《コロナと共生 297》
2024年2月28日
正午に11度!
午後1時に13度!
花粉の飛散は悲惨だ❗
UVケアに花粉ブロックと乳液にスプレー完全武装(@ ̄□ ̄@;)!!
『新三人吉三』
《天明の大飢饉(1782年~1787年)と寛政の改革(1787年~1793年)》
行徳から小名木川を隅田川、日本橋川行徳河岸まで辿っておりやす!
|
もう間近で行徳河岸でやす!
残念ながらこの辺りの水路は埋め立てられて高速道路になっておりやす!
右上の写真は、かつての行徳河岸は、車止めになってるようでやす?
幕末頃に建てられた本行徳の旧江戸川河畔の常夜燈から、明治時代にかけて行徳と江戸を結んだ航路の船着き場の跡を辿っておりやす!
かつての行徳~江戸を結んだ行徳船の江戸側の終点とも呼べるのが、日本橋行徳河岸でやす!
探索の末、行き着いたのが此の車止めでやした!
大江戸(えど)小網町三丁目行徳河岸といへるより、このところまで船路三里八丁あり。房総の駅路(うまやじ)にして旅亭(はたごや) あり。ゆゑに行人絡繹(らくえき)として繁盛の地なり。ことさら正・五・九月は、成田不動尊へ参詣の人夥しく、賑はひおほかたならず。
行徳から東には、印旛沼手賀沼もあり、湖上陸上とあらゆる道筋で成田、水戸までも繋がりやした!
行徳は昔から塩の産地で、その塩を運ぶ手段として徳川家康が開削を命じて、小名木川の航路等が開港されやした!
明け六つ(午前6時)から暮れ六つ(午後6時)まで江戸小網町から行徳新河岸の間を往復したので行徳船と呼ばれやした!
行徳と江戸を結んだ航路は、本行徳の船着き場を発った船は、江戸川(現-旧江戸川)を下り、今も東西線の鉄橋から見える妙見島の手前で、新川に入りやす!
この新川で現在の江戸川を横断しやす!
すると中川(現在の旧中川-この付近の荒川は江戸川放水路と同じく大正時代に人工的に作られた放水路なので昔は御座いやせん!)に達し、そこから今度は今の江東を横切る「小名木川 おなぎがわ」に入って隅田川に達しやした!
そして隅田川から先は?