《コロナと共生 265


2024年1月27日


午前10時半に8度!

11時半に10度!

久喜に出発!

午後0時半に11度!

3時に12度!


久喜にしては緩い風で然程寒くはありませんでした🥶💮


久喜駅前のスーパーの寿司は割にいけてます🌹


切干大根を頂きましたのでチャレンジします🍳🔪🎽





『新三人吉三』


《天明の大飢饉(1782年~1787年)と寛政の改革(1787年~1793年)》


『隅田川紀行』


隅田川の橋を逆に辿りたいと思いやす!


隅田川河口から十一番目の橋は「駒形橋 こまがたばし」でやす!


「駒形橋」の両岸共に江戸通りや清澄通りがあって、橋を高く架けることが出来なかったそうで、少し変わった形になりやした!


弓形が上に来たり下になったり?


しかし、地盤は良いらしく橋脚上には物見台も御座いやす!


取り敢えず外観の評判は上々のようでやす!



アッシにとっては「駒形」と言えば何てったって「駒形橋」より「駒形どぜう」ですわな!



「駒形どぜう」の由来は、1801年武蔵国の越後屋助七が江戸に奉公に出てきて、浅草駒形で飯屋を始めたと言うつまらない話!



此の話はちょっとずつ変だと思いませんか?


「武蔵国」の出身で屋号は「越後屋」?


なめえも「助六」じゃあなくて「助七」とは此れ如何に?


江戸に出て直ぐに飯屋を出せるものでやしょうか?


普通は担ぎ上げの振売りからでやす!


次に長屋で煮売り屋、其れから軒先の間借りから居抜き物件と進みやす!


元手はどうした?


建物の売り買いには、此の当時でもしっかりした知り合いがいねえと、古町町人や保証人その他の手続きは難しゅう御座いやす!


ましてや「どぜう屋」とは?


アッシは「どぜう」だとばかり思っておりやしたが、正しくは「どぢやう」と表記すべきだとか?


縁起を担いで三文字で奇数にしたのだとか?



「鰻や泥鰌や蜆」は築地の仕入れとは違ったようでやす!


扱ってはいたでやしょうが、川魚の扱いで、子供らが採って振売りしてたようでやす!