《板船=いたぶね》
 
【Neuf Les Mille et Une Nuits=ヌフ レ ミレ ユンヌ ニュイ =ニュー 千夜一夜物語 No.529】
 
さて、日本橋魚河岸では、殆ど毎日朝な夕なに、大量かつ様々な魚介が荷揚され、店頭に並び、威勢良く取引されました❗納得
 
 
『江戸名所図会』に見えられる魚を陳列している戸板状の台は「板舟=いたぶね」と言い、多くは有力商人が所有していたのだそうです❗初耳
 
「板舟=いたぶね」は一枚ごとに販売権が付帯しており、これを一枚から数枚借りて商いをする小規模商人も多く、この板舟は最初の頃は、河岸地の露天に設けられたそうです❗初耳
 
市場の発展に伴い河岸通りに魚を貯蔵する納屋が建つと、その納屋庇下を使用するようになり、さらに本船町から本小田原町までの店前街路を占用したのだそうです❗初耳
 
魚河岸は日本橋地域に1656年まで在った「吉原遊郭」や、1842年まで在った「歌舞伎小屋」の堺町・葺屋町(現在の日本橋人形町3丁目界隈)とともに「一日千両=当初は1億3,000万円くらい」と称される程の江戸随一の繁華な地域に成長していたのです❗自慢
 
此の辺りの一角に屋敷を持とうとしたら、間口一間(約1.8m)奥行20間(約36m)につき千両もの高値がついたのだそうです❗初耳
 
変だと思いません(?_?)
間口1.8m奥行36mって京都の町屋より細長い単位ですよね❗不思議
 
押送船と鰹の話から思い出しました❗思いつき
又々、知ったかぶりの話になりますが、紀伊国屋文左衛門の蜜柑船の話は有名ですよね❗続く
 
紀伊国屋文左衛門の蜜柑船の話は、江戸や京の風習《11月8日の≪鞴(ふいご)祭り≫》が元になるのです❗知ったかブリタニカ
 
《深川の鞴祭り》
 
江戸や京の町で特に盛んだったという、「鞴(ふいご)」を使い火を扱う鍛冶職・金工職人・金物商たちのおまつりで、土地によっては別名「踏鞴(たたら)祭り」とも呼ばれ、古き良き初冬の風物詩でした❗納得
 
鞴祭りのミカンを食べると、風邪やはしかにかからないと信じられていた為、夕方から門前で餅やミカンをまいて近所の子ども達に振る舞ったのだそうです❗知ったか