「才能」という言葉に関して。「才能」という言葉はよく耳にするが、みな好き勝手な意味に使っている感じがする。わたしは、将棋の羽生善治さんが、「才能」について言及した言葉が1番しっくりくる。

たとえば。司法書士試験は難しい試験である。午前択一、午後択一、記述式問題、この3つに基準点・足切り点が設けられており、ひとつでも基準点を割ると即不合格。3つの基準点を超えて、さらに総合点で合格点を突破しなければならない。
受験生は、みなこの基準点のクリアを目指して、あとは上乗せでどれくらい積み上げられるかを意識して挑戦している試験である。基準点を3つともクリアするのは大変なことである。この試験の難しさはやってみた人にしか分からない。司法試験と比べてどっちが難しいかは、単純には分からないと思う。
で。わたしは、この3つの基準点をクリアしながら、5年くらい連続で不合格になった人を知っている。毎年、1点とかそのレベルで、僅差で不合格になるのである。この心労は想像を絶すると思う。
合格できるだけの力を毎年毎年維持するのは、たいへんな労力が要る。それをその人はやってのけたのである。まさに「才能」があったのである。今は、無事に合格して、長崎で司法書士をやっていると聞いている。
結果が出ても出なくても、同じ情熱・気力・モチベーションを持って継続努力することができる能力が「才能」なのである。



