こんにちは、Waiです(*'ω'*)

今日はとりとめもない雑記です。

 

5つぐらいやろうと思っていたエッセイの公募ですが2つをやっと投稿しました。

簡易書留って結構値段するのね~びっくりよ。

書いたものがどういう評価を受けるのかとても楽しみですが、そもそも評価されない場合もありますからね!

その辺は心しておこうと思います。

なにかしら、これから先の指針になってくれればと思うのですが、表に出す欲はほどほどに。でも心の中では欲深く。

 

最近、ここ1年くらい伸ばし続けていた髪の毛を久しぶりにバッサリ切ろうかと思います。

ずっとショートカットできていたのですが、彼氏にいわれるがまま気づけばミディアムくらいの長さに。

ポニーテールが好きだからそれはそれでいいのだけれど、やっぱり乾かす時が大変!そして邪魔くさい。

一言で言ってしまえば本当に邪魔。邪魔よ。(笑)

あとは、丸顔なのでショートカットのほうが似合うんですよね。

ショートカットに大ぶりのイヤリングの組み合わせとか最上級に大好きなので、早く戻したいわ♡

 

髪の毛を切るにあたって、初めてのパーマもかけようかと思います。

そしてピンクアッシュに染める( *´艸`)

パーマはショートカットに切ったあと、耳の横あたりをふあふあさせたい!!

それにしても、パーマとカラーは同時にできるのかしら?それが心配。

カラーもブリーチかけないとちゃんと色味が出ないから、かなり大変そうだけれど、ピンクの色味がっつり出したいナァ...

アッシュ系で綺麗な色味にしたい。

ピンク~!っていうよりは、あっさりピンクみたいな。

ネットで検索すると結構出てくるから、その画像を美容師さんに見せようかと思います。

 

関係ないけれど、大腸検査を最近受けたんですよね。

軽い健康診断みたいなカンジで、チッコ検査とか、エコーとか、レントゲンも撮ったわよ~

とにかく腹痛がすごかったので、いきつけのクリニックに行ったら即検査。

まぁ、結局「かなりの健康体」という所に落ち着いたのですが(笑)

びっくりしたのが、普段飲んでいるインヴェガが大腸の中で吸収されずに残っていたこと。3粒も残ってたのよ。ありえない。

医者に「これ効果発揮してないから飲んでないのと同じよ(笑)」「つぎ先生に会ったらこの薬減らしてくれるかもね」って言われちゃった!ヒェ~減ってくれるかしら~(*'ω'*)

 

とりあえず、今週は髪の毛を切りに行くじゃない?

大腸検査が終わったじゃない?

あとは公募!来月中旬までにひとつ仕上げなければいけないので、がんばるんば(=゚ω゚)ノ

最近ブログを書いてないのは、公募のほう頑張っているからです。

ネタがないわけじゃないです。

 

うそ!!ぶっちゃけネタもあんまりなくなってきている!!

雑記でも許してぴょん(*´ω`*)

こんにちは、Waiです(=゚ω゚)ノ

統合失調症です。

 

ネタ帳のなかでずっとくすぶっていた「愛ってなによ?」というテーマをやっと書きます。

珍しく答えの出ていない中で、着地点だけは見つけられたのかなと言うところで止まっていますが、書いているうちに閃いていくのがだいたいの僕なので産むがやすし('ω')

 

僕は基本的に愛とかそういう目に見えないものが苦手です。

概念的というか、結局考えを巡らせても当人の主観でしか物事語れなくなるような気がしてしまって。

生きる意味とかもこの前「自然の摂理に乗っ取っているだけ」という結論を出しましたが、今回もそんな風になってしまうのだろうか。

もう少しやわらかい、情緒的でロマンチックな答えが出せればいいのだけれど(*'▽')

 

