《コロナと共生 264


2024年1月26日


今日は早起きラッシュ🚃🚻🚻🈵


目指せ千葉みなとクリッパー!


深夜零時に4度!

午前8時に2度!

9時に6度!


ラッシュ開始!


10時に8度!

丸ノ内線に続き銀座線も人が多いです!

日比谷線は空いてた!


電車遅れて八丁堀駅乗り換えを走る走る!

まだ走れました!


間に合った🎵


今日は初のダウンを着たので汗だく👕💦


京葉線はまた混んでた!

午後3時に11度!


千葉みなとのプラットフォームは心地好い寒風が吹いてました!

その内凍えて来ました🥶


帰り着いたら木枯らしピゅ~ピゅ~🌀


すき家のすき焼き直行!

空を見たらFULL MOON

上原謙さんと高峰三枝子さんじゃありません!

ウルフmoonの🌝


『新三人吉三』


《天明の大飢饉(1782年~1787年)と寛政の改革(1787年~1793年)》


『隅田川紀行』


隅田川の橋を逆に辿りたいと思いやす!



「厩橋 うまやばし」に春日通りを通す案が持ち上がりやした!


春日通りとは勿論春日局(1643年没)の墓所の湯島麟祥院に因みやす!


春日通りは、明治通りと出合う池袋六ツ又陸橋から墨田の横十間川まで三里弱になりやす! 


後の世には、本郷からは都道(管理が幕府の黒鍬者)、隅田川を厩橋で渡った本所からは墨田区道(町の管理)になりやす!


しかし、当時の厩橋近辺は沼地が多く広い道が御座いやせんでした!


本所方面から上野広小路へ、東西に繋ごうとしやしたが、江戸時代と違い、御維新後は土地の買収も難航し、開通は1895年になりやす!


それも1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災で被災し、その復興計画に組み込んでやっと架橋が実現しやす!


余談でやすが「前橋」と言う地名も元は「厩橋 まやはし」でやした!


「厩橋」が「前橋」に改めたのは、1650年頃、前橋藩第四代藩主「酒井忠清 さかいただきよ」だと言われておりやす!


確か聖徳太子の別名に「厩戸皇子」と言うのが御座いやしたね? 


『古事記』(こじき)では上宮之厩戸豊聡耳命と表記され、『日本書紀』(にほんしょき)では厩戸皇子のほかに豊耳聡聖徳、豊聡耳法大王、法主王と表記されておりやす!


しかし謚(いみな)として呼称したのは第二次世界大戦後の話だそうでやす!