《明暦の大火を描いた田代幸春画『江戸火事図巻』
(文化11年/1814年)》
 
明暦の大火(めいれきのたいか)とは明暦3年旧暦1月18日から20日(1657年3月2日–4日)かけ、江戸の大火災で江戸城も焼失❗凄い
 
この年の干支から丁酉火事(ひのととりのかじ)、振袖火事(ふりそでかじ)とか呼ばれています❗知ったかブリタニカ
 
【Neuf Les Mille et Une Nuits=ヌフ レ ミレ ユンヌ ニュイ =ニュー 千夜一夜物語 No.597】
 
此れは此れはようこそお越し下されました❗
手前は浅草は御籾倉に店を構えます〔赤札付き〕の結城屋 滉衛門と申します❗
 
〔人宿=ひとやど〕の〔手配師=てはいし〕〔請負師=うけおいし〕〔沖仲士=おきなかし〕等が、労働者を手配して築いた土手や堤防は数多く遺されています❗納得
 
 
 
 
〔日本堤〕の土手上は、周囲を見渡せる見通しのよい街道で、6町余りの長さがあったことから〔土手八丁〕と呼ばれたそうです❗知ったか
 
明暦の大火の後に土手南側に人形町から遊郭が移転し吉原となってからは「吉原土手」「かよい馴れたる土手八丁」などとも呼ばれ、遊びに通う江戸っ子たちで賑わったのですよ❗知ったかブリタニカ
 
関東大震災から4年後の1927年(昭和2年)、日本堤は取り崩され、現在は土手通りとして痕跡を留めているのです❗初耳
 
 
台東区の北部に位置し、東部は台東区清川に接していました❗知ったか
 
南部は日の出会通りに接し、これを境に台東区東浅草です❗知ったか
 
西部は土手通りに接しこれを境に台東区千束・台東区竜泉・台東区三ノ輪一丁目になります❗納得
 
北部は、明治通りに接しこれを境に荒川区南千住・台東区三ノ輪二丁目になるのだそうです❗初耳
 
東部には大阪市の釜ヶ崎、横浜市の寿町と並んで称される日本の三大人足寄場のひとつとして日雇い労働者が集まった「山谷」があり、簡易宿泊所(通称「ドヤ」)が多く見られるそうです❗知ったか
 
2008年12月末現在、簡易宿泊所は53軒、北東端には泪橋交差点、いろは会商店街が日本堤一丁目のほぼ中央を東西に伸び、この商店街は漫画『あしたのジョー』の舞台泪橋が商店街の近くだそうです❗納得
 
かつては村八分の方々の象徴だった皮革業の工場が多く見られるのは、以前に書きました〔穢多頭=えたかしら 浅草弾左衛門=あさくさだんざえもん〕の屋敷が、山谷堀の今戸橋と三谷橋の間に〔現在の東京都立浅草高等学校の運動場あたり〕にあったからですよね❗知ったかブリタニカ
 
 
夜が明けると禿に起こされ、手には房楊枝を渡され、促されるままにうがい茶碗で口を漱ぎ、用いた吉原楊枝は仕来たり通りに二つに折った❗
 
草履を土間に揃え、提灯を持った若い衆が待ち構えていた❗
 
明け六ツ(午前6時)になると、吉原の大門(おおもん)が開き、後朝の別れを告げる❗
 
大門を抜け衣紋坂を登り、土手八丁を今戸橋の方へ気だるく浮わついた歩をすすめた❗