司法書士 荒谷直樹のブログ

司法書士 荒谷直樹のブログ

埼玉県所沢市の司法書士フラワー総合事務所代表。ジャンル問わず「本音」で書いているブログです。法律&メンタル&個人的戯言、などなど。司法書士としては相続登記~訴訟支援まで、幅広く相談を受けています。話をよく聴くタイプの司法書士です(^^)

 万年筆を普段から使っている。書き心地や書いた文字の雰囲気が好きなのである(๑'ᴗ'๑)

 

 

 

 

 1番うえが、パイロットのカスタム74。値段は数年前で15000円くらいだった。万年筆もドンドン値段が上がっている。一度、プラチナのセンチュリー3776(←カスタム74と同格の万年筆)を出先でなくしてから、外出するときは持ち歩かないようにしている。

 

 

 2番目がラミーのサファリ。こちらは3000円くらいだが、使いやすくて、外にも持っていく。スケルトンがカッコいい。

 

 3番目は、なんと100円の万年筆✒。100均で見つけたもの。コンバーター(←インクを吸い上げる器具)までついていたが、さすがにそれは使い物にならなかった。ただ、規格が欧州規格なので、ラミーのカートリッチインクが適合して無事に使えた。普通に良い万年筆だと思う。書き心地もなかなかである。今度、10本くらいまとめて「大人買い」するつもりである。

 

 

 

 

 で、万年筆で書くと、文字がこんな感じになる。ためしに書いてみた。字がきれいではないわたしでも、読める字になるのである(*´▽`*)

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 そう言えば、明日は選挙である・・・・・わたしは心から高市早苗のやり方に怒っている。おそらく「国論を二分するような議論」とは「憲法改正」のことである。憲法9条を改ざんするつもりであろう。このやり方が許せんのである。やるのであれば、真に信を問うのであれば、具体的な改正案まで明確に提示して選挙をやるべきである。国家としての行く末を左右しかねない重大事案である。人命にも関わる。それを白紙委任せよ、とは何事か!!!!わたしは、本気で高市早苗に怒っている。心の底から軽蔑する。考えられる卑怯をすべて搭載したような人間であると思っている。

 

 

長渕剛 己

 

 

 

 

 中学の時に聴いた曲だが、まさに今、こんな気持ちでいる。

 

 

 もはや祈るしかない。高市軍(自民)に明日の選挙はやられてしまいそうである。野党の候補者に向けてエールを送る意味で、聖書から言葉を贈りたいと思う。

 

 わたしはむか~しむかし、キリスト教の牧師になりたいと思ったことがる。若い若い時代である。今から24-25年前の話である。二十歳ちょいぐらいだったと思う。だから、聖書や神学の書籍も正当なものを読む。間違っても統一教会だの、駅前でパンフレットを配っているようなニセモノキリスト教信者ではない。というか、教会になど所属もしていない。キリスト教関係者との接点もない。一匹狼の戦闘タイプのキリスト教徒である。全然ナヨナヨしていない。悪魔とさえ戦う覚悟がある。悪魔と戦うときの武器は、基本は「聖書」である。これで効き目がない時は、ぶん投げて蹴っ飛ばしてビンタでも食らわすつもりである。正統なキリスト教徒は「正義」を身にまとう。アホトランプやアメリカの「よくわからんキリスト教もどき」はおそらく「本物のキリスト教」ではない。キリスト教は、人に害悪を与えたり、対立を煽ったりしないからである。

 

 野党候補者に以下の言葉を贈る。明日がどんな結果になっても、政治家として終わったわけではない。ダメでも再起などいくらでもできる。高市早苗の化けの皮などすぐにはがれる。そしたら、もし明日落っこちて、バッジを失ったとしても、いづれまた選挙で戦って勝利して国会に戻ればいい。臥薪嘗胆の根性である。わたしは、結果いかんを問わず、これからも応援していく。

 

 では。

 

☆わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。(ヨシュア1:5)

 

☆神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。(Iコリント10:13)

 

☆強くあれ。・・・・・わたしがあなたがたとともにいるからだ。(ハガイ2:4)

 

☆からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。(マタイ10:28)

 

☆人はうわべを見るが、主は心を見る。(Iサムエル16:7)

 

☆わたしの目には、あなたは高価で尊い。(イザヤ43:4)

 

☆主は人のたましいの値うちをはかられる。(箴言16:2)

 

☆確かに終わりがある。

あなたの望みは断ち切られることはない。(箴言23:18)

 

☆鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。(箴言27:17)

 

☆神のなさることは、

すべて時にかなって美しい。(伝道3:11)

 

☆天の下では、何事にも定まった時期があり、

すべての営みには時がある。(伝道3:1)

 

☆人の心にあるはかりごとは深い水、

英知ある人はこれを汲み出す。(箴言20:5)

 

☆患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す。(ローマ5:3,4)

 

☆約束したものを手に入れるために必要なのは忍耐です。(ヘブル10:36)


君は愛されるため生まれた

 わたしが1番最初に耳にしたゴスペルの類です。明日、落選して泣きそうになったら、聴いてみてください(。・ω・。)✋

「人生論ノート」(三木清)をパラパラ巡っていたら、「高市総理」のことが書いてありました。引用します。

 

 

 

 

 

 

〈懐疑について〉

いずれにしても確かなことは、懐疑が特に人間的なものであるということである。神には懐疑はないであろう、また動物にも懐疑はないであろう。懐疑は天使でもなく獣でもない人間に固有なものである。人間は知性によって動物にまさるといわれるならば、それは懐疑によって特色附けられることができるであろう。実際、多少とも懐疑的でないような知性人があろうか。そして独断家は或る場合には天使の如く見え、或る場合には獣の如く見えないであろうか。人間的な知性の自由はさしあたり懐疑のうちにある。

