《コロナと共生 323


2024年3月25

午前10時に11度!

正午も変わらず11度!

午後2時半に12度!

午後8時過ぎても12度!


『梅こぼれ桃の花芽の青き蕊(しべ)紅く染まりて晒り時を知る(晒る さる 色褪せる意味)滉坊』

梅の散り方は「こぼれる」と申します!

梅に桃に桜の雄蕊(おしべ)は咲き始めは緑色で日が経つに連れて紅くなりハラハラと花弁が散り始めます!

八重の花は椿や朝顔と同じく花を落とすのです!

桜も然り!




『新三人吉三』


《天明の大飢饉(1782年~1787年)と寛政の改革(1787年~1793年)》


万葉集から利根川を詠んだ歌を掘り起こしやす!


『上野佐野の舟橋取り放し親は放くれど我は離るがへ 詠み人知らず』


上野国(こうずけ その昔は上毛野 かみつけの)でやした!


アッシが骨折の手術した月夜野の病院は「上毛高原 じょうもうこうげん」駅で、「じょうもう」に名を遺しておりやす!


この短歌の舞台になりやす上野国佐野は今の高崎辺りでやしょうか?


先ずは「佐野の船橋の民話」から、

昔むかし、烏川という川ををはさんでニつの村がありやした!

それぞれに朝日の長者と夕日の長者が住んでおりやした!

村人たちは村を分ける川の間に船を繋いで橋の代わりとして行き来しておりやした!

朝日の長者には「ナミ」という娘が、夕日の長者には「小治朗」という息子がおりやした!

二人はいつしか舟橋を渡って逢瀬を重ねるようになりやした!

しかしある夜嫉妬に狂った誰かが、船橋のまん中の橋板を外しておりやした!

真っ暗な夜のこととて足元は見えやせんでした!何も知らぬ二人は、翌朝しっかりと抱き合った姿のままで浮かび上がりやした!

それから先、船橋の近くで毎晩のように怪しい炎が燃えるようになりやした!

歌枕として「枕草子」にも「佐野の船橋」と詠まれておりやした!


並べてみて読み方を比較致しやしょう!

『上野佐野の舟橋取り放し親は放くれど我は離るがへ 詠み人知らず』

『かみつけの佐野の船はしとりはなし親はさくれどわはさかるがへ』と読むようでやす?


佐野の船橋を「取り放し とりはなし 取り外し」でやしょうか?


「親は放くれど おやはさくれど 親は仲を割くとは ロミオとジュリエットの悲恋?」でやしょうか?


「我は離るがえ わはさかるがえ」の意味は「私は離れない 割かれることはない!」でやしょうか?

御粗末様!