《コロナと共生 269


2024年1月31日


睦月の一月も晦日を迎え如月に突入しやす!


2024年は二月の十日が旧暦の正月になりやす!


確か2024年は閏年ですよね?


龍が暴れて天変地異が起こりそうですよね?


朝7時に3度!


恵方巻は注文しておりやせん!


小さい巻き物でも購って恵方を向いて食しやしょう!


午前10時半に8度!



『木と土の恵方向きたる東北東鬼門は北東龍吐よ届け 滉坊』



龍神の吐く水が能登にも届きますように!


正午に11度!

午後5時に14度!凄い!午後11時に12度!驚き!



『新三人吉三』


《天明の大飢饉(1782年~1787年)と寛政の改革(1787年~1793年)》


『隅田川紀行』


隅田川の橋を逆に辿りたいと思いやす!


隅田川河口から十四番目の橋は「言問橋 ことといばし」でやす!


1923年(大正11年)に発生した関東大震災の復興事業として425の橋が建設されやした!


復興局(国の担当?)の受け持ちは相生橋・永代橋・清洲橋・蔵前橋・駒形橋・言問橋など115橋、東京市は厩橋・吾妻橋・両国橋など310橋を担当しやした!


復興局が建設した隅田川六橋は、地形の制約が無い限り、景観を考慮して鋼構造が路面よりも低く致しやした!


言問橋建設前に此の場所に橋は御座いやせんでした!


「竹やの渡し」があるだけでやした!



両岸から伸びる桁(突桁)が、川の中の2つの橋脚を支点として中央の桁(吊桁)を支持する上路形式の橋で、総鋼量2,718 t。色は灰色!



1928年(昭和3年)2月10日竣工、総工費1,830,713円


両国橋や大阪の天満橋

と並んでヒンジと言う継ぎ目のある三大ゲルバー橋と呼ばれやした!


川端康成の小説『浅草紅団』の中で、その直線的な力強さと、曲線的で優美な清洲橋と対比させやした!



「ゆるやかな弧線に膨らんでいるが、隅田川の新しい六大橋のうちで、清洲橋が曲線の美しさとすれば、言問橋は直線の美しさなのだ。

清洲は女だ、言問は男だ。」



と記しておりやす!



「言問」の由来は勿論色男在原業平の詠んだ歌に因みやす!



『名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと』



しかし、実際にこの業平の故事があったとされている場所は、白鬚橋付近にあった「橋場の渡し」でやす!