《コロナと共生 258》
2024年1月20日
午前10時に7度!
正午頃からパラパラと来ましたが美容室までセーフ!
帰りもセーフで、高円寺でまたまたパラパラ🌧️
風が強くて傘がさせない😅
✋手が悴む(かじかむ)
「明日は雪に為るやも知れぬもの 冷たく切れた指を優しく擦りては 涙ながらに明日の唄を読もうもの」
さぁ頑張って覚えよう🎵
『新三人吉三』
《天明の大飢饉(1782年~1787年)と寛政の改革(1787年~1793年)》
『隅田川紀行』
隅田川の橋を逆に辿りたいと思いやす!
隅田川河口から七番目は「新大橋 しんおおはし」でやす!
最初に新大橋が架橋されやしたのは、またまた元禄6年1693年でやす!
「両国橋 大橋」に続く隅田川に架かる三番目の橋として「新大橋」とよばれやした!
五代将軍綱吉様の時代でやす!
生母・桂昌院が、架橋を将軍に勧めたようでやす!
京都の室生寺や護国寺だけでなく、あれやこれや勧めやしたね!
当時の橋は現在の位置よりもやや下流側であり、西岸の水戸藩御用邸の敷地と、東岸の幕府御用船の係留地をそれぞれ埋め立てて橋詰としやした!
橋が完成していく様子を、当時東岸の深川に芭蕉庵を構えていた松尾芭蕉が句に詠んでおりやす!
「初雪やかけかかりたる橋の上」
「ありがたやいただいて踏むはしの霜」
新大橋は破損、流出、焼落が多く、その回数は20回を超えやした!
幕府財政が窮地に立った享保年間に幕府は橋の維持管理をあきらめ、廃橋を決めやしたが、町民衆の嘆願により、橋梁維持に伴う諸経費を町方が全て負担することを条件に存続を許されやした!
橋が傷まないように橋のたもとに高札が掲げられ、
「此橋の上においては昼夜に限らず往来の輩やすらうべからず、商人物もらひ等とどまり居るべからず、車の類一切引き渡るべからず(渡るものは休んだりせず渡れ、商人も物乞いもとどまるな、荷車は禁止)」
とされやした!
御維新後の1885年に、新しい西洋式の木橋として架け替えられ、1912年鉄橋に生まれ変わりやした!