2024年5月11日、今回は念願の紅ミュージアムを訪問しました。「伊勢半本店紅ミュージアム」を全面リニューアルし、2019年11月2日に新たに「紅ミュージアム」としてオープンしたと聞き、早速足を運んでみました。

 

 

紅ミュージアムは東京都港区南青山6丁目に位置し、最寄り駅は東京メトロの表参道駅です。駅からは徒歩約12分です。開館時間は午前10時から17時までで無料で入館が可能でした。事前予約も不要です。

 

 

 

紅ミュージアムは江戸時代から続く日本最後の紅屋「伊勢半本店」が運営する施設です。伊勢半本店は文政8年(1825年)、江戸時代後期に、紅を製造・販売する紅屋として現在の日本橋小舟町に創業しました。調べてみると、「伊勢半グループ」と「伊勢半本店」は、密接な関係を持っていることが分かりました。伊勢半グループは、株式会社伊勢半本店を筆頭に、8つの企業で構成されるグループ企業です。化粧品事業、不動産事業、そして祖業である紅の製造販売など幅広い事業を展開しています。その中で伊勢半本店は、千代田区に本社を置き、紅の製造販売をはじめ、化粧品や食紅、絵具の製造販売、紅ミュージアムの運営などを行っています。

 

 

 

館内には、江戸時代の紅道具や化粧下絵などの貴重な資料が数多く展示されていました。江戸時代の化粧に用いられた色は赤(紅)・白(白粉)・黒(眉墨・お歯黒)の三色のみで、唯一の有彩色である紅は唇はもちろんのこと、顔全体に使用され、女性の顔に彩りを添える大事な色でした。特に、小町紅は美人の代名詞である小野小町(おののこまち)の名前から取られたもので、女性たちの憧れの色でした。小町紅はベニバナの花びらから作られる口紅であり、このベニバナの花びらに含まれる赤色色素はわずか1%しかありません。その希少な赤色色素だけで小町紅が作られています。実際に小町紅を体験できるコーナーが展示室の一角にあるコミュニケーションルームに設けられていました。まさに「見て、触れて、体感する」といったテーマに相応しく、特別な体験ができました。

 

 

 

まずは、スタッフさんに紅の種類や使い方などを丁寧に説明していただきました。お試しづけで手の甲で紅の発色を試してみました。水に濡らした筆で磁器に塗られた小町紅を点すと、玉虫色が一瞬で赤に変わります。先に述べた通り、紅にはベニバナの花びらが使用されており、水で溶くとベニバナの成分が溶け出し、玉虫色から赤色へと変わるのです。理論上でただ理解するのとは違い、その変化を目の当たりにし、大変驚きました。

 

 

 

 

 

紅を塗ってみたところ、鮮やかな紅色に染まり、予想以上に美しい発色でした。様々な色合いを試した結果、自分の肌色にピッタリな色を見つけることができ、唇の上にのせてみると、浮いて見えることなくほんのりと唇に馴染みました。誰もが似合うような自然な色で男女を問わず使用できました。今まで紅を点す機会がなかったので、とても興味深い時間でした。ちなみに、先着順の予約制で紅のミニ実験ワークショップも開催されていました。黄色の紅花の花びらから赤色色素を抽出する過程を、簡単な実験を通して観察できるそうです。

 

 

 

 

(口紅はオンラインショップや店内で販売していました。⇩)

 

 

 常設展示室1

 

紅ミュージアムのメインとなる常設展示室は1と2に分かれていますが、常設展示室1では、紅花の生産・流通から市場取引をはじめ、当時の紅の販売における広告宣伝・販売活動、紅づくりの様子、紅に纏わる習俗などの資料を模型や紅ができるまでの映像と共に観覧できました。

 

 

 

 

 ❍ 紅の生産・流通

 

紅花はキク科ベニバナ属の一年草で、花びらから黄色や赤色の色素が取れます。黄色から赤色へと変化する過程で摘み取ることから、末摘花とも呼ばれます。摘み取れる量が極めて少ないため、高い商品価値を持つのは赤色色素です。紅はこの紅花の花びらから赤色色素を抽出して作られ、古くから染料や化粧料などに広く使われました。特に京都では高級織物の染料として需要が高く、化粧料や食品着色、絵具などにも用いられました。

 

 

 

 

