こんにちは、Waiです(/・ω・)/

統合失調症です。

 

僕にはずっと追っている夢がありました。

「花屋に復帰する」これ!ずっとそう。

もう働けなくなってからは、何年もそのために色々なものを犠牲にして復帰に足掻いたわね。

結局諦めたのだけど('ω')

 

なんか、夢を追うっていうのは自分にとっては遠過ぎて、課金ガチャ地獄にはまっているような感じだったわね~

夢というSSRを出すために、寿命というお金を使ってひたすらガチャを回し続ける感覚。

恐ろしいわ~(/・ω・)/

 

NとかRとかは、日常でおきるささやかな幸せだとして、まぁ地道な努力で手に入るけれど、職場の復帰はまぐれ当たりしないかぎり無理だったからねぇ。

いまは3年という金額を使って、SSR当てるためにガチャ回してるってカンジ。

一応主治医のほうから、3~4年したら元戻るわよって言ってくださったので、3年の間に何をするかよね。

本当は1年後くらいには就活を始めてもいいよとも言われたのだけれど、せっかくだから寛解してからのんびりでもいいかなぁ~って。

治る途中で就職して悪化するくらいなら、時間はかかるけれど寛解してから就職したほうが近道かもしれない!みたいな。

 

SSRを引ける日はくるのかしら。

AIが台頭してくるとあと数年で事務職もなくなりますし、手に職つけなきゃよね~_(:3 」∠)_

 

接客業、営業がすきなので、花屋復帰はしたいけれど。

ほかに技術として何か職にできるほどのものを持ってないわ~やばい~

 

絵とかもかくけれど、さすがに絵を職にはできないなぁ。

好きな時に好きなように書きたい気持ちしかないから、デザイン関係は向かなさそう。

 

いっそ働かないという選択肢もあるけれどね(*^▽^*)(笑)

働けるなら働きたいけれど、3年後に就職して働いてみて、ちゃんと病状が悪化しないなら働こうってカンジ。

悪化するくらいなら働きたくない。健康壊してまで働くとか絶対嫌だ。

ただし収入が無くなる_(:3 」∠)_

 

課金ガチャいつまで回せばいいんですかね。

こんばんは、Waiです_(:3 」∠)_

統合失調症です。

 

精神疾患も「個性」と言われるようになって久しいですが、多様性を認めてくれる社会になったんだな。なんて思えない気分になることが多い僕です。

 

今日は「多様性を認める」とはどういうことか?を考えていただける機会になればという思いで書いているわ。

 

だいたい「個性」ってちょっとポジティブに使いたいときに多いじゃないですか。

もちろんそうじゃないことも多いですけれど、とかく「個性大事」と言われ始めてきた平成社会に生まれた僕なので、とらえ方としてはそれで話を進めますね。

 

都合のいいように「多様性を認めよう」ということで、精神疾患も、自閉症スペクトラムも、身体障害も「個性」でくくられるわけですよ。

言葉としては「個性」とは適切かもしれないですけれど、「個性的になりたい病」時代を生き抜いてきた僕からしたら、病気も「個性」とくくられてしまうと、う~んとなる。

 

そもそも精神疾患を持っている僕からしたら「病気」を「個性」でくくられてしまったら立ち行かないわ。

「病気」は「病気」であって「個性」とは別物だと言いたいのよね。

憧れられるわけでもなく、時には非難される対象なわけですよ。

もし「病気」が「個性」なのだとしたら、そもそも癌ですら「個性」だ。

でも認知度の問題なのか癌はそれほど非難されないし、個性ともいわれない。

 

ごくごく「普通」とか「平均的」という所から外れていれば、なんでも「個性」でくくっていいのは、ある意味「逃げ」でもあると思うのよね。

扱い方がわからない、対応がわからない、何かが普通の人と違う、明らかに違和感を感じる。

でも「多様性」を認めなければいけないから、とりあえず「個性」という言葉でごまかす。

それでは根本的な解決にはならないし、差別用語として「個性」が扱われているようでいかんせん腹が立つわ。

 

だから僕はあえて「病気」は「病気」として扱ってほしい。

そしてそこから「病気」なのだから「対処の仕方はある」という所まで進んでほしいわけですね。

 