でもねぇ僕はそんな風にして思えないかもしれない。

愛なんてそもそもないのだ。なんて正直考えてしまっているのが事実。だって見えないのだもの。

思いやり、気遣い、やさしさ、とかあるけれどそれは行動を表すのであって、愛ではないと思う。

愛というのはもっとふわっとしているべきじゃないのかしら。

甘美で、抗えなくて、心地がいい。

心で感じることはできるけれど、心も脳が機能するからであって「心」そのものは概念なのよね。

「感じる」ところまでいけば、それは脳が何かしらの伝達物質やホルモンを出しているから「感じる」だけなのよ。

そう考えると「愛」は、近い未来に科学で証明されるかもしれないわね。

 

科学で証明された「愛」とは「幸福指数」という事なのだろうか。

どれだけ心地が良いと「脳が認識する」のかをデータ化していけば、疑似的に「愛」を感じることができるかもしれない。

それが「愛」を感じにくい精神疾患の現場で使えるようになったら、もしかして「幸せ」を感じる人は増えるのかも!?なんて思ってしまった。

冷たいように感じるかもしれないのだけれど、科学的に証明されるということは、主観的な「愛」という個々の概念ではなくなるという事。

こういう行動をすれば「愛」というのが定義されるようになるのだから、大多数の人の「愛」を感じる(認識する)レベルは上がるはず。

極論、みんな幸せになれる。

 

うーん、昔だったら「心から思っていないような愛ならいらない!」と喚いていたかもしれないけれど、今書いていて思ったわ。全然アリよ(; ・`д・´)

だって僕たちの知らない間に、主治医はあれこれ苦心して科学的に良いとされている方向にひっぱっていってくれているのだもの。

もはや最先端を享受しているといっても間違いはない。

認知行動療法だって、作業療法だって科学的な根拠があってやっているのだから医師がそれをしたことで、僕たちが「幸福」を感じられているのなら、もうそれは「愛」よ。少し突飛かもしれないけれど。

 

いいわね、これからの時代「愛」すらも科学的に証明されるというの。

結果として情緒的でロマンチックな結論には達しなかったけれど、僕的には科学で証明される「愛」を見てみたいな。

視覚化できれば、空気が読めないとか、デリカシーがないとか言われている人たちだって、相手の心地よいところを掴めるようになるのだもの。これってとても素敵なことだと思わない(*´ω`*)?

コミュ障の人たちが生きやすくなるわよきっと。

そんな世界を見てみたいわね。

こんにちは、Waiです(*'ω'*)

統合失調症です。

 

学生時代、文章を書くのが苦じゃない僕は友達の読書感想文のゴーストライターをやることがあった。

何の気もなしにOKを出しちゃったけれど、内心は不安でいっぱい。

だってその友達はそこそこの進学校に通っていたし、そもそも文体とかも違うだろうし、バレない!?ってめっちゃ思ってた(笑)

それでもちょっと楽しそうだったから請け負っちゃったのよね(=゚ω゚)ノ

 

友達から渡された課題の本は、夏目漱石の「こころ」という本。

高校生ならだいたいの人が読ませられるであろうあれね('ω')

読み始めは割と普通で、読み切れるのかな?ってカンジだったのだけれど、3章で一気に読み進めたのを覚えてる。

主人公が「先生」と呼んでいる人の遺書だけでできている章なのだけれど、「先生」の腹黒さと潔癖さが良い!

友達の好きな人を奪って自殺にまで追い詰めた自分のやるせなさとか、ちょっとした「先生」のプライドとかが見え隠れしていて、確かに「先生」と呼べるほどの人ではないのかも。と思ってしまう。

 

結局、がーっと読んで1日で読書感想文を仕上げたのよ。

面白い作品じゃなきゃ書けなかったのかもと今では思う。

友達にメールで書いた読書感想文を送って、最終的にはバレなかったから良かったけれど、友達のためにはきっとならない(笑( *´艸`)

 

そうしたら今度は、文章を書くのが本当に苦手な妹が僕にゴーストライターを頼んできたわ('ω')

妹ったらとても傲慢に「アンタなら書けるでしょ???」てカンジに強制してきたといっても過言ではない。

書かないという選択肢は与えられなかった(笑)

 

その時は何を書いたのか忘れてしまったのだけれど、妹が本の感想を箇条書きにしたものを僕が文章としてつなぎ合わせたのよね。

本当に立派なゴーストライターだわ!