江戸時代に紅花は原料需要に応じた換金性と収益性の高い商品作物であったため、上方市場で盛んに取引されました。とりわけ紅花は、山形県の特産品として知られています。全国一の生産量を誇った出羽国(現:山形県)の村山地方で産する紅花を最上紅花(もがみべにばな)と称しました。見立番付(みたてばんづけ)は、日本の江戸時代から明治時代にかけて流行した、ランキング形式の印刷物のことを指します。これらの番付は相撲番付を模倣して作られたもので、さまざまな分野で人気や優劣を競う形で作成されました。この見立番付の上位に出羽国の最上紅花がランキングしていることが分かります。

 

 

 

 

 

当時の日本橋は商業の中心地であり、化粧が特定階級のみならず一般庶民にまで習慣として浸透していましたが、紅の製造・販売は京都が中心でした。また、日本橋本町二丁目の玉屋(元々は京都の紅問屋で小町紅の販売を行った紅問屋)のように、上方商人出店の紅屋が多く存在しました。江戸の紅屋の大半が製造を行わず、卸売を主とした紅問屋がほとんどでした。

 

 

 

 

 

その中で、江戸時代後期の文政8年に創業者である初代澤田半右衛門(現:澤田一郎)は、現在の日本橋大伝馬町といわれる日本橋通油町(とおりあぶらちょう)に紅白粉問屋で約20年ほど奉公した後、独立しました。その際、「伊勢屋」という和服を扱うお店、呉服屋から株を購入し、店名を「伊勢屋半右衛門」から「伊勢半」と称しました。そして、試行錯誤と工夫を重ねた末に、主流であった京都製の紅に劣らぬ江戸製紅の製造に成功しました。見事に美しい色に輝く玉虫色の紅を作り出し、たちまち江戸の街で評判となったといわれています。

 

 

 

 

 ❍ 紅餅

 

紅餅は、日本の伝統的な紅花製品の一種で、紅花の花びらから抽出された色素を利用して作られるものです。収穫した花びらを水で洗い発酵させます。発酵によって、花びらに含まれる黄色い色素が溶け出し、赤色の色素だけが残ります。これを餅状に固めて乾燥させたものが紅餅です。

 

 

 

 

 ❍ 紅づくり

 

特に印象的だったのは、紅の製造過程を紹介する展示でした。紅餅を水に浸し、何度も圧搾して紅色の紅液を絞り出す、その工程の一つ一つが、職人の手によって丁寧に行われていることを知り、紅づくりが非常に手間と時間を要するものであることに気づきました。紅づくりは以下のような工程を経て作られます。

 

 

 

 

化学反応を利用して赤色色素を取り出す紅の製造方法】

 

1. 紅餅を仕込む

紅餅を清水に一晩漬け、ふやかし、ザルで水気を切ります。

 

2. アルカリ水溶液をかける

昔は純粋なアルカリ剤がなかったので、陸海に生える植物の灰が洗浄に使われました。植物の灰にはアルカリである炭酸カリウムや炭酸ナトリウムが豊富に含まれていて、それを水に浸すと、灰汁と呼ばれる強いアルカリ性の溶液になりました。紅づくりは大量の水を使用するため、アルカリ性の灰汁による化学反応をより発現させます。紅餅にアルカリ性の灰汁をかけ、足で踏み、花びら全体に染み込ませます。

 

3. 赤色色素を抽出する

花びらを袋に入れて、紅絞り機で圧搾します。灰汁の作用で花びら中の赤色色素が溶け出し、暗赤色の紅液が絞り出されます。

 

4. 赤色色素を吸着する

紅液に米酢を加えて、かき回します。これをゾク(麻の束)の入ったタライへ注ぎ入れ、ゾクに赤色色素を染め付けます。

 

5. 赤色色素を脱着する

ゾクに灰汁を染み込ませて、布で包み、再び紅絞り機で圧搾します。赤色色素が濃縮した鮮紅色の紅液が絞り出されます。

 

6. 精製

4と5の過程を繰り返し、赤色色素の純度を高めていきます。

 

7. 酸性水溶液で取り出す

濃縮紅液に梅酢を加えて、かき回して静置すると赤色色素が沈殿しはじめます。

 

8. 濾過、紅の完成

すのこ敷きの蒸籠に羽二重をかけ、7を注ぎます。そして濾し終わると、泥状(でいじょう)の紅が残ります。紅をヘラで掻き集め、紅箱に入れて保管します。

 

 

 

 

 ❍ 紅と魔除けの習俗

 

江戸時代の日本では、紅は単なる化粧品としてだけでなく、魔除けの効果があると信じられていました。この信仰は、紅の鮮やかな赤色が邪気を払うと考えられていたためです。罹患者の衣類や寝具、調度品などは赤いもので揃えていました。

