《曲亭馬琴=南総里見八犬伝》

残念ながら田舎小僧の画も御座いませんので、曲亭馬琴の画になりました
m(._.)m

【田舎小僧と稲葉小僧、語呂が似ており、名前はどちらも「新助」で、盗賊として活動していた時期が殆ど同じで、両者とも大名屋敷に盗みに入ったことなどから、2人の逸話を混同して書いた記録は多いのだそうです❗

曲亭馬琴は、不忍池に飛び込んで逃れた新助を稲葉小僧と致しました!

《甲子夜話》の松浦静山に依ると、天明5年に獄門になった新助が稲葉小僧だと、また杉田玄白は田舎小僧が稲葉小僧と聞き間違えられたのではと記しているそうです⁉

三田村鳶魚《みたむらえんぎょ=明治時代》も、田舎小僧と稲葉小僧は、無理矢理1人の泥棒に仕上げられたとしております!】

《三田村鳶魚》



果たして何れが正しいのか❔
邪馬台国を探すくらい楽しいですね?

稲葉小僧は不忍池を泳いで逃げ、潜伏先で死んだのだから、本名も凶状も分からないし、盗んだのは刀や脇差ばかりなのだそうです!

【一方田舎小僧は刀剣には手をつけなかったのに、奉行所の申渡しには「金子並腰の物〔きんすならびにこしのもの〕、亦は小道具、反物、提げもの、衣類」を窃取したと書かれているのは、多分に稲葉小僧の分まで罪を着せられたものと推測されます!

これは稲葉家としても家中の人間から盗賊を出したとあってはと外聞を憚り、事実を塗抹すべく運動したのだろうと鳶魚は考えていたそうです!

それに田舎小僧より稲葉小僧の方が聞えもよく、稲葉小僧の罪も背負わせた方が泥棒らしくなるので、よく芝居や講釈の材料になったとも鳶魚は語っております❗】

その実は、私は何を隠そう〔尻隠そう〕四代目田舎爺》なので御座います❗

【表向きは、田舎小僧新助は、武州足立郡新井戸村(あらいどむら)の百姓・市右衛門の息子として生まれたことに為っております!

明和元年(1764年)に15歳になった新助は、神田明神下同朋町の紺屋・佐右衛門(そうえもん)方へ年季奉公をするために江戸へ出て、10年の年季が明けた安永2年(1773年)、下谷坂本2丁目の又兵衛家で奉公を始めたが、安永5年(1776年)12月6日、3分2朱(または3両2朱)の金を盗み入牢。
天明元年(1781年)に勘当されました!

その後江戸に舞い戻り、泥棒稼業に手を染めるようになりました!

一橋邸に侵入しようとして捕らえられ、町奉行所の役人に引き渡されて、町奉行の曲淵甲斐守景漸〔まがりぶちかいのかみかげつぐ〕により「重々不届至極=じゅうじゅうふとどきしごく」として獄門の判決を下され、同年10月22日、老中・松平周防守康福の指揮の下、市中引き回しの上、小塚原で処刑された。

奉行所からの申渡書では、「武州無宿 新助 34歳」となっているそうです!】




《小塚原の首切り地蔵》


当時でも、死罪の判決には老中の認可が必要だったのですよ❗

武州田舎もんは、江戸の小塚原で土手かぼちゃに為った❗》=
Bumpkin from Busyu became bank pumpkin in EDO Kozukappara!