スユ13が入線です。ニセコのバラシのようですね。折角ベンチレータ別体の屋根が分売されていますから交換しましょう。
バラシおわり。懐かしの電球室内灯が入っていましたが我が家では入れない方針ですので外します。天井のアルミテープが名残として残りました。こういう車が我が家にはいっぱいいます。
交換完了!取り付け穴が四角なので向きを気にする必要もありません。ストレスなく取付できます。
キハ52の時はベンチレータ一体でもいいんじゃないかみたいなことほざいていましたが、ベンチレータが屋根色と同色の場合は、と補足しておくことにします。やはり色が分かれてるってのはいいもんです。
似たような客車としてオユ12があります。こちらはベンチレータ含めて屋根が銀色ですので交換の必要は無さそうです。
さて何が違うのかというと電気暖房の有無です。したがって模型ではただの表記違いでしかありません。
床下も完全に共通パーツでした。
オユ12は中で仕分けをしないタイプの郵便車、所謂護送便専用車と呼ばれる車両です。
ついでなのでRM libraryの鋼製郵便車を参考に我が家にいる郵便車たちをご紹介します。
中途半端な状態で恐縮です。鋼製車では初の郵便車となるスユ30です。製造数は30輌。前後に郵袋室と区分室があり、これらの間に仕切りを持たないのが特徴のようです。中央にはお手洗いを備え、後位側の引き戸は郵便物受渡機械なるもののために設置されています。ざっくりいうと通過しながら郵便物を車両に入れられる設備で、通過しながらタブレットを交換するようなイメージでしょうか。聞いただけでわかる通り危険を伴うことから、S14年頃にこの取り扱いはなくなったと云います。模型の方はガラスが入ってないので実車写真を見ながらいずれ整備したいですね。
マユ31はS7年に登場した20米級車で、設備はスユ30に準じており、簡単にいうと長いスユ30と謂うことになります。僅か3輌のみの小世帯となっており、ナカセイもよく製品化したものです。S24年ごろから郵便車には〒マークが付されるようになりましたので、これもいつか貼ってあげないといけません。
S10年には本形式を丸屋根としたマユ32がこれも3輌のみ製造されています。同形では郵便物受渡機械が廃止され、前後とも通常の扉に変更されました。
続くマユ33はS12年生まれで16輌製造。採光窓が新たに設置され、郵袋室と区分室の間に仕切りが設けられました。車掌室は当初設置されていませんでしたが、戦後になって追設されています。
翌年には郵袋室を拡大したマユ34が4輌製造されました。戦後のS23年にも台車をTR34に変更し折妻構造とした仕様で増備され、最終的に19輌となりますが、この増備車は翌年車掌室を追設し、郵政省所有のマユ35に改番されます。KATOの「つるぎ」に含まれている車ですが当方所有していませんので画像はありません。(入手したら追加します)
少々飛ばしましてスユ42です。
S28年より12輌製造されました。模型はマイクロエースの「銀河」のバラシです。11〜13は台車がTR40Bとなっている他、初期の車とは窓の数が異なります。1枚目であからさまに「埋めましたヨ」といわんばかりの不自然なプラ板が見えますが、これを外すと初期の車にできるという代物ですw いつのまにかベンチレータの間隔がとんでもないことになってますね。
ここまでの車は全て車内で仕分けができるように設計されていましたが、S27年より既存車を改造した護送便専用車が登場し、S31年になると護送便専用のスユ43が6輌新造されました。この年には既に軽量客車も登場しており、翌S32年に製造されたのがオユ10とオユ11です。
マイクロエースのオユ10です。スユ42の軽量客車版と謂った具合で、車内で仕分けができます。マイクロエースですから、室内表現にも力が入っていますね!
実車はS48年より冷房化が始まりました。お馴染みの屋根が低くなったあの形はこのとき生まれています。オユ11は区分室を拡大したタイプです。
そして翌年に登場した護送便専用車がオユ12とスユ13となります。オユ12では「オ」級に収めるために荷重を制限しており12瓲とされましたが、電気暖房設置によって自重が増加してしまったスユ13では荷重が13瓲に緩和されています。この2形式の間では番号が共通で振り分けられており、両者で被ることはありません。
郵便車も中々奥が深くて面白いです。勿論紹介できてない形式もありますので、いずれキット改造なんかにチャレンジしてみたいと思います。
今回のスユ13は東北本線用として導入しましたので、いつものタグを添えておきます。

