 

 

 

 

紅ミュージアムの常設展示室1では、紅について詳しく「知る」ことができました。紅花から紅づくりの工程で実際に使用される道具が展示されており、さらに映像を通じて製造過程をリアルに感じることができました。数百年前に、紅づくりの技に灰汁を用いて化学反応を起こすという発想を持ち、それを実現した職人たちの技術に感心しました。

 

 

 

 

常設展示室2

 

常設展示室2では「化粧の歩み」というテーマで、江戸時代を中心に、古代から近現代までの日本の化粧や装いの歴史を紹介しています。化粧が持つ社会的な意味合いについて学ぶことができます。化粧がどのようにして日本に伝わり、上流階級の女性たちはもとより一般庶民にも普及し、女性たちに愛されるようになったかが分かります。江戸の女性が実際に使っていた化粧道具や浮世絵などが展示されており、当時の女性の化粧法や、時代を経て変わっていく口紅や頬紅を観察できました。

 

 

 

 

元禄時代(1688~1704年)には、大阪や京の都市を中心に上方で化粧文化が開花しました。文化・文政時代(1804~1830年)には、江戸でも庶民層まで化粧文化が広がりました。しかし、身分や階級、年齢など社会構造の厳しい制約がある中で、自由度は低く、純粋におしゃれを楽しむための化粧ができるようになったのは明治の開国以降と言われます。明治以降に西洋文化を大いに取り入れ、化粧が生活の一部となり、美意識を象徴するアイテムとして用いられました。

 

 

 

 

江戸時代の浮世絵には、紅を塗る女性の姿が描かれており、女性たちの暮らしぶりを垣間見ることができます。そして、当時の口紅の塗り方や眉の書き方、スキンケアに関する洗顔法などが書き記された資料が存在します。以下に、江戸時代のスキンケアと代表的な化粧法についていくつかご紹介します。

 

 

 

 

まず、【洗顔時の注意と糖の効能】についての内容を一部抜粋すると、

 

「毎朝湯を使うとき、極めて熱い湯で顔を洗うと顔に早く皺ができてしまう。(中略)顔に糖袋を強く当てて洗ってはいけない。顔の肌理を損なうことになる。」

 

と書いてあります。このような洗顔法の注意点は、当時の人々が美意識や肌の健康に関する知識を持っていたことを示しています。現代のスキンケアと比較しても、遜色のないほど知識や美意識が十分に発展していたことが窺えます。

 

 

 

 

次に、江戸時代の化粧法についてです。

 

 

 

 

1. アイメイク

現代のアイラインと大きな違いはなく、目の縁に紅をひきました。これを「目弾き」と言います。もともとは歌舞伎役者の舞台化粧として発生した化粧ですが、町方の女性たちが真似るようになり、広く行われるようになりました。

 

2. 頬紅

紅と白粉を混ぜて使用しました。くすみ防止のためや地肌を明るく見せるために、白粉を塗る前に目の周辺から頬にかけて紅を伸ばすこともありました。これは現在のチークと同じ役割を果たします。

 

3. 口紅

江戸時代には、口紅を濃くつけることは卑しいとされ、淡くほのかに色付くように付けるのが良いとされました。また、おちょぼ口のような小さな口元が好まれたため、紅を点す面積は小さかったです。

 

4. 爪紅

爪先を紅や鳳仙花などで赤く染めたり模様を描いたりしました。ネイルアートの原型とも言えます。

 

 

 

 

 

化粧法においても、今とあまり変わらずとても似ていることから、時代は違っても美しさを求める本能は同じだと思いました。壁一面に展示された江戸時代の紅道具や近代の化粧品まで、口紅に関する様々な模型が興味深く陳列されていました。化粧品の様子は時代に応じて変遷していきましたが、その中には歴史と文化が反映されていました。

 

 

 

 

 

今まで紅は単なる昔の色だと思っていましたが、紅や日本の化粧文化に対する理解が一層深まりました。紅ミュージアムは紅に興味がある人はもちろん、日本の伝統文化に興味のある方、そして特別な体験を求めている方にもぜひ訪れてほしい場所です。

 

 

 

 

 

 ❏ 館情報(紅ミュージアム)

・住所:東京都港区南青山6-6-20 K's南青山ビル1F

・開館時間:10:00~17:00(最終入館16:30まで)

・休館日:日曜日・月曜日・創業記念日(7月7日)・年末年始

・入館料:無料 ※ただし、企画展観覧は有料

・公式サイト:紅ミュージアム(公式㏋)