自分がブログなどを書くようになるとは、およそ数年前まで考えもしなかった。


そもそも私がこんなことを考え付いたのも つい最近のことだ。といっても数日前などではなく ここ2,3ヶ月の間にじわじわと心に現れてきたものだ。

重ねて言うが、私はブログなど書くようになるなど、まったく思わなかった。なぜなら、私にはわざわざ時間と労力を割いてまで紹介するような事柄や出来事などはおよそ無いからである。 

世間には、まあ この場合タレントのブログなどは別に置くとして、世人一般のものなら何らかの形で何かしら提供するものがある。それが有益であれ 又、有害でもあれだ。しかし私がここで始めようというのはおそらく誰の為にも、何の知識にもならない。誰にも何も提供するものは無い。害も益も無い。 

いやこうした駄文を読むことで不快感を与えることはあるかもしれない。だから、もしこのブログを運悪く見つけて、これまた運悪く数分にもせよ読んでしまって気分を害したとしたら どうか罰することなく許していただきたい。 そうした方は今後一切このブログは無視して、触れずに放って置いてもらいたい。 程度にすれば、掴まった電車のつり革が油でぬめっていたくらいのものだと思う。


さて、私が何をしようと思ってブログの制作など始めたかといえば、理由は実は簡単なことだ。


私は陰気で愛想が悪く、チビでやせっぽちなうえに顔は変質者顔という およそ人好きのしない男だ。 故に恋人はおろか友人、いや知人さえいない。 普段の生活でもほとんど誰と話すことも無い。 話すことといえば仕事に関することだけだ。休みの日は朝から夜寝るまで一言も口を聞きことも無く一日を終わることもある。

今私は自分を可哀相に見せようとして自己卑下をしたのでは無い。すべてが私の日常であり現実だ。

しかし、こうした生活を送っていて”寂しい”という感情が普通の人のように心に沸き起こってくるのなら、どれほど私自身幸福かわからない。なぜならそれが次のアクションへの力になるからだ。

だが、私の場合そうした心の普通あるべきリアクションが起こってこない。

そんなのは嘘、やせ我慢だと思われるだろうが、それは違う。 そうだな、たとえていうなら便秘症の人間で、食欲はある、 おなかに便がたまっているのも頭では分かっている、しかし便意がまったく無く、出したいのに出せない しかし苦しみはある。 そういう状態に似ている。


その得体の知れない苦しみが怖いのだ。自分自身がいつか大それた犯罪や事件などやらかしてしまうのではないかといった、晴れとも曇りともつかない日の白い空のような恐怖が私を恐れさせているのだ。 実態があるのか無いのか、明け方か夕方か分からないような何ともいえない不安だ。 ご理解頂けるといいのだが。 いや、別にわかってもらう必要も無いのか。


そうした恐怖にも似た不安のガス抜きをするために自分自身のことについて話してみようと考えついたのだ。

もちろん、そんなことをわざわざ人目につくところでやることもあるまいとか、もっと別の手段を考えろだとか、毒の垂れ流しはやめろだとか、はたまたセラピストにかかれなどなど云々...。

しかし、それでも私はやってみようと思う。 なぜなら、こうして架空の読者に対して書いていてもグズグズと一人頭の中で無限回帰を繰り返すだけの行為より見かけだけでもなんというかこう、生産的に見える。 現実は変わらないのだけれどもね。

それに、最近はなにやら昔の幼いころの記憶が頭にチカチカと、まるでフラッシュバックのように思い出され、それを書きとめ、反芻することも これまた生産的な作業のように思われる。


そうした自分に対して何か仕事をしたいのだ。 それが理由だ。


そうしたわけで、このブログは何の益にもならないので一瞥してくだらないと思ったら放っておいてもらいたい。 一種のリハビリだよ。 健常者からすればスプーンを持つだけの練習も ともすれば滑稽に見えるときがあるのと同じだ。 傍で見ているものにはおかしくても当人にすれば大真面目なのだよ。 スプーンでスープをひとすくいするのが100メートル走の10秒の壁のように困難であるのと同じだ。


さて、ずいぶん長い前置きをしてしまったがそういうわけだ。