家やものつくりを生業にするひとたちは、頭脳・知性の高くない人たち、ということになろう。

 

 ②「自分の知性があの人にかなわないな」⇒突然、感性の話から知性の話へ。「他者との知性を比較」するような表現があるが、これはこの人自身が普段から、この方のいう「知性」を他者と比べて優劣をはかるような思考回路を持っていることがわかる。そして、この方のいう「知性」は勉強で増強できる性質のものらしい。

 

 真の意味の知性を持っておられる方が、訓示をしたならば、何十回、何百回、どこでだれに訓示しても、上記のような人や職業で「優劣」をつけていると感じさせるような表現は出てこないと考えます。この人、普段からこういう「思考回路」で人と接しているからこうなる。一部が切り取られた発言などと釈明していますが、訓示要旨からすると、流れの中で意図的に表現・発言しています。言い逃れできないと悟って、辞意を表明したのだと考えます。

 

 しかし、こういう類の人間は嫌いですね。この人が言う知性って、単なる知識のことじゃないですか?知識をたくさん詰め込んでいる人間が立派であると、思い込んじゃってるんですかね・・・・。やだやだ。

 

 当然ですが、知識や頭の良さと、人格は比例なんかしないです。わたしは仕事柄、他の司法書士や弁護士さんなどとお話する機会ありますが、人柄の良さを感じる人もいれば、一方で、知識や手続きについては異常に詳しいけれども、機械みたいでヘンテコリンな人もいるし、いろいろです。みんなそれなりの学校を出てるであろうし、静岡県知事殿から言わせると、毎日毎日野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたり、あるいは物を作ったりとかというひとたちとは違うんでしょうが、それがみんな「知性」があるかと言ったら、確実にNOです。

 

 自分は勉強して勉強して勉強して勉強して、学位を取り、教鞭を取り、民意を得て知事になった。ほとんどが「机上で得た産物」。それが、今の自分の地位を築いた。それには、勉強して勉強して勉強して勉強して、競争をくぐり抜けることが、一番大事なことであった。他者との競争に打ち勝つことが至上命題。農家や畜産課やものつくりを生業にしているひとたちは、自分の競争相手ではなかった。それは相手にならない取るに足らないひとたち。こういう前提思考があって、あの表現が出た。自分と同類(彼のいう知性・頭脳が高い選ばれし民)の若い世代に、自分の成功体験を語り、自分としては「良きアドバイス」をしたつもりだったが、結果、多くの人の反感を買い、自ら「腹切り」をするハメになった。憐れである。

 

 

(参考として。先人の言葉より)

・あの言葉はもちろん、思わず口からこぼれたのだが、思わず言っただけによけい重大なのだ。(ドストエフスキー)

 

・愚者のもっとも確かな証拠は、自説を固守して興奮することである。(モンテーニュ)

 

・人生から返ってくるのは、いつかあなたが投げた球。(斉藤茂太)

 

・志の低い男は、目のつけどころが低い。(山本常朝)

 

・現在は過去以外の何ものも含んでいない。そして、結果のなかに見出されるものは既に原因のなかに在ったのである。(ベルグソン)

 

・虚栄心はひとを饒舌にし、自尊心は沈黙にする。(ショーペンハウアー)


⭐しばしば想いを凝らしてみよ。ー在るものも成るものもそれらの通過と退去の迅速さを。すなわち、実体は河のごとく不断の流れのうちにあり、そのもろもろの動きは連続した変化のうちにあり、その諸原因は無数の変転のうちにあって、ほとんど何一つ静止してあるものはなく、時の現在もその 近接点もまた然りであり、またすべてはそのなかに消え去って行く過去と未来の無数の深淵も然りである。

 されば、それらのなかにあって得意になったり、顔を引き攣らせたり、あるいは何か永きにわたって悩ますものに対するかのごとくに不平不満を洩らす者は愚か者ではないか。

 心に銘記せよ。おまえはそのごく僅かな部分だけを分かち持つかの実体の全体を、またその短い瞬く間の距離しかおまえに限定されていない永遠の時の全体を、さらに、かの運命ーおまえはその何分の一の部分というのかーを。

(マルクス・アウレリウス「自省録」5巻23.24)