早いものだ、今日からもう七月である。




仕事が内勤のためか外の様子があまり分からないので、季節が梅雨とはいっても、それほど都内で雨が降っていたような気がしない。かなり頻繁に傘を持っていた記憶はあるのだが、いつもささずに手に持っていただけのような気がする。大粒の雨に降られて靴の中がぐっしょりになるほど降られたような記憶もない。




こういった感じを抱くのは多分私のような者だけであろうと思う。日がな一日空調の効いた屋内にいて、朝はまだ光の弱い内に出掛け、帰りはすっかり日が暮れてから表に出るのだから、そうして幾らか感覚が鈍ってしまったとしても当然のことであろう。しかし、私は今のこういった就業環境を決して嫌っているわけではない。むしろ、敢えてこうした環境で働けるような職種を選択したのである。何といっても私は生来体が弱く、人よりも幾らか疲れやすい傾向がある。それはもうずいぶん幼い頃から自覚していることだ。まぁ、平たく言えば貧弱で貧相な男なのである。しかし、そうしたことが幸いしてか、今までこれといって大きな病気も怪我もしたことがない。こう言うと何とも奇妙に聞こえるかもしれないが、実は私のように無理のきかない人間のほうが大病や大怪我から自然と逃れられるのである。無理のきく人間というのは無理がきくが故に、いよいよというところまで無理をしてしまいがちで、限界を超えてしまったときには取り返しのつかない状態まで事態を悪化させている場合が多いものだ。しかし私のように、そもそも無理がきかないような人間は、事態が悪化する前に体が耐えられなくなり、その結果、適当なところでいつも休みをとって、我とは知らず致命的な悪化を防いでしまうからである。幸か不幸か、私のように貧相な人間は意外にしぶとく、なかなかくたばらないのだ。取るに足らない雑草ほど駆逐出来ないのと同じ道理である。




それに、もう野外での肉体労働は出来れば遠慮したいと思う。以前は何とかなっていたが、だからといって今もその時と同じように出来るとは限らないし、だいたい昔のようにやり切る自信が今の私にはない。






今日はよく晴れている。週の半ばまではこうした晴れ間が続くのだそうだ。もう一雨来れば梅雨も開けることだろう。








今更ながらだが、先日このブログのことでひとつ気付いたことがあった。それというのも、自分の“ルーム”というページから“次のルームへ”をクリックすることで無作為に誰かのルームへ移動できるらしい。今まで全くこうしたことに関心を払ってこなかったせいか、こうしてこの場で話し始めて一年以上経っているというのに先日偶然気が付いた。それで、ひとつものは試しというわけで、次へ次へといった風にして数珠繋ぎにしばらく歩き回ってみた。色々な人間がいるものだなと思いながら、私はこの架空の世界の中を、まるで縄張りを巡回してまわる猫のように、人のベランダや軒先を気ままに歩き回った。そうして30分ほども歩き回っただろうか、私はもうその程度の時間でそうして歩き回ることに飽きてしまった。それというのも、おそらくあまり愉快なものを見つけられなかったせいだろうと思う。




そうして私が歩き回って目にした景色で最も多かったものは空き部屋だった。床には埃が積もっていて、光を浴びてうっすらと白く光っていた。人のいた形跡があるにはあるが、もう久しく使われていないように見えた。そうした空き部屋の他に私が目にしたものも色々とあったが、それは敢えてここで話さないでおくことにする。そうしたものはたいてい話すほどのものでもなかったし、それに決して快いものではなかったからである。とにかく多くは語るまい。他によく見かけたものといえば、女が男との思い出を書き連ねたノートを床に打ち捨てて出て行ったまま埃をかぶっている空き部屋の光景だった。これは実に多く見かけた光景だった。どうやら世間にはこうしたことはよくあるものらしい。




そうしてしばらく歩き回った後、私は手摺りから自分の部屋のベランダへ降り立ち、前足で窓をこじ開けて自分の部屋へと戻った。馴れないことをして歩き疲れたので、私はベッドの上に丸まって少しの間眠ることにした。すると、ふとある考えが頭に浮んで私は目を覚ました。それは、こうした方法で何か面白い人間を見つけることは出来ないものだろうかというものである。観察の対象になる人間をだ。




私はまた窓の隙間から表へ出ると、ベランダ伝いにてくてくと歩き出した。観察の対象にしようと思う人間のタイプはその時もう既に決まっていた。それは二日に一度ほどは部屋へ帰ってくる人間で、何事かに毒づくようなこともなく、罪の無い、他愛のない話しをしているような一般の人間というようなものだった。何より、恋愛話や下の話しなどを私は耳にしたくなかったので、そうした要素を含んだ人間は観察の対象から外すことにした。




すぐに見つかるかと思っていたのだが、意外にもそうした条件に当てはまる人間はなかなか見つからなかった。そうして歩き回っているときに感じたことだが、男というものはつくづく理屈っぽいものだなと改めて思い知らされた。まぁ、自分自身も男であるし、その上そうした傾向も多分にあり、しかもその属性は男には必要でもあるものなので非難がましく言うことなど全くの間違いであろうが、それでも私はそうしたものを見聞きすることが何となく億劫に思われたので、そうした人間も観察の対象から外すことにした。 すぐには見つからなかったが、何事も時間をかければいくらかの結果は得られるもので、私は数人の面白い人間を見つけることが出来た。色々と見てまわって見つけ出したものなので大層興味深いものなのかといえば決してそうではない。むしろ世間一般にいえばつまらないと言われるような類いの人間だろうと思う。話しを聞いていてもおよそ一般的にいって面白いと言われるようなものではない。そうした者達の話していることなど、仕事がきついだの休みが欲しいだの、今日はどこへ行ったとか、何を食べて何を飲んだとか、それが美味しかっただの朝眠いだのといったごくつまらないことが殆ど、というか全てそういったようなものである。そんなものを見ていて何が楽しいのかと問われれば私もおそらく答えに窮するだろう。しかし、何故だか知らないが、そういった何でもないようなことを唯々聞いているのが私には何とも心地よく、不思議と心の安まるような感じがするのである。






そういった訳で、私は今回見つけた幾人かの人間をしばらく間のんびり観察してみようと思っている。特にそのことを相手に知らせるようなつもりはないが、私にはどうも要らぬ世話を焼きたがるような年寄り臭いところがあったりするので、場合によってはお節介をやきたくなってしまうことがあるかもしれない。しかし、そうしたこともおそらく稀なことであろうと思う。