《コロナと共生 280


2024年2月11日

建国記念日です!


神武天皇が橿原「かしはら」の地で初代天皇として御即位為された日だったと思います!



『 日本書紀』には、「辛酉春正月、庚辰朔、天皇橿原宮に即帝位。 是の歳を天皇の元年と為す。」 と記されており、これを明治時代に今日の太陽暦に直して、2月11日と成りました!


正午に11度!

午後1時半に12度!


アキダイにお買い物!


茄子とピーマンとにんにくの芽と豚肉で味噌ころを作る予定!


レアチーズケーキ用の生クリームとクリームチーズもGET!

頂き物の大根の葉は浅漬け!

小松菜はお浸し!

「かきな?もらぼうな?」は明日調理予定!




『新三人吉三』


《天明の大飢饉(1782年~1787年)と寛政の改革(1787年~1793年)》


『小名木川 おなぎがわ』に架かる橋を探索してみやしょう!


「閘門 こうもん」と申しやすと、旧江戸川の篠崎の水門のところや、江戸川の側にも閘門が設けられておりやす!


因みに、今も残っているのはその2組の水門の旧中川側のもののようでやす!


かつては荒川の側にももう一つの水門があったはずでやす!



旧小松川閘門のところから見た新川西水門それで、この水門が昔の新川の水門でなくてちょっとがっかりしたのですが、しかし上の写真を見てくだせえやし!


旧小松川閘門の前から荒川の対岸を見ると、ちょうど新川西水門の正面が見えやした!


と言うことは、旧小松川閘門は荒川放水路ができるまで、新川が旧中川に達していた部分を使って作ったのではなかろうかと考えられやせんか?


その可能性は大でやすよね?


例え短い区間とはいえ、新たに地面を掘り下げて水路を作るより、元からあったものを利用する方が手っ取り早いと思いやせんか?


それに荒川放水路の建設が最優先だったとすると、こうしたところは最小限の手間ですましたことは十分に考えられやすよね?



旧中川から小名木川入口そして、旧小松川閘門のところから旧中川の側へ出て見ると次の写真のように小名木川の入口が見えやす!


つまりここが昔の新川の入口ならちょうど小名木川とつながる所だと思われやす?


そうなるとますます、この旧小松川水門のところが昔の新川が中川(現.旧中川)に達していた地点だろうと思えてしょうがありやせん?


では、いよいよ江東に入り小名木川に沿って進みやしょう!


いざ出発「神武東征 じんむとうせい」!