碓氷峠鉄道文化むらに保存されている、マイネ40 11。
戦後すぐに、連合軍から「寝台車を新製してほしい」と要求があったために運輸省(→国鉄)が製造した一等寝台車です。が、この要求は竣工間もない時期に撤回されてしまい、製造中止するとお金の無駄、とはいえ3等車への転用も難しい構造であったことから、外国人向けの寝台車として製造が続行されました。
内装は区分室と開放寝台を備え、区分室は2段のものを4室、寝台時の定員は8名(座席時は12名)。開放寝台は一般的なプルマン式で、定員は寝台時16名、座席時32名となりました。これは登場時のものですが、当初定員を重視するため設置されなかった給仕室を設置するにあたって区分室が減少し、寝台時6名、座席時9名に変更。さらに後に喫煙室を設置したため、区分室の定員は寝台時4名、座席時6名にまで減少しています。
マイネ40では冷房装置が搭載されましたが、従来の車軸の回転力で発電し、圧縮機を直接作動させる直接駆動式を採用しつつ、停車中に冷房が使えない問題を解決するため、床下に水タンクを配置していました。中の水を冷やし、この水を使って車内空気を冷やす仕組みを新規採用。(間接冷却式)。これにより、停車中でも涼しい車内空間を提供できるようにはなったものの、冷却に時間がかかるという問題もあったようです… 後継のマイネ41では、車軸の回転力を使って発電し、圧縮機を作動させるとともに、バッテリーを充電することで車軸の回らない停車中にも冷房が作動するような仕組みを導入しています。
1等寝台車として登場したマイネ40ですが、利用料金は当時の航空機に匹敵する高価なもので、乗車効率の悪さから赤字をたたき出している状態でした。そのうえ1等車の空間を提供するための設備や保守の面でも手間のかかる存在となり、国鉄としては「お荷物」状態に。そこで1955年7月1日に1等寝台車は廃止となり、これに先駆けてマイネ40では2等寝台車への格下げを伴う大規模な改造を実施することになったわけです。(マロネ40に改番)
この時、給仕室のせいで潰されていた区分室を復活させ、区分室定員を寝台時6名に拡大。喫煙室、給仕室は車両の両端に分散して配置されましたマイネ40は当初両デッキでしたが、当初1位デッキ側にあった物置をもう片方のデッキに移設し、物置が置かれた側のデッキを廃止し、片デッキ化。空いた元物置スペースに空気調和装置の配電盤が配置されるようになりました。1等寝台時代は空気調和器を検査する際に天井を空けて取り出すようになっていましたが、屋根上から取り出す方法に変更するため、屋根上に蓋が設けられました。車体限界に接触しないよう、蓋部分の屋根高が下げられています。
碓氷峠鉄道文化むら(横川鉄道文化むら)の車両は、マロネ40後の姿ではあるものの、登場時の塗装を復元した姿で展示されています。
マイクロエースのマイネ40 11です。金型は彗星で起こされたマロネ40なので片デッキ、屋根上点検蓋がある仕様ですが、製品は「マイネ40横川鉄道文化むら」と銘打っているのでエラーではありません。(厳密には格下げ直前はこの姿たったかもしれませんが…)とはいえ、模型で展示車両として使うのはモッタイナイので、我が家では堂々急行列車に組み込んで使用しています。遠目から見れば、デッキも蓋も気になりません。ここまで実車のことを話しておいてなんですが、この車は「雰囲気」で愉しむ車両です。編成中に組み込んでも、やはりクリームの1等帯は目立つ存在で、いいアクセントになります。
等級帯にあしらわれているJ.G.RはJapanese Government Railways(運輸省)の略です。運輸省による鉄道運行は1949年に国鉄が発足したことで終了しました。
マイネ40の登場は1948年なので、この表記は厳密には1年のみということになりますね。これも気にせず、1955年まで使っていいでしょう…
運用例をご紹介。
1949年の急行「銀河」より
運行区間は東京―大阪
【出典:主要客車列車編成表】
マニ
スハフ
オロ
オロ
オロ
マイネ40
マイネ40
オハ
オハ
オハ
オハ
オハ
オハ
スハフ
当時はスハ43系は登場していませんので、オハ35系が使用されていたものと思われます。スハフ41は1948年より製造されているので、スハフはスハフ41でしょうか。
オロはオロ36やオロ40が良いと思います。理由は新しいから。
荷物車はなんでもいいですが、万能マニ60はまだ生まれていませんのでご注意を。
完成品であれば、モデモのマニ31が丁度いいでしょう。
後年「銀河」の編成もにぎやかになりましたが、同時に完成品のないゾーンに入ってしまいますので、今回は省略。このほかの使用例としては「彗星」「月光」などがあります。いずれも名だたる名称で、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
ちなみに、製品のマイネ40はぶどう1号となっていますが、一般的なぶどう色として売られている旧客は大半がぶどう2号をまとっています。この色は1959年以降に使用されているので、拘る方はぶどう1号への塗り替えと、窓下の表記追加をすると雰囲気がぐっと良くなりますよ。
【参考文献】
主要客車列車編成表
鉄道ピクトリアル3月号別冊 国鉄形車両の記録 オハ35系
鉄道ピクトリアル No.1041 【特集】冷房車

