《コロナと共生 257


2024年1月19日


午前10時半に12度!

11時に13度!


温かいのでやしょう?


午後0時半で14度!

1時半で15度!

午後10時で9度くらい御座います!



『新三人吉三』


《天明の大飢饉(1782年~1787年)と寛政の改革(1787年~1793年)》


『隅田川紀行』


隅田川の橋を逆に辿りたいと思いやす!


「永代橋 えいたいばし」崩落事故の続きでやす!


1807年8月19日、十二年ぶりの「富岡八幡宮」の大祭に、とんでもない数の人が押し寄せ、老朽化した「永代橋」は耐えきれず、東よりから崩落し始めておりやした!


押し寄せる群衆は、崩落に気が付かず、押し合い圧し合い(へしあい)、崩落部分から雪崩をうつように転落、死傷者・行方不明者を合わせると実に1400人を超える大惨事となりやした!


これは史上最悪の落橋事故と言われておりやす!


この事故について、大田南畝(おおたなんぽ)が狂歌や『夢の憂橋 ゆめのうきはし』を著しておりやす!


永代橋は、崩落事故の後に、再び幕府が架け換えたのだとか?


隅田川河口から六番目の橋は「隅田大橋 すみだおおはし」でやす!


「隅田川大橋」は近年の架橋で、隅田川唯一の二層式の橋でやす!


下が人専用、翌年架けられた二段目には荷車や馬車を通しやした!


驚くべき事が御座いやす!


何と何と河の下に掘られた隧道(トンネル)が半蔵門まで延びて隠されておりやす!


と言う事は、何かの時に将軍様が半蔵門からトロッコで地下を走り抜け、日本橋箱崎町若しくは深川佐賀町に逃げる為でやしょう?


隅田川の橋の名の覚え方が御座いやす!


「白鬚橋 しらひげばし」から南に


「白き桜の言問う東(吾妻)駒は厩に繋がれ、蔵で両替新たに清く、永き佃に勝鬨上げん」


となりやして、どうやら新参者の「隅田川大橋」は間に合わなかったようでやす!