《コロナと共生 281》
2024年2月12日
午前10時に7度!
風が冷たい!
正午に9度!
2時半に12度!
午後は少し温かい!
6時に10度!
9時に6度!
少しヒンヤリ!
『新三人吉三』
《天明の大飢饉(1782年~1787年)と寛政の改革(1787年~1793年)》
『小名木川 おなぎがわ』に架かる橋を探索してみやしょう!
小名木川は旧中川と隅田川の間を一直線に結んでおりやす!
上の写真は旧中川から入ってすぐのところに架かる番所橋から西(隅田川方)を見た風景でやす!
江東に入りやしょう?
ここから四葉シロツメクサ橋までは川に沿った道をたどっていきやしょう!
江東から中央にかけてはかつて水路が縦横に通っていた名残が強く残っておりやす!
小名木川も他の水路とまるで道路の交差点のように交わるところが御座いやす!
すでに埋め立てられたり、暗きょになったりした水路も多く、番所橋から五町(500m)くらいめえりやすと堤防からちょっとへこむような感じのとこが御座いやす!
ここは何かというと、かつて別の水路が小名木川に丁字路の形で合流していたところでやす!
その合流していた川は仙台堀川、仙台藩三代目伊達綱宗に始まり1661年四代目綱村「J Soul Brothers」の代に完成!
幕府に命じられた大工事でやしたが、嬉々として掘削したのではと思われやす?
今は親水公園になっておりやすが、下屋敷を建て米蔵を建て幕府の御米蔵を繋ぎやした!
西国の米の取引は大阪の堂島に集中していきやすが、伊達政宗公は実質高百万石と言われた取れ高の米の江戸藩邸消費が、一人年に一石五斗として、掛ける江戸詰め藩士七千人を送る必要に目を付けやした!
いち早く江戸の消費を見込んで船便を仕立て、仙台堀を造ることで、幕府の札差しや米蔵の近くて利便性の良い場所を確保しやした!
(なお、仙台堀川は親水公園になった区間も御座いやすが、西半分の区間は今も現役の水路でやす!)