その時の作品を思い出したいのだけれど、何だったかしらねぇ。

 

2回ゴーストライターして思ったのは、僕は文章を書くのが好きなのだということ。

2人どちらの文章もスラスラ書けて、それがいい評価を貰えたのかどうかは聞かなかったからわからなかったけれど、感謝してくれたのだから、それでいいか!ってカンジ。

 

思い返せば、読書感想文のコンクールに出品されたりとか、小学生の時は学級新聞に作文が載ったりとかしていて、ちょっとした特技なのかもしれない。

やっぱりそれが文章として面白いかとか、技術があるかと言われればまた別のお話になってしまうのだけれど。

 

ブログも何も考えずにスラスラ書いてしまう。

というより書きたいことがありすぎて文章がとても長くなる。

そして何よりネタ帳の埋め尽くす速さが尋常じゃない!

1記事書くと、次の日には2つくらいネタが浮かんでいる。

どういうことじゃ!?そんなに書きたいのか!?って思ってしまう。

書きたいんです。きっと(笑)

 

ネタ帳の中で一番重たいテーマが「愛とは何か?」なのだけれど、これ書くのにどれくらい時間かかるんだろうとコワイ。

それでも大事なテーマだと思うので書きます。はい。以上!(*'ω'*)

こんばんは、Waiです('ω')

統合失調症です。今日は簡単な雑記を!

 

最近、ブログもぼちぼち書き始めて1か月ちょっとたつので、何かアクションを起こそうかなとエッセイの公募に手を出し始めたわ(*'ω'*)

テーマがいろいろあるのだけれど、自分が経験して強く印象に残っているものを拾っていってみたら、来年2月末までの締め切りで5個くらいあった!

ひとつは9月末が締め切りだったので投稿済み。

残り4つは、11月締め切りが3つと、2月締め切りが1つ。

どこまで書けるかはわからないけれど、今は2つめの原稿に入っているのよ♡

読書に関するエピソードってありすぎて困っちゃうわね。ってカンジ('ω')

 

そうそう、ここ半年くらいお腹がものすごく痛いときがあって、直腸のあたりが張り裂けそうに痛んだり、膀胱にチッコがたまると下腹部がギュルゥルゥルウって痛むから、なんだろうと思って病院に行ったのよ。

そうしたら、レントゲンだけ撮りましょうとなり、撮ったらとったでエコーだの血液検査だのチッコ検査だのやる羽目になり...

一応異常はなかったんだけど、3年前の健康診断で大腸検査引っかかったのに受けなかったからという理由で、今週末に大腸検査することになった。

普段弱音を吐かない父が、大腸検査の時に限って「2度とやらない」って言っていたくらい痛いそうなのでめちゃめちゃ怖い(笑)

その一言だけで異常に恐怖感植え付けられてるのは間違いないわ...(*'ω'*)!!!

まぁその反面、祖母が大腸検査した時は痛くもなんともなかったそうなので、そちらに期待。

麻酔をしてくれるみたいなのでたぶん大丈夫でしょう。

 

ここ何日かは0時前には眠くなってしまうんだナァ。

眠くて眠くて仕方がない。

2時ぐらいにねて13時くらいに起きてる。

凄い怠惰だわ('_')

ただちゃんと寝ているので、そのぶん陽性症状はあまり出てこない。幻聴とか大人しくしてくれている。疲れもあるけれど眠たいのは陰性症状もあるかな。

 

では、おやすみなさい。

明日からまた思考したことについて書くわ('ω')

よろしくね♡

こんにちは、Waiです(*^^*)

統合失調症です。

 

幼いときからよく考えていたのだけれど、そもそも「生きるってどういうこと?」「生きる意味って?」って本当に答えの出ない、というか答えあるの?的な思考を良くしていて、最近やっと答えが出た。

 

「生きるとは自然の摂理にのっとっているだけのもの」

 

これだ!!

