《コロナと共生 245


2024年1月7日


人を占う日にあたる1月7日は処刑を行わない「人日の節句 じんじつのせっく」と呼びました!



絶品の七草粥を食しました💮💮💮💮💮





午前11時に10度!

正午に11度!



『新三人吉三』


《天明の大飢饉(1782年~1787年)と寛政の改革(1787年~1793年)》


神田川に架かる百四十の橋について書いておりやす!


百三十八番目は「左衛門橋 さえもんばし」の続きでやす!


下流の浅草橋から川の南側を八ツ小路まで並行して走るのが柳原通りでやす!


柳原通りは、安政六年(1859年)の「日本橋北内神田両国浜町明細絵図」によりやすと、浅草橋から万世橋まで続く柳並木があり、これを柳原土手と呼んだことにちなむ命名でやす!

 

江戸市中には、江戸城を築城した太田道灌(おおた どうかん)により、鬼門にあたる場所に、魔除けの力があると信じられていた柳が数多く植えられておりやす!


ここの柳もそのような魔除けなのでやしょう?


飯田橋から和泉橋辺りの神田川は小石川堀とも仙台堀とも呼ばれやした!


 三代伊達綱宗に始まり1661年四代綱村の時代に完成しやした!



「江戸切絵図」には、筋違御門と和泉橋の間柳原堤に沿って籾蔵が見えやす!


更によく見やすと、後世禁じられる言葉になりやすが、按摩さんでやしょうか杖をついた目の悪い人や、躄(いざり)でやしょうか、車椅子みてえな台座に乗った人も描かれておりやす!


歴史的資料、 広重の「絵本江戸土産」に依りやすと、左手の神田川右岸が柳原堤で柳森稲荷が見えやす!


電動汽車の鉄橋からだと右手になりやしょうか?


挿絵には


「浅草御門より西の方 これを神田川といひて江戸川の末流也

大川へ出るにより川舟左右に競い 旦より暮に至るまで盧櫂のおと引きもきらず 賑はひの地なり」


と御座いやす!



神田川は江戸川の末流で、川舟が右往左往して櫓や櫂のギシギシとしなる音に船頭の歌や掛け声、波と水飛沫のぶつかる音!


柳原土手には朝から夕方まで日がな一日、古着を求める人達が引きもきらず、呼び込む声で賑わっておりやす!