 

〈真の懐疑家と独断家について〉

真の懐疑家は論理を追求する。しかるに独断家は全く論証しないか、ただ形式的に論証するのみである。独断家は甚だしばしば敗北主義者、知性の敗北者である。彼(彼女)は外見に現われるほど決して強くはない、彼(彼女)は他人に対しても強がらねばならぬ必要を感じるほど弱いのである。

 

 ひとは敗北主義から独断家になる。またひとは絶望から独断家になる。絶望と懐疑とは同じではない。ただ知性の加わる場合にのみ絶望は懐疑に変り得るのであるが、これは想像されるように容易なことではない。

 

 

 

〈不確実なもの、確実なもの〉

不確実なものが根源であり、確実なものは目的である。すべて確実なものは形成されたものであり、結果であって、端初としての原理は不確実なものである。懐疑は根源への関係附けである。理論家が懐疑的であるのに対して実践家は独断的であり、動機論者が懐疑家であるのに対して結果論者は独断家であるというのがつねであることは、これに依るのである。しかし独断も懐疑も共に方法であるべきことを理解しなければならぬ。

 

 (私なりのまとめ:)高市総理は独断家である。よって、ときに天使に見え、ときには獣にみえる。人間の知性の自由は、懐疑のうちにある。真の懐疑家は論理を追求する。しかし、独断家は全く論証しないか、ただ形式的に論証するのみである。ひとは敗北主義から独断家になる。またひとは絶望から独断家になる。知性の敗北者である。独断と懐疑とは同じではない。ただ知性の加わる場合にのみ絶望は懐疑に変り得るのであるが、これは想像されるように、容易なことではない。彼女は外見に現われるほど決して強くはない。他人に対しても強がらねばならぬ必要を感じるほど弱いのである。独断も懐疑も共に方法であるべきことを理解しなければならぬ。最大の違いは、前者の方法をとる者は、知性が乏しいか欠如しているということである。

 

 

 

 

 上記の記事はわたしが11月に書いたブログのコピペである。

 

 さて。高市自民が勝ちそうな情勢だという話である。いくら言っても、「懐疑することができない日本国民」は、まあこんなもんなんだろうなと、冷たい感情で同じ日本国民のことを想っている。

 

 わたしは、司法書士で、おそらく普通の仕事をしている人より、深く人間というものと向き合っている。と思う。わたしは、単なる業者相手の登記屋さんではないので、依頼者・相談者とガチで向き合う。

 

 よく思う。ほとんどの人は、何も勉強してないし、自分のアタマで考えないし、自分の責任で人生を歩もうとはしてない、と。90%以上がそういう人なのではないかと思う。いくら有名大学を出ていてもダメみたいである。同じ司法書士でも、たいていは業者相手や特定の儲かる分野の定型業務しかやらないのがほとんどだから、わたしのようなタイプは激レアである。みんな「社会的にお利口さん」なのである。利害が絡まず、責任が生じないことには無関心である。

 

 今の人は、せいぜいネットを検索して、「正解」や「選択肢」を探し回るだけである。自分のアタマで考えて、行動することなど、おそらくない。与えられた選択肢の中から、合理的でコスパやタイパが良いものを選択していくのが人生だと思っているようである。「既成プラモデルみたいな人生」である。パーツや設計図は、ネット任せ、人任せで、自分はその枠内でうまく立ちまわるだけ。既製品を組み立てるだけ。自分の生活に不快なところがあれば、政治のせい、役所のせい、社会のせい、誰かさんのせい、たぶんこういう思考回路なのであろう。

 

 こんなんだから、高市早苗みたいな中身のないサイコ女の甘言にあっさり騙されるのである。

 

 いいかい???権力者になど、バカでもアホとでもいくらでも品位のない言葉をぶつけてもいいのである。一般人に対する作法と違っていいのである。そもそも持っている社会的な力が全然違うのである。あんなに暴走した権力者に、一般人がバカだのマヌケと言ってなにが問題だというのだ??????権力者に対する言論の自由!!でおしまいである。

 

 SNS困惑、ネット悲鳴、ネット困惑、ネット非難・・・・・一体、どこのなんという人物が、困惑したり、悲鳴あげたり、非難しているか言ってみてくれないか??????????となり家の愛ちゃんか?向かいの家のじいさんか?同級生のひとみちゃんか??????いったい誰だ???????日本は戸籍制度もしっかりしているから、住所も名前も所属する組織もみんな持っているはずなのだ。であれば、自分の名前を出して、自分の意見として情報を発信すべきであろうが??????一体誰が、そんなことを言っているのだ?????????????????????????そんなよくわからんもんから批判されるのが怖いのか???????????????????????

 

 心配ない。いざとなったら、スマホを沸騰した鍋の中に放り込めば一瞬で問題は解決する( *´艸`)

 

 「懐疑することができない日本国民」。たいへん憂鬱である。都合の良い時は、「高市さん頑張って!!」で、結果が出せずに支持率が下がれば、「高市に騙された!!!!」と叫ぶのであろう。アタマは一体どうなっているのであろうか:;(∩´﹏`∩);:自分で蒔いた種だという認識などないのであろう:;(∩´﹏`∩);:悪いのは全部、政治のせい、他人のせい、社会のせい。いやな国になったものである。

 

 

(参考)

 

三木 清(1897-1945)は、京都学派の哲学者。京大哲学科卒。西田幾多郎・ハイデガーに師事。