前田さんのこの本で、
だんとつに刺さったワードが、「可処分精神」です。
前田さんは、「仕掛ける側からの目線」で
これからは可処分精神の奪い合いの時代がやってくる、と言っていて、もちろんそれには
まるっと同意なのですが、
そうではなく、仕掛ける側からの目線ではなく、
一般市民的な目線での可処分精神。
ずーっと、なんかモヤモヤとフワフワと考えていたことをズバリと言い表してくれたこのワード。
「可処分精神」。
これから、どんどん使っていこうと思います。
可処分所得とか
可処分時間ってワードは
お馴染みですよね。
よく、お金と時間の使い方が議論されたりするけど、
例えば、
お金がいっぱいあっても、時間がなかったら幸せじゃない、とか
お金は無限、時間は有限、だとか
「お金と時間」をセットにして幸福論を考えている投稿をよく見かけますが、
うーん、お金と時間だけかなぁ、なんかもひとつ
ある気がする〜〜
と長いこと思っていたの。
そしたら、前田さんが言った
「可処分精神」がドンピシャだった。
可処分精神って、つまり、頭の中から
「どうしても考えなきゃいけないこと」を差し引いたマインドのこと。
主婦業や母親業の辛さのひとつが、この
可処分精神の少なさ、なんじゃないかと。
主婦ってどうしても、
今日のメニューだの、
子供のプリントや集金日やゴミの日や
洗濯物、外に干して大丈夫かしら?だの
役員なんかを引き受けてしまった日には、
考えなきゃいけない(一見)どうでもいいことのために、可処分精神が少なくなってしまう。
(いわゆる名のない家事って可処分精神を奪うよね)
スティーブ・ジョブズやマークザッカーバーグが毎日同じ服を着ることは有名ですが、
「服を選ぶという意思決定にかかるエネルギーをなくすため」
とその理由を言っていますが、
それってつまりは、
「服を選ぶことに可処分精神を奪われないため」
「可処分精神を最大にするため」
ということなんじゃないかと。
(※前田さんが言うところの可処分精神の奪い合いとは意味合いが違います)
息子の部活の顧問の先生から電話がかかってきて、試合で怪我をしたので、迎えにこいと。
夫と車はいないし、歩けない息子をどうやって連れて帰ってこようか?
とりあえず病院に向かおう。
京急の果てじゃん😥
いつもなら、私、電車内は読書を楽しむ時間なのですが、
「骨折したのかしら?」
「明日からの通学、どうするのかしら?」
「今週はレッスンも撮影も休めないぞ」
などなど、
息子の怪我というハプニングに
可処分精神を奪われてしまって、
全く本が読めなかった。
病院に来たぜー。
海で遊んでる人たちは楽しそう〜〜。
可処分精神ね、大事だね。
例えば、お金も時間もたっぷりあるけど、
「夫が痴漢の冤罪で拘束されてる」とか
「息子の同僚を名乗る男に渡したお金は、もしや?」
とか、そんなことで頭いっぱいだったら、幸せとは言えないね。
可処分所得(自由に使えるお金)
可処分時間(自由に使える時間)
可処分精神(楽しいことを考える気持ちの余裕)
自分の人生をコントロールするには、
この3つが大事かもね。
前田さんの言う、可処分精神の奪い合いの時代が来る、って話はまた全然違う話で、それはそれで別記事で書くかも。
(書かないかも)
来週遠足なのにねー。
しばらく松葉杖生活みたい。