昴 | はくもくれんのブログ

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美味しい物とわんこ、日常の些細な出来事について、ばちぼち更新_φ( ̄ー ̄ )
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10月7日午前1時半、弟が父を看取りました。


90歳と8ヶ月


平穏を好まず、安定を嫌い、常識からかけ離れ


関わった全ての人の頂点に君臨し続けた父


睡眠時間がとても少なく、のんびりくつろぐということをしない人だった


「死んだら寝るグラサン」ってよく言ってたけど


ついに眠ってしまったんだね


葬儀のために帰省していた福岡から戻ってすぐ


谷村新司さんの訃報を知りました



30年くらい前、父と飲みに行くと


スナックのカウンターで父がよく歌っていた、

「昴」



父の葬儀ではまだ亡くなってしまったという実感が湧かなかったのに


谷村新司さんの訃報がずーんと胸に響くのはなぜだろう



父の葬儀ではほんの少し泣いただけなのに


ニュース番組で流れる、谷村新司さんの曲の数々を聴いていると


とめどなく涙が溢れ出てくるのはなぜだろう



思えば、「昴」を好んで歌っていたあの頃が


父の人生の絶頂期だったのかもしれない


上手だったし、とてもいい声だった


上機嫌で、でも静かに歌いながら


自分の軌跡を振り返っていたのかな


自分がやり遂げたことに酔いしれていたのかな


↑85歳くらいかな?庭の柑橘🍊を丁寧にむいて、冷凍したりジュースにしたりして、送ってくれていました



ずーっと前、父が「昴」をよく歌うと友達に話したら


「あれは成功者に好まれる歌だよね


何かを極めた人がよく歌う気がする」


って言われて


ふ〜ん、そうなのか…って思っただけだったけど


今改めてこの曲を聴くと


やはり私自身も歌詞に父を重ねてしまう…



↑「あれはどこに置いたっけなぁ…」ってなるから、ルーペに柴犬のがま口が結びつけてあるしっぽフリフリ



何もないところから、一代で築き上げた城


たくさんのビル、車、クルーザー、etc…


そばにいると慣れきってしまって、普通のことのように眺めていたけれど


誰にでもできることではなかったんだよね


寄付もいっぱいしたし、施設の子供達のためにクリスマス会を開いたり、良いこともたくさんしたね


↑冬に帰省すると、「湯たんぽ買っておいたぞ」って爆笑



仕事から深夜に帰宅したあと、朝まで釣りに行ったり


水上スキーにサーフィン


ゴルフにハマってからは一日2ラウンド回るのを365日毎日やって


最多来場者になっちゃったり、ホールインワンも2回やって


麻雀や囲碁は徹夜が基本


家庭菜園始めたらユンボ買うし


遊びも中途半端は無しガーン


↑クラムチャウダーとチキンポタージュ、タンシチューがお得意で、たくさん作っては冷凍して送ってくれたっけスプーンフォーク



だけど家族にとってはありがたくないこともいっぱいしたよね


スゴイことも、良いことも、ワルイことも


たっくさんやって人生を謳歌したかに見える父だけど


いつからか、もう「昴」は歌わなくなったね



↑カニを茹でながら、アジをさばいてる後ろ姿…

哀愁がヤバいえーん



会社をたたんで、多くのものを失って、高齢になって、持病が悪化して


「落ちぶれた」と思ったのかな?


もう、「昴」に自分を重ねられなくなったのかな?



↑家庭菜園を始めてからは、お野菜もよく送ってくれましたプレゼント



父に対する想いも、家族それぞれ。


いろいろあってもやっぱり大好きだった、私。


ときに冷徹で、ときに息苦しいほど優しくて


いわゆる常識とも一般的な価値観とも相容れなかった、父



↑実家の庭の薔薇や芍薬を送ってくれたり



憎まれることを恐れもしない


万人に好かれようともしない


だけどかまってちゃんで…



↑コロナ前まで毎年一緒に行っていた,お盆の送り火↓

↑送り火の後にみんなで食事するのを楽しみにしてたね


↑ひ孫と自撮りしたくて奮闘中あせる


↑なかなかうまくいかないえーん


↑果たして撮れたんでしょうか?汗



毎年、箱いっぱいに送ってくれた、庭のレモン



もう治らないし、苦しくってしかたないんだけど


どうしても退院したかったんだよね


もしかしたら、わかっていたのかな?



亡くなる2日前に退院して


話すのも辛いから、雑誌の裏に書いてくれたのは




「今年はいつもの年より檸檬がたくさん実をつけてる」って



お父さんの四十九日が終わって


冬が来て、レモンが黄色く熟したら


また福岡に捥ぎに帰るね