幾山河 越えさり行かば 寂しさの
はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく
若山牧水
(どれだけ、山や大きな河をこえてゆけば
「寂しさのなくなる国」にたどり着くのだろう。
私は今日も旅をする)
オレが実業高校で
最後の授業の教材は
牧水のこの短歌で終わったのだ。
生徒は1年生
授業のやりやすい、いいクラスだった。
(他がやんちゃばかりだったせいか…苦笑)
オレは高校3年のときに習ったのだが、
3年のときのオレの国語の担当教諭は
「大ハズレ」だった!
理由はカンタン、担当が、
キンキン声のバスガイドを
陰険にしたような性格の悪い婆あ
で、あろうことか
それがクラスの担任だったのだ。
もちろん今でも大嫌いである。
二度と関わりなどしたくはない。
2年のときに
面倒を見てもらった先生には、
感謝してもし足りないのだが
それに引き換えコイツは……
品性下劣極まりないくせに
『自分は上品だ・格上だ』と
いわんばかりで
嫌味を抜かしやがる。
1年と3年のとき、コイツと関わったのだが
当時のリベンジは、最後の
『3者面談』でやった。
「(サボったオレも悪いのだが)
課題も提出しない、
漢字テストはこの点数(と、ぶちまける。)
こんな学習態度なら
どこも推薦なんかしませんよ!」
と高飛車に出たので
オレは言った。
「貴方の推薦する学校
(隣県数校)なんか、
行きたいと思ってませんし
興味もないです。
自分の行きたい学校は
自分で決めて
『自力』で行きますので
ほっといてください。」
思わぬ反撃に、
ヤツはヒステリックに
何言かをわめき散らしたが、
どうでもよかった。
隣にいた親は
ハラハラしたらしいが…。
(おかげで、大学で高3の
担任の名前を書くときは、
必ずオレは
2年の担任(世話になった先生)
の名前を書いたぐらいだ)
その後、他校でも悪名を轟かせ
……知る限りでは
「ニュージーランド」に移住したらしい。
オレらの親から
あんな授業で
『授業料』(税金!)を
くすねてである。
バカ野郎!!
『アルカトラズ島』か
『バスチーユ監獄』にでも
入っていやがれ!!!
この短歌も
「お下劣婆あのキンキン声」
が耳につき不快極まりなかった。
ところが、オレが実業高校で
最後の授業の教材は
牧水のこの短歌「幾山河…」で、
御仕舞(おひらき)だったのだ。
プリントに、近代の短歌が書いてある。
黒板に、短歌の意味を
一つずつ書いていったのだが
ついに、こいつの番になった。
おれは、短歌を詠み
「この人は、旅が好きだったんだ」と
言ったそのとき、何かが閃(ひらめ)いた
徳永英明の『夢を信じて』
あれこそ、オレにとって旅の歌だ。
オレは生徒たちに聞いてみた。
「徳永英明」って知ってるか…?と
黒板に
「徳永英明・夢を信じて」と縦書きすると
大勢の「知らな~い」が、
すぐに「歌って~!!」に変わった。
みんなの目が
こっちを向いているのがわかる。
手拍子まで始まった。
そして、オレは歌った。
(サビのとこが、『ヒライケンジ』に
ならないように願いつつ)
いくつの街を越えていくのだろう、
明日へと続くこの道は。
行くあてもない迷い子のようさ。
ひとごみにたたずむキミは今。
(いつも半分寝こけていたヤツも、
何ごとかとこっちを見ている)
恋することさえおそれてた昨日に、
なくした何かを探してる。
(オレも、気持ちがはじけそうになった)
『夢を信じて』生きてゆけばいいさと
キミは叫んだだろう。
明日へ走れ、破れた翼を
胸に……抱きしめて。
「2番もー!」「アンコール!」
の黄色い声を、
本人の方が素敵だからそっちを聴け、
そういって、オレは制すると
今日が最後の授業だからと
今までの礼をいい、
チャイムと同時に教壇から去った。
そして
2日ほどたって、
気が付いたのだ。
あの生徒たちは、
いつか若山牧水の短歌を見たり、
思い出したとき
きっとオレと、徳永英明の歌が
心によみがえるだろう。
そしてオレは、
若山牧水と聞けば、あの日の授業と生徒たちが
必ず、徳永英明とともに目に浮かぶことを。
(ヒラケンは、オマケ・苦笑)
図らずもオレは、
本当の意味での
決着をつけ、
過去と決別したのだ。
そんなことを、
世話になった先生方が開いてくれた
会食の席で思った。
今はもう
卒業していった生徒たちへ
「ありがとう」
『徳永英明』さん
心から感謝してます。
『ヒライケンジ』…
危うくマネするトコだったぞ。
(笑)