8月の癒しフェア出展からSTAR☆YUKAの新ブランドの立ち上げ、
9月は学園祭と会社の決算、そしてこの連休の朗読劇スタッフと、
駆け抜けた~という感じの2カ月となりました。
昨日から気持ちを切り替えて!と動こうとしましたが、
やっぱり疲れているんだなぁ~と自覚しました。
というわけで、昨日は銀行の振込などだけで、あとは家の片づけものをしたり。
緩急というのは、大事ですね。
朗読劇から帰宅した夜は、コレクションの中でもっとも高価で、
名香として知られる、松栄堂さんの「正覚」を焚きました。
「伽羅」のお線香です。
高価なだけではなく、香りも神々しいくらい芳しいので、特別な思いのある日しか焚かないことにしています。
伽羅 というのは、沈香の中で良い香りとされるものを言いますが、
明確に何が何パーセント以上含まれているといった基準があるわけではありません。
昔ながらの、職人の嗅覚だけが基準というところは今も変わらないらしいです。
江戸時代あたりは、いい香りのもの、極上のものを 伽羅 といっていたそうです。
吉原の太夫の名前に使われれば、それは格別の別嬪さんだということになるわけですね。
伽羅香にも、香司さんそれぞれでいくつかブランドがありますが、私のお気に入りに
香十さんの 伽羅静玄 というのもあります。
こちらもとても素晴らしい香りですが、昨晩久しぶりに正覚を焚いて、正覚の別格たるところというのを思い知った次第です。
香りって、言葉ではどうにもならないのがちょっと悲しいところです。
エッセンシャルオイルの吸引とは違って、お香の香りは、白くたなびく煙が解けたころ合いを静かにいただく、どこか、お抹茶をいただくのに似たところがあるように思います。
そのことが、自然と無理なく呼吸を深く、落ち着いたものにし、飛び跳ねている心もおちついてくるのかもしれません。
よく整えられた、整然とした庭の禅寺のもつ、静寂さの中に導かれるようでもあります。
それは、執着を手放すには最適の心の情景を描いてくれるのです。
今夜は、伽羅よりも甘さが控えられた、渋い沈香を少し。
本当は香木をいただくのが一番なのかもしれませんが、手軽さと気楽さ、
火が燃え移る景色が好きで、お線香を焚くのが好きです。
少しずつ燃えて移って行く光景というのが、時の流れそのもののようです。
あるがまま そう言ってもくれているようで。