司法書士 荒谷直樹のブログ

司法書士 荒谷直樹のブログ

埼玉県所沢市の司法書士フラワー総合事務所代表。ジャンル問わず「本音」で書いているブログです。法律&メンタル&個人的戯言、などなど。司法書士としては相続登記~訴訟支援まで、幅広く相談を受けています。話をよく聴くタイプの司法書士です(^^)

 わたしは司法書士だが、司法書士として相談を受ける際は、カウンセリング理論を念頭に相談にあたることがある。

 

 まず、依頼を受けた場合は、リレーションをつくる必要がある。こちらを信頼してもらえるような気持ちになってもらうことである。防衛機制(構え)をゆるめ、自分を信頼してもらうということである。これをやらずに、表面的な事務対応ばかりしてしまうと、依頼者との信頼関係が築けていないため、後々、トラブルになる可能性がある。言った言わない、聞いた聞いていない、の些細ないざこざである。同業からの噂では、時々耳にするが、わたしはそういう文句を言われたケースがほとんどない。おそらくこのリレーションが形成されているからである。

 

 まずリレーションづくりのスキルには6つのことを意識する。

 

1 観察技法:相手の非言語表現を観察し、「この人はかなり緊張している」とか「この人は話そうか話すまいか迷っている」と読み取るスキルである。

 

2 非言語的表現技法:たとえば口だけで「よく来ましたね」というよりは、ドアのところまで出迎えて「よく来ましたね」といった方がこちらの気持ちが伝わりやすい。それゆえ、動作、ものの言い方、表情、すわり方、視線、服装などの工夫(スキル)が必要である。

 

3 質問技法:「それはいつ頃からですか」「ご主人はどういう意見ですか」など質問することは、私はあなたの人生に関心があるのです、ということを伝えることになる。何も訊かずにただ受動的に傾聴しているだけでは、相談者にすればこの先生は本気で私のことを考えてくれるのか、という気持ちなってしまう。質問技法は「閉ざされた質問」と「開かれた質問」があるが、これも意識する必要がある。

 

4 受容:ロジャーズが提唱した技法である。

 

5 繰り返し(言い換え技法):相手方の発言内容を整理・要約して「~というわけですね」と応答するスキルである。相談者にしてみれば「私のことをわかってくれた!」と思うので、良い感じがする。これがリレーション形成にプラスの働きをする。

 

6 支持:相手の言動に対して「それは当然ですよ」「誰でもそうですよ」「それでいいのですよ」と是認するスキルである。相談者は味方に出会った感じがするのでリレーションがもちやすくなる

 

 ただ。これらの技法を表面的に使って、したり顔をするだけでは欺瞞に陥りやすい。このスキルを使いこなすためには、相談を受けるサイドの人間が共感性の豊かなパーソナリティであることが必要条件になる。心を伴わない演技みたいになってはダメだということである。

 

 前にも書いたが、相談に来る者全員にこういう態度で臨むの危険である。純粋なカウンセリングと司法書士業務に関する相談は動機が違うからである。相談者の中には、よこしまな動機で司法書士を言いくるめてやろうとか、利用してやろうと企む者が潜んでいることがあるので、そこは自分で判断していく必要がある。このような者には、法律を全面に出して、心理的距離を保つ必要が出てくる。





 つらい状況にある時に読む文章。若い頃に読んだ「自分らしく生きる人間らしく生きる」(中野孝次著:講談社)に書いてあった言葉である。マイバインダーから引用する。

 

 本当に自分を信じるにいたった人とは、実に実に、われわれには想像もできないくらい深く悩み傷つき、挫折や絶望の体験を持っていた人びとだ。

 このことは、たとえばドストエススキーやトルストイ、ゲーテやシラー、バルザックやスタンダードなど、文豪と呼ばれるほどの人びとの書いてみせた人間的苦悩の深さは、とても凡人には耐えがたいほどだが、まさにそういう深い苦しみ悩みを通じてこそかれらは、その反対に光り輝く美や愛や幸福を、あれだけ深くいきいきと感じることができたのだった。

 われわれ凡人には、とても苦しすぎてあんなふうにまで深く苦悩に沈む力はないが、しかしたとえそこまでいかずとも、苦しみ悩むことを通じてしか光と幸福へ達せられないという点では、天才も凡人も変りがあるわけではない。

 

 良い文章だと思う。25年前のわたしがバインダーに書き付けていた言葉である。





 

 ところで。最近、心理学の本を開いていて、気になる概念を見つけた。

 

