司法書士 荒谷直樹のブログ

司法書士 荒谷直樹のブログ

埼玉県所沢市の司法書士フラワー総合事務所代表。ジャンル問わず「本音」で書いているブログです。法律&メンタル&個人的戯言、などなど。司法書士としては相続登記~訴訟支援まで、幅広く相談を受けています。話をよく聴くタイプの司法書士です(^^)

 今日は贅沢にエビス




 うまい( ̄ー ̄)


 肴はこれ




 タイの頭。近くのスーパーで150円で買った。自分で焼いた。これもうまかった( ̄ー ̄)


 今日の午後は、相談者2人。どっちも相続相談。どっちもギクシャク案件。


 司法書士は中立公平がモットーだから、味方してほしい場合は弁護士さんへGo (。・ω・。)


 が基本。建前上はこれしか言いません。弁護士法を一応はたてます。一応は・・・ね


 相続トラブル。最大の原因は主にふたつ。わたしの意見


1 被相続人が遺言書を遺すべきだったのに、無責任にも無策で死んだこと。


2 相続人が被相続人類似の自己中人間の集合体だったこと。


 この2つが重なると相続トラブルが発生する。というのが、わたしの経験則。


 遺言書を作るべき人間が無策・・・というのは、すなわち無責任&自己中。そして主にその血族が、おなじように無責任&自己中な言い分をぶつけ合い相続トラブルとなる。これ、すなわち、因果応報


 こういうパターンを繰り返し繰り返し、見ていると、「個人」に焦点を当てる令和現代より、「家制度」を基本とした戦前の明治民法の社会が理にかなっていたのではないかという気がする。


 教育、環境、個人的努力でどこまで「血統」「DNA」の性質を乗り越えられるか?


 結婚も個人単位ではなく、家単位のコンセプトに戻せば良いのではないか?


 わたしは、こういう風に考えることが多くなった(。・ω・。)

 


 


 


 


 


 


 

 こないだやった簡易裁判所での訴訟。1回目の期日。わたしは、原告代理人だったが、裁判所サイドの対応が、やはり納得できない。モヤモヤする。

 自由心証主義はどこにいった?

 わたしは限られた、証拠になりそうなものを材料に、原告からヒアリングをして、訴状を作って提出した。

 相手方から出た、見るからに後付け仮装債権作出意図満載の作文に振り回されて、わたしの主張は聞いてすらもらえなかった。たぶん、訴状は読まれていない。証拠として出した和解契約書と相手の作文だけが切り取られて、不毛なやりとりを繰り返した。

 簡易裁判所は、裁判所ではないのか???

 証拠書類で読み取れないことは、訴状の中で、できる限りの主張をした。手に入るメールなりを証拠資料として添付して。

 全部スルー

 わたしが発言すると「文言解釈するなら地裁にいくよ」だと。司法書士に対する脅迫である。

 自由心証主義。簡裁にはないのか???社会通念、裁判官の経験則も判断の基準になるのではないか??なんで、こんなことになる??

 おかげで、次回期日は裁判官のご希望通り、地裁へ移送ということになった。弁護士と連携することにして、最初からすべてやり直す作戦に出る。錯誤取り消しで、全部ひっくり返して、もう一度、話全体を組み立て直す。

 あのさ。簡裁って、裁判所じゃなくて、示談所みたいになってね???サラ金や業者が主に使う示談所。だから、時々、ちゃんとした訴訟を持ち込まれると面倒なんじゃない??訴状読むの??

 自由心証主義。どこいった???

 

 (ネット検索パクリ)
 自由心証主義とは、裁判官が証拠調べの結果(証拠)と弁論の全趣旨を基に、事実の認定や証拠の評価(証明力)を独自の自由な判断で決める原則です。法律で証拠の価値を一律に決める法定証拠主義とは異なり、裁判官の専門能力を信頼し、真実発見を目指す仕組みです。 

主なポイント
  • 根拠: 民事訴訟法247条(民事)、刑事訴訟法318条(刑事)。
  • 内容: 証拠の信用性や価値を裁判官が自由に評価できる。
  • 制約: 恣意的な判断は許されず、論理法則・経験則(日常の常識)に従う必要がある。
  • 証拠能力: 原則として制限はない(違法に入手した証拠は例外)。 
自由心証主義は、裁判官が証拠の重要度を柔軟に判断する「証拠力の自由評価」と、証拠方法を制限しない「証拠方法の無制限」の2つから構成されます。 

 ネット記事でこんなの見つけた。






 ハラスメントが怖くて、コミュニケーションが怖いか・・・


結論

 人との信頼関係が築けないから、そうなる。言葉の前に、良好な人間関係が築けているかを確認した方が良い。


 司法書士でも、何年付き合っても、当たり障りのない内容の言葉しか発しないから、一向に関係性が深まらないヤツがいる。


 どこまで踏み込んで話をしたらいいかは、自分と相手との関係性がどの程度構築できているかによる。信頼関係である。


 ここをわかっていないと、話し言葉、態度をいくら改めても、たぶんダメである。


 セクハラを例にとる。女性の肩を男性がポンと叩いただけで、セクハラ扱いされることがあるやに聞く。それはな、その男性がその女性に嫌われているか、気持ち悪いと思われているからである。だから肩をポンが不快極まりなく感じるのである。


 男性人気俳優が同じことをしたら、喜びさえする女性はいっぱいいることであろう。


 自分がよく思われてないと思ったら、ハラスメントを心配する前に、良好な人間関係を構築する方法をよく考えた方が良いと思う。


 同じ言動をしてもAさんは問題視すらされず、Bさんは減給や免職になる事例は多いと思う。


 わたしは、女性にもダイレクトに年齢を聞く。



「あなた何歳ですか?(。・ω・。)?」と。世の男たちは、女性に歳を聴くのは失礼という固定観念に洗脳されて、こんな質問はしないようだが、わたしはこの質問でトラブルになったことはない。関係性と質問の仕方である。


 わたしはよくこう聴く。「話した感じ、わたしと年齢が近い気がしますが・・・」みたいに言うと、さらっと答えてもらえる。一例である。明らかに自分より若いのには、別の言い方をする。「女性に歳を聴くのは失礼だといいますが、明らかに若いみたいなので、歳を教えてくれませんか?」。と。


 こういう言葉の綾を意識して使うのである。これに、自分と相手との関係の深さ、信頼関係を総合判断して自分の「立ち居振舞い」を決める。


 人間関係とは、そんなものである。マニュアル的対応でどうこうなるものではない。