知識は何者においても武器になります。

知らないから違和感を感じて怖いんです。嫌悪感を抱くんです。

だから「普通」の人にはまず「知る」ということを知ってほしい。

何でもいい、些細なことでもいい、たとえばインフルエンザがワクチンで防げるように、僕らの症状もパターンを把握すれば防げるのです。それは当事者である僕が胸を張って言えます。

愛だとか、優しさだとか、思いやりとか、ふわっとしたことでなくても良い。ただ、症状のパターンを把握すればワクチンを打つように防ぐことは必ずできます。

 

「病気」を「個性」という言葉でごまかさないでください、と強く思うわ。

「個性」だから仕方がないよね。まで行ってしまったら「知る」ということが無くなる。

そして本来なら「個性を尊重しよう」と言っている社会自体に、こんどは「個性」というのが「差別」という意識になってしまう。

 

多様性を認める。その言葉だけでいいじゃないのかしら。

わざわざ難しく「個性」という言葉を使わなくていいのよ。

そして嫌悪感を持ってしまっても、違和感を感じてしまっても、正直僕は仕方がないと思っている。

だってだれも「知らない」のだもの。

 

言うのは2回目ですが、「知る」というのは何者においても勝る最強の武器です。

もちろん「関わりたくないから知りたくない」それも良いんです。

多様性を認めるというのは、その意見すらも認めるという事なのですから。

 

でももし大切な誰かが、大切でなくても知らなければならない立場になったら、迷わず「知る」ということを取ってほしいと思うわ。

僕も大切な人と宗教の違いがありますが、ちゃんと相手の宗教について徹底的に調べました。

はじめはビックリしたし、たまに違和感を感じることもあります。

ですが、それとこれとは別の話で、相手がなんの宗教だからと言って、僕に見せている面が欠陥的に、また決定的に悪だというわけではなかったわ。

ただ、宗教の違いがあるだけです。

 

病気と宗教は違うかもしれません。

ですが僕が伝えたいのは「多様性を認めるとはどういうことか」というのを、これを読んでくださった方にしっかりと考える機会のひとつになれば良いなという思いで書いてしまうのよ。

 

僕はその大切な人に病気であること、LGBTであることを告げましたが、ありがたいことに受け入れてくれました。

もちろんそうじゃない場合もありますし、病気が原因でさまざまな人との対立がおきて最終的には友達や職場から社会から非難されることも多かったです。

だけれど、その反面そうじゃない人もいました。

 

僕はその2つの面について、どちらも肯定しようと思います。

非難することも、受け入れることも、ほかには無関心であることも、どれも多様性のありかただと思うのです。

それが僕の答えです。

 

長い文章を最後まで読んでくださりありがとうございました(*'ω'*)

この記事が少しでも多くの人に届きますように。

こんばんは、Waiです('ω')

統合失調症です。

 

わりとよく言われている「小さな目標からこなすのが一番いい」だけれど、僕はどちらかというとこれに異を唱えたい!

 

そもそも、「出来るはずなのにできない」から悩んでいるわけであって、自分の掲げた目標が「出来ると思う」から挑戦するじゃない。

それをよりによって「出来ない目標を掲げるくらいなら、小さいのを..」とか言われたら、は???って正直なりません?

いや僕の被害妄想も入っているわよ。そりゃ善意でアドバイスしてくれているのだから、そりゃそうでしょうよ。

 

なのだけれど、僕はちゃんと「は???こんなことも出来ないって思われてるの?」という疑問を持つ気持ちを大切にしてほしい。

自分の掲げた目標って「これくらいなら出来そう」っていう「自信」からくるじゃない。

それを「出来ないと思うから低くしようよ」なんて、おこがまし過ぎか~!!!

せっかく一言くれるなら「一緒に頑張ろうよ」ぐらい応援してくれてもよぐねか~???

