《熊野本宮大社の 八咫烏=やたがらす》
 
【Neuf Les Mille et Une Nuits=ヌフ レ ミレ ユンヌ ニュイ =ニュー 千夜一夜物語 No.274】 
 
『日本書紀』神武天皇31年4月の条の読み下し文の解説の続きです❗納得
 
初代天皇は神武天皇だと思われますが、三本足の八咫烏〔やたがらす〕に導かれ東征為されて大和を平定したのち、橿原〔かしわら〕宮で即位されたようです❗納得
 
しかし、いまの橿原市の辺りではなく、御所〔ごせ〕市に属し、古くは柏原郷と呼ばれた所だそうです❗納得
 
橿原宮は、大和平野の西南端に位置し、西部には金剛山・葛城山が峰を連ね、神武天皇は、柏原の西に接する掖上〔わきがみ〕の高さ131mの本間の丘に登って国見をされたと言う話が語られているようです❗納得
 
時は、『日本書紀』神武紀31年4月条三十有一年夏四月〔うづき〕の乙酉〔きのとのとり〕の朔〔ついたち〕だそうです❗納得
 
【皇輿〔すめらみこと〕巡〔めぐり〕幸〔い〕でます。因りて腋上〔わきがみ〕の兼間丘〔ほほまのおか〕に登りまして、国の状〔かたち〕を廻〔めぐらし〕望〔みて〕のたまわく、「妍哉〔あなにや〕(なんとすばらしいことだ)、国を獲〔えつる〕こと。
内木綿〔うつゆふ〕の真乍〔まさき(狭い)〕国といえども、なお蜻蛉〔あきつ(とんぼ)〕の臀占〔となめ(交尾)〕せる如〔ごとく〕あるかな」とのたまふ。
これによりて、はじめて秋津州〔あきつしま〕の号〔な〕あり。】
 
わかる限りルビを振りました❗
 
腋上〔わきがみ〕の兼間丘〔ほほまのおか〕とは、今の御所市掖上字本間の丘〔ごぜしわきがみあざほんまのおか?〕。
 
本間の丘から御所市の町にかけての広い水田地帯が、日本の国号の起こりとなった秋津州〔あきづしま〕と呼ばれたところのようです❗納得
 
「枕詞 内木綿〔うつゆふ〕」
「狭(さ)」「こもる」にかかる枕詞です❗納得
 
「蜻蛉〔あきつ〕の臀占〔となめ〕せる如〔ごとく〕あるかな」=蜻蛉のつがって飛んで行くように、山々がつづいて囲んでいる国だな❗納得
 
夏四月は稲種を直播した直後、水田を丘から見下ろして、国見の歌をうたった農耕の予祝儀礼であったそうです❗納得。
 
つまり稲の種を水田に直に蒔き、神武天皇は本間の丘に登り、見下ろして、まだまた狭い国てありましたが、其の形から秋津洲と命名為された❗
 
トンボによって、秋の豊かな実りと、それを脱穀して高倉におさめるまでの祈願が、この国見の歌にはふくまれているのだそうです❗初耳
 
先日も取り上げましたが、日本書紀の中で私の大好きな件で、神武天皇が我が国の名を秋津洲〔あきつしま〕と命名された由緒です
❗神武天皇万歳