《近江大津宮》
 
【Neuf Les Mille et Une Nuits=ヌフ レ ミレ ユンヌ ニュイ =ニュー 千夜一夜物語 No.279】
 
近江の荒れたる都を過ぐる時、柿本人朝臣麻呂の作る歌 1-29
 
途中、以前書いたものとダブってる箇所が御座いますが、再度解説致しますね❗陳謝
 
「玉たすき 畝傍(うねび)の山の 橿原(かしはら)の ひじりの御代(みよ)ゆ 生;れましし 神のことごと 樛(つが)の木の いやつぎつぎに 天(あめ)の下 知らしめししを 天(そら)にみつ 大和をおきて あをによし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか 天離(あまざか)かる 鄙にはあれど 石走る 近江の國の ささなみの 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ天皇(すめろき)の 神の尊(みこと)の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の茂く生ひたる 霞立つ 春日の霧れる ももしきの 大宮所(おほみやどころ) 見れば悲しも」
 
《近江大津宮跡》
 
天智天皇(てんじてんのう)が都とした大津の宮の荒れた様子を見て詠んだ歌ということです。
 
意味は
 畝傍山麓の橿原の宮に御即位になった神武天皇の御代からお生まれになった御歴代の天皇は凡てが、次々に大和で天下を治めになったのに、その大和をさしおいて、奈良山を越えて、どのようにお考えになったからか、遠い田舎ではあるが、この近江の國の大津の宮に移って天下をお治めになったという天智天皇の皇居は、ここだと聞くが、御殿はここだというが、今は春草が生い茂り、春の日が霞んでいるでいる。
この大宮の跡を見ると悲しいことです❗納得
 
人麻呂の近江荒都歌。
近江大津宮は、人々の反対をおして中大兄皇子「後の天智天皇」が明日香から遷都為された後日談でしょうね❗疑問符
 
「枕詞 玉垂れの」
 
【1 玉を「緒(を)」に通して垂れる意から、「を」にかかる。
「―越智(をち)の大野の朝露に」〈万・一九四〉
2 御簾(みす)を垂れる意、またその編み目が透く意から、「たれ」「みす」「すける」などにかかる。】
 
 
「玉垂の 小簾のすけきに 入り通ひ来ね たらちねの 母が問はさば 風と申さむ」
 
読みは
[たまだれの] をすのすけきに いりかよひこね [たらちねの] ははがとはさば かぜとまをさむ
 
意味は
玉を垂らした簾のわずかな隙間からそっと入って来てください
母がとがめて尋ねたら風のせいだと申しますから