なんて僕は思っちゃうわけです(*'ω'*)

 

確かに「小さな成功体験を重ねる」って本当に大切なことではあるのだけれど、その小ささも個人個人にあっていいと思うの。

客観的に見て「大きくない?」と思えることでも、当人にとって「小さい」ならそれでいいのよ。

むやみやたら卑屈になって「自分にはこれ位がお似合い」とか思い始めたら逆に屈折していくし、その目標が達成されても「これくらい誰でも出来るしね」って素直に褒めてあげられないじゃないの。

だったら、客観性はいったん置いておいて、自分の「やってみたい目標」をとにかく信じ続けたほうがいい!

 

ただ、何かを努力するにあたって目標を達成したいのなら「適切な努力」をしなければならないという事。

何かしら目標があっても、斜め上方向の努力をしていたらいつまでたっても目標は達成できないのね。

だから努力を続けながら、それが今の自分にしっくりきているか、都度確認するのは大切よ。

 

あとは引き際も考えておいたほうがいいと思うわ。

挑戦し続けているうちに自分の力量がわかるようになってくるから、続けている最中に気が変わったら「ちょっとコンビニ行ってくる」ぐらいの感覚で気軽にやめちゃってOK!

フットワークは軽ければ軽いほうがいいと僕は思うほうなので、思いついたことをちゃんと熟考してみて、やり方が変わるならどんどん動いたほうがいいわね。

行動しない人に望む未来なんかないから。それは決定事項だから。

 

この「行動する」っていうのには「休息をとる」行動とかもあるのよ。

なにも常に何かしらエネルギッシュに挑戦することが「行動する」ってわけじゃないわ。

自分の持っている目標に対して「適切な努力」をできているかが大切なだけだからね。

 

ちなみに、なんで僕がいまこんな事を書いているのかというと、最近やっと適切な努力の経験値を身に染みて感じてきていて、しかもそれは「客観的に見て小さな目標」ではなかったから!

大きければ大きいほどいいってわけでもないし、それは逆も言えることなのだけれど「今の自分にとって適切なハードル」っていうのは絶対あると思う。

 

僕はもともとフリーターで働いていたから「花屋復帰」を目標にやっていたのね。だから自然と「週5日フルタイムで働く」というのに異論はなかったし、まずはそこクリアしないといけないなと思って。

でもいろんな人から「もっとハードルを低くしなさい」って言われ続けてきたから何とか考えて、父の働く会社で週2日5時間で雇ってもらったの。

でも4回くらい行ったらもう行けなかった。失敗した!ハードル高かった!!って思ったから、今度は就労継続支援B型で週3回1コマで働いたけれど、半年で挫折したわけ。

こんなにハードル低くしてもだめなのか!?僕はもう働けないんですかね!?と、まぁ不安で不安で仕方なかったの。

 

でね、主治医にそのことを言ったら

 

「ハードルを低くしすぎたんだよ。どんどん出来なくなるたびにハードルを下げて出来なかったんだから自信を失っても仕方がないね」

 

とか言われちゃったわ~

だから低すぎるのも良くないってことなのよね。

あとは僕自身の性格上「できないとわかっていることでも挑戦することに意味がある」タイプだから、一般的な「低いハードル」はモチベーションも上がらなかったのです。正直。

 

で、その時に気づいたのは「適切な努力ができていなかった」ということ。

そして今の僕にできる「フルタイムで働く」ための目標を達成する近道には「休息以外にない」という答えにたどり着いたのですね。

もちろん、3年ぐらいで病状は落ち着くという主治医のお墨付きをもらったから出来ることなのですけれど、僕にはリハビリと称して少しの時間づつ働くというのは、自信もなくなるし適切な努力じゃなかったみたい。

 

だから、復帰までの3年間は自分の内面を磨く時間に変えた。

前にも書いたけれど「ご老人1年生」になったとき、人の一歩も二歩も先を進めるように、遊びつくそうと思ったわけなんです。

ブログを書いて、エッセイの公募に応募して、本を沢山読んで、自己表現を飽きるまでやる。

それが「フルタイムで働けるようになる」適切な近道だったんですね。

 

何を目標とするかは人の自由だし、どんなに人から笑われるような目標でも、倫理に反していないのなら僕は応援したい。

それはどの人に対しても変わらないし、自信のなくなるような目標たてるくらいなら、実際にできるかできないかは置いておいて「とりあえずやってみる」をしたほうが楽しいと思うわよ。