 ネガティブ・ケイパビリティ

 

 である。

 

 

 ネガティブ・ケイパビリティとは、「不確実性や疑い、未知を許容する能力」のこと。不確実な状況や答えのない問題に直面した際に、すぐに結論を出そうとせずに、その状態を受け入れる力を指している。この概念は、もともと19世紀のイギリスの詩人ジョン・キーツによって提唱された。キーツは、優れた文学者には「曖昧さや疑念のなかにあっても、それを受け入れる能力が備わっている」と考え、そこからネガティブ・ケイパビリティの概念を確立したといわれている。

 

 ネガティブ・ケイパビリティに対して「ポジティブ・ケイパビリティ」という考え方もある。これは素早く問題を解決する力を指すが、人生においてはそれだけでは十分ではない。思考をどんなに巡らせても、不確実性や曖昧性を完全に取り除くことはできない。ネガティブ・ケイパビリティは、ポジティブ・ケイパビリティを補完する役割を果たし、「わからないもの」を冷静に捉えて許容する力の重要性が増している。

 

 ネガティブ・ケイパビリティを身につけることで、困難な状況に直面した際も悲観的にならずに事態を冷静に分析できるようになる。その結果、自分の感情をコントロールする力が高まり、複雑な問題にも落ち着いて柔軟に対応できるようになる。

 また、理論や理屈だけにとらわれない、柔軟な思考が養われるのもネガティブ・ケイパビリティを意識するメリットといえる。ネガティブ・ケイパビリティを意識することで、自分にはない発想や考え方に向き合うことができるようになる。

 さらに、ネガティブ・ケイパビリティは創造性や好奇心の源泉にもなりえる。未知の状態を受け入れることは、「まだ世にないもの」「答えのない問題」に対峙することにほかならない。

 

 深く悩み傷つき、挫折や絶望の体験を持っている時期も、もしかしたらこのネガティブ・ケイパビリティのような能力が育まれているのではないか?

 

 だから、つらい状況にある者も修行だと思えば、いくらかは気持ちも楽になると思う。司法書士などは、若くしてサクサク受かったのは、合格後は案外伸びないようである。苦労を知らないから、どうしても頭デッカチになって感度が悪くなるようで、杓子定規思考になって人から疎まれる実例を度々見てきた。弁護士も同じだと思う。要するに、察しの悪い知識放出マシンみたいになって人が寄りつかなくなるのである。これだと試験に受かった意味など半減・・・どころか無意味になってしまう。だから、つらい状況もきっと将来何かの役に立つはずである。そう思って頑張るのが最善である。

 人生の転機の意味は次のとおり。

 

人生の転機:人生のある偶然のために生き方が変わっていく瞬間。

 

 で、この人生の転機を経たあと、人生がうまくいく人といかない人がいる。その差を分けるのは、「4つのS」という話がある。

「4つのS」というのは 

 

①Self

②Situation

③Support

④Strategy

 

①Self(自己)自分は人生で何をしたいのかという志をはっきり定めているかどうか。

→偶発的な状況の変化で想定外のことが起こっても、志があれば、自分を見失わないから。

     

②Situation(状況)これから自分が入っていく世界はどういう世界か。

→きちんと認識できているか→知らずに入るのと、知ってから覚悟を持って入るのでは自ずと違う。

 

③Support(支援)孤軍奮闘よりも人脈のあるほうが困難に耐える力が出てくる。

→転機で栄える人はヒューマンネットワークのつくれる人。

 

④Stratery(戦略)これから自分はどうしていくかという方針を持つ。

→たとえ、想定外の不遇な状況に陥っても、その状況でできる最善を尽くせるかどうかで、その後の展開は変わる。

 

 

 最近、司法書士の研修の運営スタッフをやったので、司法書士の世界を考えてみる。司法書士試験というのは、難関試験である。個人的には、ロースクール出た後の(新)司法試験と遜色ないと思っている。

 

 で。たとえば、難関試験だからという理由だけ、ステータスがどうだ、金儲けがどうした・・・等々。こんな外面的な理由だけで司法書士の世界に飛び込むとどうなるか???

