《コロナと共生 284》
2024年2月15日
午前9時に11度!
暖ったかそう😁
10時に15度!
午後1時に20度!
午後10時に16度!
春雨になりやした!
カップ春雨スープを食べよう🍜
豚ヒレ肉カレーに変身!
『新三人吉三』
《天明の大飢饉(1782年~1787年)と寛政の改革(1787年~1793年)》
『小名木川 おなぎがわ』に架かる橋を探索してみやしょう!
小松川の下流は荒川・中川の放水路により消滅しやすが、上流は「小松川境川親水公園」として残されておりやす!
元禄5年(1692年)、松尾芭蕉は「秋に添うて 行かばや末は 小松川」という句を詠んでおりやす!
深川の芭蕉庵から小名木川、新川にそって秋の景色をたずね、末は小松川まで行ってみようかというものでやす!
芭蕉は、延宝8年(1680年)それまでの宗匠生活を捨てて江戸日本橋から深川の草庵に移り住みやした!
清澄庭園にも「古池や」の句碑が御座いやしたね?
そして、この庵を拠点に新しい俳諧活動を始めやした!
『おくのほそ道』などの紀行文はこの後になりやす!
この草庵は、門人から贈られた芭蕉の株が生い茂ったところから「芭蕉庵」と呼ばれ、芭蕉没後、武家屋敷内に取り込まれて保存されやした!
幕末から明治にかけて消失しやした!
大正6年(1917年)9月の台風の高潮の後、常盤一丁目から「芭蕉遺愛の石の蛙」(伝)が出土し、同10年に東京府は、この地を「芭蕉翁古池の跡」と指定しやした!
ほんの四畳半程の坪庭でやす!
江東には、「芭蕉記念館」が御座いやす!
隅田川を渡って清洲橋通り沿いの清澄白河駅近くに現代風の斬新な設計の本堂が建つ小ぢんまりとしたお寺が『臨川寺 りんせんじ』でやす!
和尚さんが芭蕉との親交が深かったのが、今も伝えられ、蛙の看板に目を奪われ気付きやした!
◆臨川寺
東京都江東区清住
承応2年(1653年)鹿島根本寺(茨城県)の冷山和尚(第20世)が小名木川に近い当地に臨川庵を結びやした!