暖かくなったかと思ったら、雨だそうで(泣)。
あんまり春らしくないなぁ、と感じるのは私だけでしょうか。
今週はお出かけも多いので、雨は勘弁してくれぇ、だったりします。
継続は力なり、とはよく言ったもので、
望みは高いのに、身体スペックが伴わないと泣き言ばかり言っているようでいて
気が付けば、少しずつ、何かができるようになったり、近づいたりしているかな?ということがあると、誰が何と言おうと、小躍りしたくなるくらい嬉しいものです。
站椿(たんとう)功という、私にとっては最も苦手なお稽古方法の一つがあります。
言葉の意味としては、「杭のように断ち続ける」ということだそうで、
一般的に、軽く腰を落とした状態で立ち、両腕は胸前でボールを抱えるようにして姿勢を維持します。
別に、このお稽古を推奨したいわけでも、やり方を伝授したいわけでもないので
これ以上の詳細な説明は割愛します。
要するに、なんて、ちょっと乱暴ですが、
まず、同じ姿勢を保ち続けるという辛さ(苦笑)。
腕はだるくなるし、足も辛くなってくる・・・加えて、あれこれ気になって落ち着かない。
精神集中目的でもあるのに、だめじゃん、です。
楽な姿勢で行う瞑想も、実はそんなに好きではありません。
何も考えないとか、いろいろイメージしてみるものの、そういうときに限って
あちこちかゆくなってみたり、何かを思い出したり、最後には眠くなってしまうし(泣)。
何が辛いって、眠くなるのを我慢するくらい辛いのってないと思いますもの。
それでも、瞑想ができるようになるには、どうしたらいいか、
結構いろいろ考えてみたりもしたのです。
お香を焚いてみるとか、誘導CDを使うとか・・・おかげで逆に眠れないときに眠る方法を見つけてしまったくらいです(大笑)。
ただ、これが最近になって少し、捉え方が変わってきました。
動かないでいることの方が負荷がかかるということに気付いたことです。
あるインストラクターさんの指導で、目を閉じて站椿の姿勢をとってみるということがありました。
最初に肩幅に足を開いて立っただけの状態でも、身体の軸を意識しないでいると
身体は意外とふらふら小刻みに揺れてしまいます。
腰を落とし、基本姿勢がきちんとできると、一瞬でも揺れが消えます。
この経験で、私にとっての站椿をやる意味が少し変わりました。
自分の軸が定まるポイントを探し、調律する時間なのだという目的ができたのです。
ごくごく当たり前で、何を今更くらいのことなのでしょうが。
とにかく、やりがいとか、目的意識ができて、仕方なくやるではなく
これはやるべきだに代わってからの站椿の時間というのは
以前に比べて、短く感じられるようになってきました。
負荷に耐えられる筋力がついて来たことも後押ししているようですけれども。
4/2に台湾から来日中の姫老師の「黒姫内家拳」体験セミナーに参加してきました。
違う角度から自分がやっている太極拳を見ることができて、とても勉強になりました。
としか今は書けません。
来月発売の『秘伝』に記事が出るそうですので、詳しくは是非そちらで。