 

僕を生んだ母とか、血を分けた父はいるけれど、父も母も等しく動物で、祖母から生まれて、祖父と血を分け合っている。

これはもう生命の連鎖以上でも以下でもないなってふと思ったの。

 

僕たちはただ生まれ、ただ生きている。それだけの話なのよ。

 

大前提として、僕は「僕自身を定義するときに、誰から生まれたとか関係なく、ただそこにある」という考えを持っているのね。

誰から望まれてそこに存在しているわけでもなく、誰にも望まれずそこに存在しているわけでもない。

僕は僕であると言える僕が僕そのものだし、それは誰にも影響されない。そして、誰にも影響を与えない。ただ、そこに「ある」というだけ。

 

誰から生まれたと言えば母だけれど、僕が僕であると存在証明をするには、血縁関係だけでは薄すぎる。

そこに、僕が僕であると考えている僕自身(ある意味思考ともいう)がそもそも僕なんだと思う。

それは誰かから生まれたわけじゃない。

僕が、僕自身を僕だと考えるとき、はじめて僕は存在する。

 

生まれるときに、自分自身の肉体というのはとても受動的にできている。

自分から望んで生まれたわけではない僕たちはあまりに受動的すぎる。

でも、僕たち自身を定義するときに、それは極めて能動的だ。

自分を自分だと考えない限りは永遠に自身を認知することはできない。

自分から動かなければ自分だと認識できないのだ。

 

生きていることを考えるとき、自分と対峙するとき、それはたぶん人間にしか起こらない。

犬も猫もそんなこと考えない。

ただ、生きている。

 

その、圧倒的に「生きている」だけの彼らからすれば僕たち人間はどう考えても少数派だ。

どこからきて、どこにゆくのか、僕を僕と定義するときに、いろいろな夢を持ち出す人はいるだろう。

宇宙で暮らしたい、海外へ行きたい、起業したい、好かれる人間になりたい、色々あるけれど、どう考えてもそれは人間レベルの話なんだと思う。

 

多数派から見れば、ただお腹がすいたからご飯を食べ、眠たくなったら寝る。子孫を残すためとも考えずただ季節的に交尾をする。

それだけの話なんだよね。

そのレベルでの話を持ち出してしまえば、人間とはいたく複雑なんだと思う。というより、色々やる事を持ち出さないと居ても立っても居られないほど、暇なんだと思う。

 

ただ食べ、ただ寝て、ただ性交する。

その欲求に逆らわずにいたら本当に忙しい毎日だと感じてしまう。

 

人間は思考するという武器と引き換えに暇になってしまったのかもしれない。

 

だから「生きてる意味」とか考えているときは、人間性を高めるうえで必要だけれど、生きていく上ではなんの必要も持たない。寝ることとも食べることとも性交することとも関係ない。

思考と引き換えに暇になっちゃったから考えてるだけ。

 

だから僕は「生きるとは自然の摂理にのっとっている」と考えているわ。

生まれ、死んで、繁栄して、また衰退して、食物連鎖がある。

それだけのシンプルな話なんだと思う。

 

生まれた瞬間に、何で生きてるの?と言われたら答えられないように、赤子はそのシンプルさをとてもよく体現していると思う。

大人になるにつれて、だんだん知恵がついてきて、それこそが人間であり、一番の弱点なんじゃないのかしら。

赤子は生きることに凄いシンプルで野性的だけど、大人になるごとに暇になっていくのね。

 

だからもし、「生きる意味」とか考え始めたら「自然の摂理に反し始めている」と思ってしまうかも。

人間だって動物なんだから「自然の摂理にのっとる」ほうが圧倒的に生きやすいと思う。

だから、ただ生きて、ただ飯を食って、排泄して、性交して、寝ればいいんだと思う。

「でも社会生活が...」とか考え始めたらますます暇になっていくわよ。

人間だけに許された特権であって、弱点なんだから。

本能に従って生きると言うのはとても忙しい事なのよ、きっと。

 

自然規模で見たら、人生に傷がつくとか、見栄とか体裁とかがどれほど価値のないものかもわかってきて、どーでもよくなるわね。

僕らにできることはただ一つ、食って寝て性交する、たまにちょっと人間生活をして寄り道する。

それが一番かもしれないわ。