 

 あっという間に「業界のほんとかどうかもわからない実務界の常識」に飲み込まれて、「こんなはずでは・・・・((´;ω;`)ウゥゥ)」となるのがオチである。あとは、必死に我慢して染まっていくしかない。そのうち感覚が鈍磨して何も感じなくなる。

 

 特に「就職」して勤務する司法書士になると、ほとんどそうなる。なぜかというと、同じ司法書士を雇用し、事務所代やら様々の経費を払って、さらに給料まで支払うとなったならば、自然に「売上」を追求しなければ、やっていけなくなるからである。効率的にサクサクと金になるような業務ばかりを大量に処理していくことになる。ミスすれば怒鳴られ、いつもミスしないよう、上司や同僚や取引先の顔色を伺うようになる。

 

 口から出てくるのは、当たり障りのない世間常識、業界常識、特定の登記知識、相続に関する知識だけになる。正義とか真理とか、道徳とか、そんなものが入り込む隙は自然に無くなる。要するに、士業とはいいながらも、実際はただの「サラリーマン」と成り果てる。目の前の相談者は、自分たちに売り上げをもたらしてくれる対象かどうかだけが関心事になる。

 

 明確な①Selfを持たず、②Situnationの分析をできなかった者の末路は、悲惨となる。「これならば、ただの会社員で良かった」そんなことすら考えるようになる。

 

 次である。司法書士は独立志向の強い資格である。嫌なことが満載な法人など辞めてやる!と飛びだしたらどうなるか???最初は金が無くて地獄を見ることになる。看板を出しただけで、自動的に仕事が入ってくるわけではないからである。自分で、どっかから仕事を持ってくる必要がある。バカ面していたら破産してしまう。生死の狭間を彷徨うことになる。

 

 ここで大事なのは③Supportである。周囲に助けてくれる同業・先輩がいるかどうかである。後輩が困っていれば、なんとか助けてやろうという先輩は、司法書士界には少なからずいるものである。この辺りは、たいへん高尚な精神の持ち主がいることを嬉しく思う。一人で足腰がしっかりするまで頼ればいいのである。わたしも、いろいろな先輩・同業から助けられたからである。世話になったら、将来自分がまた「後輩」を助ければペイするから心配ない。

 

 あとは④strategyである。明確なオリジナルのストラテジーがあるかどうかで、自分の事務所がどんな事務所になっていくかが決まっていく。これと①Selfが主に「らしさ」を構成していく。

 

 司法書士の世界で独立するとこの「4つのS」が自分の事務所を形成していくことになる。わたしは、この中でも①Selfが大事だと思う。

 

 これが明確であれば、自分は人生で何をしたいのか?という志がはっきりしているので、偶発的な出来事に流されないからである。わたしは司法書士試験受験生時代、「法律を使って、何か人の役に立つことがしたい」という明確な意志を持っていた。金のことなど考えなかった。書を通じて司法に寄与するセルフイメージである。であるから、わたしのアイデンティティはどちらかというと、現代版司法書士ではなく、戦前の司法代書人と言われていた時代の司法代書人に近い。まずは、条文をベースに自分のアタマでいろいろと考えるタイプである。司法書士は法律家ではないというバカがいるが、それは多くの司法書士が簡単に金になる登記業務やら、相続業務に夢中になって、六法すら読めない、挙句の果てには調べものはインターネットで手抜き、こんなんだからそういうザマになるのである。司法書士には代理権の制限はあるものの、裁判書類作成業務に関しては、訴額などの制限はない。簡裁でも、地裁でも、高裁でも最高裁でも、なんでも書類作成をできる権限があり、かつそれは司法書士法上は受任義務がある。正当理由なく断ることすらできないのである。法律が分からないのに、書類が作成できるか?個別の司法書士の能力はさておき、法律上は我々司法書士は法律家なのである。舐めてかかると大やけどすることになる。特に司法書士を下に見ている弁護士などは注意である。わたしは時々、精神が「破壊神」みたいになることがあるので注意した方がいい。

 

 わたしは、受験時代からこんなSelfを持っていたので、不動産業者にペコペコすることもないし、やったことが無いという理由で裁判業務を断ることもない。売上を追求したいわけではないので、金がなくても、飢え死にしなければ良いだけだと腹をくくっているのである。

 

 気に入らんもんは気にいらんのだし、バカだと思えばたとえ総理にでもバカと言う。間違っても、「社長(⋈◍>◡<◍)。✧♡」なんて媚を売るような無様な真似はしない。そんなことをやるくらいなら死んだ方がマシである。わたしはそういう人間である。

 

 Selfとは、つまりはアイデンティティの問題につながっていくと思う。自分は他人とどこが同じでどこが違うのか。これを徹底的に自問自答していくとよい。そのうち自分らしさが自分でわかってくる。そうすれば無理をしなくても、自然に構えていられるようになる。意識する到達点はここである。