それが出来れば真逆の世界も見えてくるし、失敗もできるし、経験値積めるから、失敗ほど自信をつけてくれるものってほかに無いよ!って思う。

ごちゃごちゃ言ったり言われる前に「ちょっとアイス買ってくる」くらいの気軽な気持ちで始めちゃったほうが楽しいし気楽です。

 

僕があと一つ言えるとしたら「ちょっと背伸びするくらい」の目標を立てた時が一番達成感ありました。

花屋時代はそのおかげで職場では重宝されて嬉しかったです。

今日は売上8万やるぞー!とか、誰もやらない品質管理を徹底するぞー!とか、商品としてまだ見込みあるし処分品売りつくすぞー!とか、花束3つ同時進行でやっちゃうか~!とか。

こういう積み重ねではありましたが、ちゃんと結果出しましたからね!

 

いろいろ試行錯誤してみて、挑戦が楽しくなれたら、どの人よりも先に進んでいることは間違いないと思う。

「自分のやりたい目標」はモチベーションを保つのに本当に必要だから、お互いに頑張っていきましょう!僕も頑張るわ!

こんばんは、Waiです('ω')

統合失調症で性犯罪被害の当事者です。

 

まえに性犯罪の被害者なんです~とブログに書き、後半で具合が悪くなったにも関わらず、性犯罪はよくないと抗議するためにまた記事書くぞ!と言っていたので、体調も落ち着いてきたし書いてみようと思います。

 

あれからずっと、幻覚で舌で這われる感覚とか、罵倒される幻聴が出ていることに変わりはないし、そういうことがあるたびに居た堪れない気持ちになって、心の中で暴言の限りを尽くすわけなのですが、キリがないのよね。本当にもうマジでキリがない。

直接「二度と関わらないでください」って言ったし、連絡先もちゃんと変更して教えないということを徹底してきたので、もう僕の人生に直接的に関わってくることはないと思うけれども、死神のように残像が張り付くのどうにかなりませんかね('ω')

考えれば考えるほどひどい話ですよ。

被害者の人生を狂わせるって知らないからできちゃうんだと思うのですけれど、そもそも倫理に反しますからねぇ。

常識の欠如といっても過言ではないかもしれないわ。

 

そんななか、最近依存症に関するネット記事を読んだのですが、加害者はまさにそれなのじゃないかと思ったわけなんです~

ネット、ギャンブル、飲酒いろいろあるけれど、そのなかに性依存症というのもあるのですよね('ω')

性的な物から離れられない人たちという認識ですが、加害者のほうは毎晩プロの女の子をとっかえひっかえしているような方なので、まさにそれじゃないか!と。

 

性依存症の原因には家庭環境とか、日々のストレスなどあるらしいのですが、なにより性的嫌がらせをしたときに得られる征服感や優越感がたまらないらしいです。

だったらだれにも迷惑かけずに精進しまいよ。と僕は思っちゃうわけなんだけれど(-_-)

まぁ、社会的なリスクを負ってでも自分を満たすためだけに他人を利用するとはたいそれたことですが、弱者をみつけてそこにつけこむというのは、自分の「出来損ない加減」を自らさらしているようなものですからねぇ。実はただの露出狂だったのかもしれないわと思うわ_(:3 」∠)_

 

もともと加害者は人格にも難のある方ではあったのですが、性依存症の可能性を知ってからはちょっと気分が楽よ。

幻覚で加害者が出てきても、「こいつ依存症だったわw」で済ます。済まない事のほうが多いけれど、とりあえずそれで済ます。

もちろん僕の気持ちはグヅグヅ煮えたぎってはいるのだけれど、そこは大目に見てやろうではないかと恩を売っておく。幻覚や残像に恩を売るって言うのも変な話だけれど、そんな気持ちになっておくと少しだけ楽ね。

 

現実世界の話としてなら、僕は加害者に「社会的に殺されてくれればなんでもいい」ぐらいのことは思っています。

訴えて、示談にでもして、示談金がっぽりもらって、「去勢」をしてもらえればそれで充分!

