今月は、東京都港区の「大倉集古館」を巡りました!

 

1.大倉集古館と大倉喜八郎

大倉集古館は、明治から大正にかけて活躍した実業家の大倉喜八郎(おおくらきはちろう)が設立した日本で最初の財団法人の私立美術館です。
大倉喜八郎が蒐集した日本や東洋各地域の古美術品や、息子の喜七郎が蒐集した日本の近代絵画など、国宝3件、重要文化財13件、重要美術品44件を含む約2,500件の美術・工芸品が所蔵されています。これらの古美術品は、当時、文化財の海外流出に嘆き、その保護と自国文化の向上を目的として喜八郎が約50年に渡り蒐集してきたそうです。

大倉鶴彦翁像(大倉喜八郎の別称)

 

大倉喜八郎(1837~1928)は、大倉財閥の創設者であり、父は新発田藩の大名主でした。18歳で上京し、乾物屋を営んだ後、1865年に大倉屋鉄砲店を開業し、戊辰戦争に際し官軍御用をつとめ巨利を得ました。このことが実業家としての始まりと考えられます。
後に貿易業にも着手し、朝鮮や中国における投資にも積極的で、帝国ホテルも含め国内外に多くの事業を展開し、大倉財閥を築きました。また、教育にも関心を持ち、現在の東京経済大学である大倉商業高校を創立しました。

館の外観
1998年、国の登録有形文化財に指定されました。

 

 

大倉集古館は、1902年に赤坂の喜八郎自邸内に美術館を開館し、訪問客の観覧に供していましたが、1923年の関東大震災により、当初の建物と陳列中の所蔵品を失いました。幸いに無事であった倉庫に残された作品を基本として、1928年に再開館しました。

後に、1955年代には隣接するホテルオークラの建設に伴い建物が整理され、1962年に第一次大規模改修を行い、1997年の第二次大規模改修を経て現在に至ります。

隣接するホテルオークラ

 

 

2.展示品

金剛力士像(鎌倉-南北朝時代)がお出迎えしてくれます。

 

入口の上に、「大倉集古館」と書かれています。
これを書したのは、徐世昌(1855〜1939)北京政府大総統です。

 

中へ入ると右手で受付を済ませ、1階、2階、地下1階(ミュージアムショップあり)を見学することができます。

歴史上の人物とも親交がありました。

  • 孫文の書額「博愛」 孫文は武器調達に関して明治30年代から喜八郎と関わりがありました。
  • 張作霖寄贈の弔旗
  • 蒋介石寄贈の弔旗「普天同吊」 喜八郎の告別式が大倉邸内で執り行われたときに弔旗が掛けられました。
  • 喜八郎は、ソウルに善隣商業高校(現在の善隣インターネット高等学校)をつくりました。その卒業生の中には古賀政男がいます。以前、古賀政男音楽博物館を巡っていますので、あわせてご覧ください。
  • 狂歌(きょうか) 滑稽な趣を57577で詠む短歌。喜八郎は15歳前後でつくりはじめ、亡くなるまでに1万首以上といわれています。
  • 息子、喜七郎に関する展示


1階から2階へ上がる途中

 

2階バルコニー
奥のほうに達磨大師坐像(中国清時代17-19世紀)が展示されています。

 

以上、非常に見応えのある館でした。
見学の後は、目の前にあるホテルオークラでお茶やお食事でもしてみてはいかがでしょうか。

■館情報(大倉集古館
・住所:東京都港区虎ノ門2-10-3
・開館時間:10:00~17:00(最終入館16:30)
・休館日:月曜日、年末年始、展示替期間
・入館料:一般1,000円、大学生・高校生800円、中学生以下無料