あとは、社会的に生きられなくなってくれたらそれで気持ちは晴れるのよ。

僕みたいな思いをする人を二度と作ってほしくないからね。

 

本音を言えばそんな簡単なことですら警察は対応してくれなかったのが本当に残念。

ストーカー被害にもあっていたのに、「電話番号を変えてくださいね」の一点張りだし、逮捕から訴えるとなったら沢山のお金と時間が必要ですよ本当にいいんですか?みたいな感じで、暗に諦めるように諭してきたのは今でも納得がいかないわね。

裏でつながってたんじゃないかしら?って疑いたくもなっちゃうわよ(*´ω`*)

 

まぁでも加害者は「性依存症」ということで落ち着いたので、冷ややかな目で見ていられます。

あとは徐々に幻覚関係が無くなっていってくれればこれ以上の幸せはありませぬ。

 

どこかの国では、性犯罪が起きた時に男性の局部を切り取ってプロペラで飛ばすとかいうのがあるって聞いて笑えたので、どんどん加害者の局部をぶっ飛ばしていきたいと思うわ。

あと、女性の陰部に専用の器具を取り付けると、挿入された後に男性の局部が抜けなくなるうえ、抜こうとすると器具についている刃が局部をズタズタに引き裂く防犯グッズとかあるらしいです。最強か(*'ω'*)買おうかな...

 

世の中さ、みんな加害者を許せ許せって言うけれど、許しちゃいけないことも世の中に沢山あるわよ。

自分の尊厳を保つためにも、ここまではOKでここからはNGっていうのをちゃんと決めて、許せないことは許せなくていいんだから。

何でもかんでも許してたら加害者に対して甘すぎる!

僕はそう思うわね。

それ相応の報いをちゃんと受けてくれなくちゃ困るわ。ねぇ?性依存症の加害者ちゃん(=゚ω゚)ノ

こんばんは、Waiです(*'ω'*)

統合失調症です。

 

4年ほど前の話なのだけれど、就労移行支援に通っているころは、文章が読めなくなったことがあったのよね。

普通に読み書きができるのだけれど、ふとした瞬間に一字一字がわからなくなる。

目で文章を追って、頭で理解することができないの。

何度読んでも理解ができない、これなんなのかしら?

今はもう回復しているのだけれど、当時は就活とかがあったから履歴書も書かなくちゃいけないしで大変だったわ(*'ω'*)

 

幻聴も一緒に出てくるのだけれど、頭の中にいる7人の子供全員に見ている内容を伝えなければならなかったから、7回同じところを読まないと意味が理解できないのよね。

「はいまず一人目、つぎ二人目...」って頭の中で声が聞こえて、それにあわせて文章を目で追うのだけれど、7人目が終わるまでは全く内容を理解できないし、理解させてくれない。

途中で考え込んだり、一字づつ確認しながら読むと、頭の中がスーッとして考えが抜き取られてしまうから、スーッとなる前に理解しないといけないのだけれど、読んだ瞬間にスーってなるから全く理解が追い付かないの。

もう本当にこれがつらくて、2回くらいパニックを起こして作業場でワンワン泣いたわ(笑)

 

これ、たぶん認知機能の問題だと思うのだけれど、どうなのだろう?

認知機能が衰えると本が読めなくなったりもするらしいからね。

あと記憶障害がボチボチあった。

だから病状がMAXの時の事はほぼ覚えてない。

何が真実で、なにが虚実なのかもわかっていないのよ。

幻聴や妄想だったかもしれないし、真実だったかもしれないし。

 

解決方法は全くなかったのだけれど、時間がたつにつれて良くなってきたかな。

数年単位の話だから気の遠くなるような年数ではあるけれど。

でも何もせずのんびりしているときは陽性症状も落ち着くし、それに伴ってって言うカンジかしら('ω')

 

認知機能の障害ってつらいのよねえ。

僕も読書家だから本が読めないのはツラかったし。

「何でこんなこともできないの!!」って精神的な自傷行為したわぁ。

そう考えるとこの数年の回復ぶりは目覚ましいので、これからも自堕落にいくわよ~♡